2―4

 滞在一日目。思っていた以上に私の肉体には変化が現れていた。

「………………寝られない」

 たづなと別れてから私と子供たちはもう夜も遅いということで寝る事にした。臭いこそ凄まじいけど、たづなのベッドの寝心地は抜群。気疲れに丁度気分をリセットしたかったから、あの眠りの底に落ちるような感覚を再び味わいたかったのだけど……。

「う~ん……」

 ゲルの外はもう日が昇っている。寝たふり……目を閉じただけで五~六時間意識は覚醒したままだ。

 睡眠耐久訓練を受けた事もあったけど、その時みたいな疲労感は全くない。むしろ体の内側から爆発的なエネルギーが循環を始めて頭に体に力がみなぎっている。

「ハルちゃーん」

「起きたんだったら仕事を始めて!」

「働かざるもの食うべからず、だよ!」

「……」

 丁度子供たちの朝食の時間に起きたようだ。彼女たちは手際よくかまどに火を焚いて、食べ物を調理し、皿を並べている。

「……私の分は?」

「? 超人は食べなくて平気でしょ?」

「え? でも、まもりお姉ちゃんいつも一緒に食べていたし……」

「そういう超人もいるけどさ」

「ハルちゃんお腹減ってる?」

「……」

 胃の辺りに手を当ててみる。満腹感……とは違うけど、確かに空腹は感じない。ゲルの内側とは言え外はあれだけの乾燥地帯、喉も乾燥していておかしくないはずなのに寝起きでいきなり歌い出しても平気な程度に潤っている。

〈おはようございますご主人様。さあ、今日も一日素敵な日にしましょう〉

〈よっ! いい夢見れたかい? お嬢ちゃんは新入りだからな。一美かずみたちの言うことをよく聞くんだぞ〉

 両肩に妖精たちが乗っかってくる。

 分離体である二体。外見上はこうして独立した形で存在しているとは言え、体の深いところで浸食が始まっている事は確かみたいだ。

「ようはこれを肯定的に捕えるか、否定的に捕えるかの違いかぁ」

「ハルちゃん手を動かす!」

 三人の中では年長の、十歳くらいの一美ちゃんが急かしてくる。他の二人も私を見ては「働け」と目で訴えてくる。ここの序列の中で私は本当に下っ端らしい。

「……は~い」

 流石に自分よりも年下の子供相手に手を挙げる気にはなれない。センジュの監視があるのはもちろん、この手は誰かを守るためにある。とりあえず一週間乗り切ればいい。それまでに年長者の威厳を見せつけられれば――

「じゃあまずは水を汲みにいって。行先は二郎が一緒に案内してくれるから」

 一美ちゃんが言い終えると同時に二番目、八歳くらいの二郎君が朝食を平らげる。

「ハルちゃん行こうか」

 そう言うと二郎君はいきなり私の背中へよじ登ってきた。

「え? 何してるの⁉」

「何ってハルちゃんに走ってもらうんだよ。ここから水源まで確か……」

「六〇キロ!」

「おい三太! 今俺がハルちゃんに教えていた所なんだぞ! 取りあえずそう、六〇キロはあるもん。超人の足じゃないとお昼の洗濯に間に合わなくなっちゃう」

「ろ、六十キロ⁉」

 それは確かに子供の足じゃ超長距離だけど……大人だって変わらないでしょ⁉

 私の驚きなんてどこ吹く風。二郎君は私の上で「ゴーゴー」と呑気に声を掛けている。そんな私に追い打ちをかけるように六歳くらいの三太君が指差す。そこには両手で抱えないと持てない立派な木製の桶が……どうやらこれで水を汲んで来いと言うことらしい。

「……マジか」

〈まあまあお嬢ちゃん、絶望するには早いって。生活に必要な範囲であれば、俺も力を緩めるからよ〉

〈このいけ好かない左手首が同伴なのは心苦しいですが、私もご主人様のために微力ながらお力添えさせていただきますわ〉

 肩車の体勢になった二郎君の上にさらに二体が乗る。ちょっとしたトーテムポールと化した私。この状態でさらに桶を持つのかと思うと正気じゃないけど……。

「…………!」

 センジュの言葉は嘘じゃ無かった。変身までは行かないけど、それでも体の力がかなり戻って来た。

「……行ってきます!」

「気を付けてねー!」

 私の足が大地を駆ける。初速の勢いを保ったまま走る、走る。

「次は右。その先は少しするとクレバスがあるから気を付けて」

「……!」

 岩石質、砂地など地形の変化をものともせず、障害物も軽く飛び越えられる。両手両肩にハンデを背負っているはずなのにものともしない。図鑑の中で見た「自動車」のように私は目的地までグングン進んだ。

 こんな荒野で人間がどうやって生きているのか疑問だったけど、なるほど超人の力を使えば生活の幅が広がるわけか……。

 この辺りはオアシスさながら、比較的緑が残っている。目的地である湖に近づくと、私は中に桶を突っ込んで汲みだした。

「ああだめ! なみなみ入れたらみんなの分が無くなっちゃう。七分目くらいにして」

「了解。って他にも人がいるの?」

「分からないけど、こういう場所は貴重だし、いつ消されるか分からないからたづな様は少しでもみんなが使えるように残しておきたいんだって」

「ふ~ん……」

 超人化は感覚も鋭敏化する。したたり落ちたしずく、その波紋から中に生き物がいるのを感じた。なるほど、利用者は人間だけじゃないみたいだ。ここは文字通り命の水らしい。

 帰りは来た道を戻るだけ。水というハンデが加わったけど、自分でも驚くくらいビクともしない。一滴もこぼさずに私達はゲルに戻った。

「晶よりは役に立ちそう」

「晶さんって不器用なの?」

「前に半分こぼしてたづな様にどつかれていた」

「へ、へぇー……」

「あ! やっと帰って来た!」

 戸口の一美ちゃんが私を催促する。言われるがまま私は桶をゲルに入れ、一美ちゃんはあらかじめ用意した数々の容器へと手際よく水を分けてゆく。

「これは飲み水。これは料理用。これが食器洗いの分」

 桶の中身はみるみる減って行く。

「あの……一美ちゃん、お風呂と洗濯の分は?」

「? 今日は無いわよ」

「え?」

「お風呂は三日に一度。洗濯は一週間分をまとめて。そんなに毎日水を使っていたら水源の水があっという間になくなっちゃう」

「ま、まあそうだけど……」

「それにハルちゃん超人でしょ? 私達も服とか汚れないんだから我慢して」

「……」

 今更ながら自分の服装を見る。広場での戦闘で土埃まみれのツナギ。傷口こそ塞がっているけど腹部には貫通した穴とその周囲に広がる血痕。胸元のジッパーは左肩に乗っかっている私の相棒が弾き飛ばして修復不可能だ。

 超人化して良かったと思ったのは尿意を全く感じない事。多分超人の肉体は並外れた恒常性を発揮する。食べたり、飲んだりした分だけ排泄を行うのだとすれば、体内の妖精の力だけで生活すれば汚れを出す事は無いのだろう。

 ただ、体は良くても服は汚れの原因になってしまう。せめて血痕くらい落としたい。

「ハルちゃん着替えは?」

「それは……」

「それに私だって洗濯にお風呂に毎日入りたい。それを我慢しているんだからハルちゃんも耐えて」

「……」

 一美ちゃんから漂う垢の臭い。年頃の女の子らしく、本当は清潔でいたいのだろうけど、この限られた環境で私の「都市流」を押し付ける訳にはいかない……おとなしく従うほか無さそうだ。

「ははは。ハルちゃん怒られている」

「三太準備は出来た?」

「うん!」

「だったらサボっていないで今度はあなたが先生よ。ハルちゃんにキッチリ教えてあげて」

「はーい」

 そう言って三太君はごそごそと何かを準備し始めた。

「三太くんも働くの?」

「そうよ。ここではみんな何かしていないと生きてはいけないもの」

 キョトンと首を傾げる一美ちゃん。顔には「何を当たり前な」と書かれている。

「やったー! 僕ずっと一番下だったからハルちゃんが来てほんとに良かったー」

「……」

 たづなは私の事をベビーシッターだなんて言っていたけどとんでもない。むしろ生活においては彼女たちの方が上だ!

「僕のお仕事はコレ!」

 そう言って三太君は矢を渡してくる。

「……何これ」

「何って、お姉ちゃんも矢を知らないの?」

「いや、知っているけど……」

「じゃあこれは?」

 三太君が次に渡して来たのは槍だった。矢も槍も、よく見ると穂先が荒く割った石を紐で固定した簡単な物。石の質に固定の具合に、質はかなり高いけど――

「銃とかは無いの?」

「ハルちゃんも晶さんみたいな事言ってる」

 一瞬、一美ちゃんの冷たい視線が刺さった。どうやら都市の文化を匂わせる事は、少なくとも子供たちの前ではご法度みたいだ。

 多分三人は都市の生まれじゃない。経緯はどうあれ、外側で生き延びるための流儀を身に着けて来た。それを否定する事は恐ろしく失礼な事だ。

「……いや、知らないから教えてほしいな。三太先生」

「うん!」

 そう言うと三太君は立派な木箱の中から武器の素材をアレコレ並べ始める。説明こそたどたどしいけど、教官殿の中にも何を言っているか分からない人はいた。おざなりな伝える気の無い大人なんかよりも、何かを伝えようとしている三太君の方がよっぽどいい先生だ。

 それに――

「これを、こうして……こう!」

「え? こう?」

「そうじゃ無くて、こう!」

「ん? ああ!」

「そう!」

 三太君の手際は見事な物だった。私も一通りサバイバルの手わざを習って来たけど、習ったのと活用しているのとは大違いだ。私よりも二回りは小さな手、それは傷だらけで垢まみれだけど生き残るためにあらゆるものを掴んで来た事を物語っている。

「ハルちゃん凄い! 筋が良いよ! 晶さんなんかよりも全然役に立つじゃん!」

「……」

 都市にいた頃のクリスタルアイズは立派にヒーローだったけど……晶さんになってからは生活力が発揮できなかったのだろうか。かなりこう……複雑な気分だ。

「……私も良い先生に出会えてよかったよ」

〈確かに、手先の器用さは姫様に負けず劣らずって所か〉

 そう言いながらセンジュも作業を手伝う。手首だけの肉体、可動域はかなり制限されているはずなのに五本の指先を器用に使って矢じりを紐を使って固定している。

〈器用ですわねー〉

「ハクは手伝わないの?」

〈そんな事をしなくても――〉

 ハクの体が光り輝く。光に溶けるように輪郭が歪むと――

〈こんな形でよろしかったかしら?〉

「おお……」

 さっきまで狐がいた場所には一本の白銀の矢が。

〈なるほど、それがアンタの能力か。道理で姫様が手こずるわけだ〉

 ハクの、そして私の超人としての能力は変身みたいだ。私は自分で作った矢と白銀の矢を持ち比べる。重さも、仕上がりも、色以外の要素で違いは無い。

 そしてあの時の怪物のような姿……センジュの能力が「対象に触れた時」に発動するのだとしたら、私達の場合は「経験したモノのイメージ」が反映されるのかもしれない。

「いや、矢に変身しても一本しか増えないし。それに武器としてはいっぱい無いと意味ないじゃん。ここじゃあ変身する意味は無くない?」

〈あら? そういうことでしたら――〉

 再びハクの姿が発光する。矢から一度狐サイズまで戻って……さらに膨張を続ける。体調が一メートルを超え、すっくと人型が立ち上がると――

〈これでいかがです?〉

「……」

〈……〉

「……」「……」「……」

 そう言って私達の前に恭しく一礼をした。

 声色こそハクのままだけど……その姿は私そのもの! ジッパーの破損に、腹部の血痕と着ているものまで寸分の狂いなくトレースを果たしている。

〈生憎生まれたてで手先の器用さには自信がありませんの。三太様、よろしければ私にも手ほどきをお願いできませんか?〉

 私の顔で上目遣いに、しかも妖艶な声色で要求するハク。驚きで呆けた状態でこんな攻撃を受けてしまったら……刺激が強すぎたのか、三太君はもじもじしながら視線を泳がせている。

「ちょ、ちょっとハルちゃん! なんて事しているのよ! 教育に悪い! 早く止めさせて!」

「止めさせてって言われても……ねえセンジュ!」

「こ……これはこうやって……」

〈こうですか? 難しいですね……もっと近くで、直接手ほどきをお願いしても……〉

 そう言ってハクは三太君の真横に座ってその手に触れて、トドメに瞳を覗き込む。額が触れるかどうかのギリギリの距離感。自分で言うのが悲しいけど、私のどこにまもりお姉ちゃんばりの大人の色気が潜んでいたのか……ハクはそれを武器に三太君の心を鷲掴みにしてしまった。

 骨抜きになった三太君の師匠然としていた自信はどこへやら、立ちんぼうで顔を真っ赤にして完全にゆだっている!

〈いやっ……わりぃ……ぷはははははははは! ちょっと面白れえっはははは! しばらくこのままでいいんじゃねえか〉

「……僕も」

「二郎!」

「ひぃ」

「ハルちゃんも、ハクの飼い主なんでしょ! 止めて。今すぐ止めて!」

 一美ちゃんの教育的指導が私達に向けられる。なんだたづな荒々しく見えて子供たちには都市の教官並みに情操教育を施しているじゃないか。

「いや、それはそうなんだけど……」

 センジュが私の体を離れている今ならば、私は自分の能力を完全に手中に収められると思っていた。けれど、それはあくまで超人化を果たした時限定なのかもしれない。

 分離体として独立している状態のハクに何を呼びかけても手ごたえは全く感じない。どうやら妖精は異形化で宿主と同化してしまうまでは自由に能力を行使できるようだ。自分たちが好き放題出来るかどうかは、合体と言うファーストコンタクトにかかっている。今なら妖精が器にこだわる理由がよく分かる。

 そして都市に無生物型が多い理由も。今みたいに妖精が好き勝手してしまえば秘密もクソも無い。こればっかりはたづな、私が戦士になった後に拉致してよ!

 結局その後はハクの暴走を止めるのに数時間費やしてしまって他の事が出来なかった。ようやくハクが飽きた所で私とセンジュ、二郎くんが大急ぎで武器を作ってノルマ達成。初日からとんでもない失態を見せてしまった……。

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