第二章 もう一つの戦場

2―1

「…………ん……」

 体が果てしなく重い。肉体は地球の底まで落下し続けるように倦怠感という重力に囚われている。なんだろう……自分の質量が二倍に増えたような異物感と、全身に満ち溢れる神々しいエネルギーの脈動という矛盾した感覚は……。

 私は今とても安心している……満足している……。まもりお姉ちゃんは……みんなはどうなったんだろう……。私は死んでしまったのかもしれない……。それもいいか。変な人間に都市の力を奪われるくらいなら……私一人の犠牲で済んだのであれば……悲しいけど……みんなのために――

「――さい」

 ああ……死後の世界ってこんなに温かいんだ……。空想上のそこは度々漫画や小説、演劇の題材になって……その解釈は様々だったけどこんなに良いところなら――

「――さいったら」

 誰かが呼びかけてくる。とうとうお迎えが――

「起きなさいったら!」

「――‼」

 訓練の癖で体は反射的に跳ね起きた。

「うっ!」「痛っ!」

 おでこに衝撃が一つ……。

「いてて……ここは……」

 白い天幕とそれを支える木製の支柱。ごちゃごちゃと敷き詰められた家具にランタンの灯り……これは資料で見た遊牧民の拠点であるゲルの中身だ。

「人ん家でよくもまあぐっすり眠れるもんね」

「ひとんち……?」

 おでこを押さえながら、鏡合わせみたいに頭を抱える少女と目が合う。

 これまた私と同じようなショートカット。違いといえば毛先のカットが粗めってところか。青みがかった黒髪は深海のようで、冷たいけど思わず触れてみたい魅力を感じる。吊り上がった目じりもクールな印象を与えるけど、黒い瞳は輝きに満ちていてうちに秘めた情熱が伝わってくるようだ。

「とりあえず目覚めたみたいね」

「……」

 少女が立ち上がる。

 身に着けている服装は上から黒いミリタリージャケット。下もそれに合わせるように黒いジーンズと動ける格好だ。ポケットからナイフが覗いている所から彼女もまた戦士なのだろうか。それにしては服がぶかぶかというかワンサイズ大きいのではないだろうか。彼女の魅力のおかげでダボつくのを従わせ、クールな感じに仕上がっているけど、服が持つ機能性の面では二割減というか……。

 ……それとどうでもいいけど……。

「……臭い」

「っ!」

「!」

 平手が飛んできた。

「いや……だって……」

 ゲルの天幕に、家具に、この目に映るもの全てどこかしらがくすんでいるというか汚れの無い部分が存在しない。

 少女の服も運動着だから当たり前なのだろうけどあちこちの汚れにずいぶん年季が入っているというか……。

「やっぱ臭い……」

「っ!」

「痛っ‼」

 今度は拳が飛んできた。しかもけっこうガチなヤツ……。

「アンタ人がせっかく自分のベッドに寝させてあげたっていうのに口から出るのは感謝じゃ無くて侮辱なわけ?」

「ベッドって……」

 そう言えば体がやけに沈み込んでいるような。

 シーツの手触りに集中する。反発性無い繊維質の感触。ベッドの端に藁がこぼれている。どうやらこれは大自然が生み出した極上の寝心地だったようだ。

「……おぉ……」

 そして私に掛けられている毛布も獣の皮を剥いで作った物なのか独特の温かさがある。これは……。

「臭い」

「アンタ他に語彙は無いの……」

 今度は何も飛んでこなかった。代わりに相手は呆れてあくびを一つ。「とりあえず仕事が一息ついた」と伸びを始める。

「……そうだ! どこの誰だか分かりませんけど、助けていただいてありがとうございます。でも動けるならもう行かないと。まもりお姉ちゃんたちの下に合流しなきゃ。都市が狙われている。相手は立志式を狙うほどの大胆なヤツ、またいつ襲ってくるか……」

「どういたしまして。お礼だけは受け取っておくわ。でも、アンタが動く必要は無い」

 パチン、と少女が指を弾く。

「なっ!」

「……」「……」「……」「……」「……」

 するといきなり五つの人影が少女の後ろに立ち現れた!

「ねえ様。この人が『最高の器』なの?」

「何だか思っていたよりしょぼい」

「本当に役に立つの?」

「……子供⁉」

 五人中三人は子供だった。十歳くらいの女の子と六歳くらいの男の子が二人、少女の後ろにピッタリとついて……まるで私を警戒しているみたいだ。

「…………と言うか、労働者階級の区画に何で子供がいるの⁉」

 都市では立志式を迎えるまで子供たちは専用の区画で生活する。時折子供たちが他の区画を社会科見学する事もあるけど滞在時間はたかが知れている。この区画には基本大人しかいないはずだ。

 あの戦闘で何かがあって私がここに運ばれたはずじゃ……だったらここは都市のどこかで――

「……一応確認するけど、ここは都市なのよね」

 私の言葉を聞いて少女はニヤリと口角をあげた。

「それなりに頭は回るみたいね。流石私をてこずらせてくれただけはある。あの時まではただの空っぽの器だったのにまさかあんな化け物になるだなんて思ってもみなかったわ。ここまで運ぶの本当に大変だったんだから」

「運んだ? それに『器』って……まさか! あなたがあのミイラ男――」

 超人態は必ずしも性差を発現させるわけじゃない。望む姿や、本人の潜在意識など意識的・無意識的に様々な要素がまじりあって変身後の姿を作り上げる。

「よくもみんなを!」

 少女にミイラ男の面影はない。見た目も、声だってカワイイ。でもこの子がまもりお姉ちゃんたちを滅茶苦茶にしたと言うなら――

 私はベッドから跳ね起きると少女に向かって飛びかかった。さっきまでの眠気が嘘みたいに体中に力がみなぎっている。さっき二回も殴られたのだ。こっちだって一発くらいお返ししてもバチは当たらない。

〈おっと、それはストップだ〉

「⁉っ」

 ツナギの背中がつまみあげられる。動作と言えばそんな程度のものなのだけど、不思議と私の体は力が抜けて……少女の足元へとだらしなく倒れ込んでしまった。

「ご苦労センジュ」

〈全く姫様も人づかいが荒い〉

 いや、ここは妖精づかい、か。背中からピエロめいた軽快な笑い声が響く。けれど……人の気配を全く感じない。正確には誰かいる感覚はある。けれどそれが人間なのだとしたら感じるはずの質量が足りなすぎる。まるで腕だけが背中に張り付いているみたいな……。

「たづな様、センジュをあげちゃっていいの?」

「いや、そろそろ返してもらうわ。超人にとってセンジュの感触はキツイ。それを教えれば無駄に反抗する事は無いでしょう」

 もういい、戻りなさい。その言葉と共に背中がピアノみたいに弾かれる。奇妙な感触、それが背中から肩を抜けて……体を離れると再び起き上がる気力が戻って来たけど――

〈よっ! お嬢ちゃん。俺はセンジュって言うんだ。これからよろしくな〉

「ひいっ‼」

 目の前を横切って挨拶してきたのは――左手首! マネキンみたいな青白い肌に整った断面五本指を器用に使って絨毯の床を華麗に歩いて――

「なに、分離体を見るのは初めてなの」

「ぶっぶっぶ分離体?」

「ああチクショウ! 都市の奴らって本当に都合のいい事しか教えないわね!」

「仕方ないですよ姫。あいつらは超人の事を道具か何かとしか考えていないんですから……」

 少女の後ろに控える二つの影。おそらく男性なのだろうけど、その一つがゆっくりとフードを降ろして私に顔を向けた。

「俺の能力は精神が乱れている相手に効果てきめんでね。悪いけど、説明代わりにこれを見てもらう」

 男の顔がグッと私の目を覗き込む。

「‼――」

 赤黒く日焼けした精悍な顔つき。太い眉毛と無精ひげが男らしさを醸し出す野性的な美丈夫。こんな状況じゃ無かったら舞台の登場人物よろしく私は恋に落ちていたかもしれない。

 けれど……男の顔面にも私が正気を保てない特徴が。私を覗き込んでくる双眸。その片割れはブリリアントカットが施されたような宝石質の輝く眼球。

 異形の瞳が私を捕えた瞬間私の意識は輝きの中で浮遊を始める。

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