ミステリー愛好会の謎解き
宵埜白猫
千歳愛華の暗号解読
キャンパスの端にひっそりと残された旧部室棟。その部室棟を活動拠点にしているサークルは今や我らがミステリー愛好会ただ一つだ。
そうなった経緯にはこのサークルの代表である
ミステリー愛好会は愛華と俺の二人で活動しているサークルで、その活動は二つある。一つは小説や映画、漫画に都市伝説とおおよそミステリーと呼ばれるようなものについてこの部室でだらだらと語り合うこと。
そしてもう一つは――
「誰かいるかい?」
「いるぞ。早く入りたまえ」
ノックと共に聞こえてきた爽やかな声に、自分をすっぽりと覆うほどの大きな椅子に座った愛華が見た目に似合わない口調で返す。
それを聞いてゆっくりとドアを開き入ってきたのは、まるでモデルのような整った顔とスラリと伸びた長身の男だった。
「急にお邪魔してすまないね。君たちに依頼したいことがあるんだ」
彼はふっと笑って、手に持っていた封筒をこちらに差し出す。
そう、これがもう一つの活動。ごく稀にではあるが、謎を抱えた大学の生徒や職員が今みたいにこの部室を訪れるのだ。
まあこっちの活動に関して言えば、ほとんど愛華個人の活動と言っても過言ではない。
「もちろん。僕たちは持ち込まれた謎を無下にはしない。……が、その前に人にものを頼むときにそんなものを付けたままなのは失礼ではないか?」
愛華はそう言って彼の耳を指す。よく見るとイヤホンの様な物が髪の隙間から覗いている。
愛華の口調にまだ慣れないのか、彼は一瞬戸惑った後両耳に付けていたイヤホンを外した。
「おっと、失礼。ついさっきまで聞いていたものだから忘れていたよ。これ、着け心地がよくてね」
「そんな事より、それが依頼か?」
「あ、ああ。今日彼女から貰ったんだけど、これが少し厄介で……見てもらった方が早いな」
そう言うと、彼は封筒から一枚の手紙を取り出して愛華に渡した。俺もその手紙を後ろからのぞき込む。
「これは……」
「ああ、暗号だな」
その手紙の内容はこうだ。
――――――――――――
khlvdvwdonhu
kh=9
lv=12 dv=15 wd=22 on=5
hu=21
――――――――――――
その手紙を一通り見て、愛華は小さく眉をひそめた。
「……なるほど」
「なるほどって、愛華はもう分かったのか?」
「……まあな」
小声で俺に答えて、愛華は依頼人に視線を戻す。
「君はこれを彼女に貰ったと言ったね」
「え? うん。それよりその暗号の答えが分かったのかい?」
「ああ、暗号は解けた。だがそれを教える前に一つ聞かせてくれ。……僕たちのことはその彼女から聞いたのか?」
「うん。この手紙を貰った時に、『もし難しかったら旧部室棟のミステリー愛好会に行って』って言われたんだ」
彼の言葉に「そうか」と言って頷いた後、愛華はそっと目を瞑った。
そんな愛華を前に、依頼人はちらちらと壁に掛かった時計を見ている。なにかこの後予定でもあるのだろうか。
「なあ愛華、この人も急いでるみたいだし早く答えを教えてあげたらどうだ?」
「……ああ、そうだな」
俺がそっと耳打ちすると、愛華は手紙をテーブルの上に置いて解説を始める。
「まず、一番上のアルファベットの羅列は無視していい。重要なのはその下の並びだ」
「並び……あ! この等式、三つのブロックに分かれてるのか!」
「まったく、ミステリー愛好会が聞いてあきれるよ」
愛華が小さな手を額に当ててぼやく。
ミステリー好きと暗号解読が得意なのは別だろ、多分……。
「まあ、この助手見習いは置いておくとして」
「いつの間に俺にそんな肩書きが付いたんだ……」
「次はこの数字だ。君、何かわかるか?」
俺の小言は華麗に無視して愛華は依頼人に質問を飛ばす。
「ん~。あ、もしかしてアルファベットかい?」
「正解、なら答えも分かるだろ?」
「何か書くものはある?」
俺は彼にシャーペンを渡しながら小首をかしげた。
「ここに書いてある数字は最大で22、分けられた三つのブロックは単語の数だ。そして一番上に書かれた無秩序なアルファベットの羅列……ここまで言えば、君にも分かるか?」
「……なるほど」
つまりこの等式は26文字のアルファベットにそれぞれ対応してるわけか。
「できたよ。えっと、I LOVE U」
「……そういうことだ」
答えを見た彼の顔が歓喜の色で満ちる。対象に愛華はどこか気まずそうだ。まあ他人の告白を覗いてしまったのだから仕方ない。
「解読してくれてありがとう! さっそく彼女に会いに行くよ!」
彼はそう言うと、手紙も忘れて足早に部室を後にした。
一応声をかけてみたが、すぐにイヤホンを着けたようで彼は気づかなかった。
「はぁ。まあ気づいたら取りに来るか。……それにしても愛華も気遣いとか出来たんだな」
「は? 君は何を言っている」
「ほら、さっき『彼女に言われて来たのか』って聞いてただろ? あれは愛華なりの気遣いじゃ――」
俺の言葉をさえぎるように、というか明らかにさえぎるために愛華は大きなため息を吐いた。
「僕がそんなことをするわけないだろ。……ちょうどいい、その手紙をもう一度よく見て見ろ」
愛華に言われて手に取って見返したが、特にさっきと変わったところはない。
「重要なのは一番上の文字列だ」
「え? さっきは無視しろって言ってなかったか?」
「それはあいつに知られると都合の悪いことだったからだ」
彼に渡された手紙なのに彼に知られると都合が悪い? どういうことだ?
「よく見ろ。その十二文字の中にH、D、Vだけは二回ずつ出てきている。全体の半分だ。これが無意味なわけないだろ」
「そんなこと言われてもな……実際こんなの、並べ替えても何も出てこないぞ」
「はぁ。……それはシーザー暗号だ。全部二つ前のアルファベットに置き換えて読んでみろ」
シーザー暗号……聞いたことはあるんだよな。
「えっと……、heisastalker」
「そう、He is a stalker。彼はストーカー」
「なっ! ストーカー!? あの人が? で、でも彼女って――」
あのモテそうな爽やかイケメンがストーカー?
「まず、ストーカーが執着対象と交際関係にあると思い込むのはよくあることだ。実際にそれで浮気だなんだと騒いで傷害事件に発展した例もある」
「で、でもそれならなんで女性は彼に手紙なんて渡したんだ? 普通近づきたくも無いだろ」
俺がそう言うと、愛華は「ここからは僕の推測になるが」と前置きして今回の依頼の全てを語り始めた。
「彼女は彼を自分から引き離す時間を作りたかったんだろう。これまで見ているだけだった彼女からわざわざ暗号化された手紙なんて渡されたら、さすがの彼もその解読に必死になるだろうからね」
彼が時間を気にしていたのはそのせいか。てことは俺は愛華が彼を足止めするのを邪魔してたわけか……。
「……なるほど。じゃあ、彼女は今警察に行ってるのか?」
「だろうね。警察がまともに取り合うかは怪しいところだが、……所詮僕たちにできるのはここまでさ」
現実はファンタジーと違って、探偵が真実を見つけても事件が解決するわけじゃない。むしろ今回みたいなタイプの事件は大事にならないと対処すらされないことも多いと聞く。
「……もどかしいな、現実は」
そう呟いた愛華の姿は、いつもより一回り小さく見えた。
ミステリー愛好会の謎解き 宵埜白猫 @shironeko98
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