マスクの女

鮭さん

第1話

 トントントントン、部屋にノックの音が響いた。誰だろう。普通はチャイムを押すものだと思うのだけれど。そんなことを考えながらドアを開く。まあまだ昼だし別に恐れることはない。


 ガチャリ


 女が立っている。長くてやつれた髪にマスクをつけた女だ。見たことがない気がするな。細長い目でじっとこっちを見ている。


「あの、何か用ですか?」


「ああ、あの、この部屋の中に忘れ物をしたのですが。」


 甲高いヒステリックな声だ。かすれ声。この部屋の中に忘れ物?ここは私の部屋だぞ。こんな女、部屋に入れたことはない。気味が悪い。


「ええと、どちら様ですか?ええと、すみません。」


「ええと、この部屋に忘れ物をしたので取りに来たのですが。」


「私の部屋ですよ。」


「はい。この部屋に忘れ物をしたのですが。」


 そう繰り返すだけだ。埒があかない。


「すみませんね。」


 扉を閉めようとするも、


「忘れ物をしたのですが、この部屋に忘れ物をしたのですが。」

 

 女がドアの隙間に手を入れてきた。やけに骨張った手だ。爪が伸びていて汚い。もう恐ろしくて仕方なかった。私は思い切り力を込めてドアを閉めた。


 ブチィッ


 ボトッ、ボトッ


「ああああっ!!」


 扉が閉まると同時に女の中指と人差し指が玄関に落ちた。それはまるで何かの幼虫のようであった。ピクリとも動かない二本の指。


「痛いっ!!いたぃいいいいっ!!痛いっ!!返して!!返してよっ!!私の指っ!!返してよっ!!返してよっ!!」


 バンバンバンバン、バンバンバンバン


 ドアの前で発狂している。


「返してよぉっ!!返してよぉっ!!お願いだから返してよぉっ!!」


 私は震える指で110番にかけた。


「返してよぉっ!!返してっ!!返してっ!!」


 部屋で縮こまって警察を待つ時間は永遠のようにも感じられた。


 トントントン


「警察のものです。大丈夫ですか?」


 男性の力強い声。いつの間にか女の甲高い声も聞こえなくなっていた。


 ドアを開けると制服を着た中年の男と若い黒髪の男が立っている。


「ああ、安心しました。あの、さっき女が来てっ、ええっと、指がもげてっ、ほらっ。」


 指の落ちていたところを見る。確かに玄関に落ちていた筈なのだが、見当たらない。


「あのっ、確かに居たんです。マスクをつけた細い目の女が来てっ....忘れ物をしたんですとか言って....それで....それで....。」


「ああ、そうでしたか....。もしかするとですね....。」


 中年の警察官の顔が暗くなる。


「なんですか?」


「あの...実はですね。昔、10年くらい前かな.....。この部屋に住んでいた女性が山の中で埋められた状態で発見されたんですよ。そしてね、その女性には指がなかったんです。中指と人差し指が。だから....もしかすると....。」


 とてもふざけているようには見えなかった。


「何かあったらまたすぐに呼んでください。」


 こっちへは転勤で来たばかりで頼れる友人もいない。もうこの部屋に一人で泊まることなんてできない。その晩はホテルに泊まることにした。しかし一人の部屋は心細い。仕方ないが。あの部屋にいるよりはましだ。まだ8時とかだが気味が悪い。今晩はさっさと寝てしまおう。コンタクトレンズの洗浄液を取り出そうとバックに手を突っ込む。むにょっとした嫌な感触がする。指に絡まりついてくる。ああっ、ああっ、これはあの幼虫のような....。


「忘れ物をしたのですが。」


 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マスクの女 鮭さん @sakesan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ