おせっかいをやく女

増田朋美

おせっかいをやく女

おせっかいをやく女

春が待ち遠しいというか、そろそろ梅が終わって桃が咲き始めるころだった。そうなると、あと少しで桜も咲いてくれるかなという淡い期待が寄せられる、日本全国なのである。いずれにしても、どこの世界でも桜というものは変わらず咲き続けているのであった。何か困ったことをつくるのは、人間だけである。

そんな中、その日小杉道子は研修会のため富士駅から沼津駅へ電車で向かったのであった。道子が、研修を終えて、さて、富士駅にかえろうかなと、電車のホームに向って歩き始める。道子の前に、ひとりの女性が、カバンをもって歩いていた。彼女は、時刻表を確認するために、掲示板の前で止まった。そして、持っていたカバンの中から手帳を取り出そうとして、その拍子に、カバンの中の財布を落とした。

「あの、これ、落とし物じゃありませんか?」

と道子は彼女が落とした財布を拾い上げて、彼女に見せた。小紋の着物姿の彼女だが、どこか、見覚えがある顔をしている。

「あれ、あなた、どこか見たことが在る、、、。」

道子が思わず言うと、その女性も道子が誰かわかったようである。

「あなたもしかして、小杉さん?」

そう彼女に聞かれて道子は、よくわかったなという顔をした。道子は、一生懸命名前を思いだそうとしたが、なかなか思いだせなかった。

「私、富士の学校にいた、大河原です。と言っても、旧姓ですけど。覚えていらっしゃいませんか?」

と女性に言われて、道子は、大河原という女性がクラスにいたかどうか一生懸命思い出してみた。

「あの、本当に思いだしてくれませんか?小杉さん、小杉道子さんでしょ?ああ、あたしが、あまり目立たない子だったから、もう忘れているのかな?」

と、いうからには、あまり目立たない女性だったのだろうか。そういう子で、着物を着るような子を、道子は一生懸命頭をひねった。

「小杉さんも、私の事は忘れているかもしれませんね。大河原梢ですよ。最も今は、大河原の姓を変更して、犬養梢になっていますけど。」

「大河原梢、、、。あ、あの、確か、看護専門学校に行った!」

道子はやっと、彼女の事を少しずつ思いだして言った。道子が進学した高校は、ほとんどの生徒が四年制大学に進学してしまうので、専門学校というのは、珍しいものだった。そのことで担任教師にえらく叱られていたものだ。でも彼女は、早く看護師の資格を取りたいから四年間も学生でいる暇はないと言って、強引に専門学校に進学してしまった。

「ええまさしく。駿河看護専門学校に進学したんです。と言っても、それからの私の人生は、全然違うものになってしまったんですけど。」

と、彼女は、にこやかに笑ってそういうことを言った。其れは意外だった。あれだけの強い意志を持っているのなら、もう意思を貫き通して、看護師になってしまったのかなと道子は考えていたのだけれど、それとは違うのか。何だか彼女の話を聞いてみたくなった。

「ねえ、今日はどちらに行かれるのですか?」

と、彼女に聞いてみると、

「ええ、今日は、沼津のショッピングモールで買い物をして、これから富士へ帰るんです。」

と彼女は答える。

「じゃあ、一緒に帰れるわね。一緒に電車に乗っていきましょうか。」

と、道子は言って、二人で電車のホームに行った。ちょうどその時、電車がやってきたので道子と梢は

電車に乗り込んだ。

電車はちょうどすいていた。二人は、直ぐに座席に座った。

「それで、大河原さん、いや今は犬養さんと呼ぶべきなのかな。全然違う人生になったっていうけど、何かあったの?」

と、道子は好奇心で梢に聞いてみた。

「ええ、まあ。看護専門学校を出たのはいいものの、勤めた病院で、ひどい目にあって、精神がおかしくなっちゃってね。それで、結婚という形で、病院を辞めさせられたのよ。そのあとは、ただ、膨大な時間がありすぎるくらいあるのが、本当につらくてね。それで資格でも取ろうかって。」

梢はにこやかに笑って、そういうことを言った。

「そうなのね。まあ、人生山あり谷ありだから、しょうがないと言えばそうなるけど、でも、いい経験したじゃない。そういうことができているんだったら、同じつらい思いをしている人の、強い味方になってあげられるわよ。」

道子もにこやかに笑い返した。

「まあ、小杉さんがそういう事言うなんて、珍しいわねえ。あんなに、筋金入りの受験生だった小杉さんが。それで、小杉さんは、医学部には合格したの?」

「そうねえ、、、。」

と、道子は、一寸首を傾げた。

「まあしたというのはしたんだけどね。でも、医者と言っても、ただの研究医よ。本当なら、どっかの病院で大手術をやれるような医者になりたかったけど、それは、なかったなあ。」

「そうかあ。小杉さんもそういうことがあったのね。誰でも、人生は一生懸命やっても、叶わないってことが、あるのねえ。」

梢はちょっとため息をついた。

「それで、看護師をやめて今はどうしてるの?資格を取るって言ってたけど、何の資格を?」

と道子はまた好奇心からそういうことを言った。

「ええまあ、あの、日本には心理学の資格というのはいっぱいあるじゃない。その中で一番簡単なものよ。でも、ホームページ立ち上げて、自宅内でクライエントさんの話を聞くのを仕事にしているけど。ただ学歴はないから、プロフェッショナルカウンセラーというけれど。時間があったから、習うことができたようなものよ。」

そうか。つまり、心理療法か。ある意味医者よりも、重要な仕事なのではないかと、道子は思った。

「そうなのね。結構難しい資格じゃない。それを取れたなんてすごいわよ。どんな人を相手にしているの?」

道子がそう聞くと、

「ええ、いろんな人が来るわよ。うつ病と診断されてて、どうしてもつらい気持ちを聞いてほしいから、ここへ来たという人もいるし、仕事がないから、そのつらい気持ちを聞いてほしいとかいうひともいるわ。いずれにしても、みんなどこか不安で、私になんでもいいから聞いてくれっていうひとばかり。本当は、そういうひとたちの間違いを是正してあげて、彼女たちが、もう少し楽に生きてくれればいいのにね。」

と、梢は照れ笑いをしていった。

「そうなのね。でも、そういうことをやれるテクニックを身に着けたのなら、看護師をやめてよかったじゃない。そのおかげで、又大事なことをやれる仕事につけたんだから。医者は病気を治すことしかできないけど、あなたみたいな人は、クライエントの人生も変えられるわ。」

道子がそういうと、

「そうね。あたしも、そういう大役に就けたらいいんだけど、今は、とにかく聞いてほしいというひとばかりで、そういう大役はもらえないのよ。まったく、そういうことができればいいのにね。」

梢はちょっと不満そうに言った。

「そうなのね。それなら、良い人がいるかもしれないわ。あたしが紹介して、あなたが施術をするようなことはできないかな?」

と、道子は彼女をおだてるというつもりはなく、素直に感想を言ったつもりで、そういうことを言った。

「まあ、そういうひとが、何処にいるのかしら?」

と、梢はそう確認するようなことを言う。

「ええ。いるいる。すごくかわいそうな人が。」

道子は、にこやかに言った。

「この後、時間ある?時間あれば、一寸彼の家というか、住んでいるところに行ってみましょうか。」

梢は少し考えて、

「ええ。それならそうするわ。どうせ家に帰っても、主人は帰りが遅いし、子供もいないから、家に帰っても、ひとりでぼんやりしているだけだわ。」

といった。ちょうどその時、車内アナウンスが、富士駅に到着すると言ったので、道子と梢は急いで座席から立ち上がった。数分後に電車は富士駅に到着して、二人は電車を降りた。そして、急いでタクシー乗り場に言って、タクシーを拾い、製鉄所に向って、走ってもらった。

「ずいぶん、田舎の方に住んでいるのね。まあ確かに、田舎は個人社会というより、村社会でもあるから、一寸不自由な人が居ると思いますから。」

梢は、タクシーの窓から見える景色にそう感想を漏らした。確かにそういうことを、心理関係の人なら漏らすことがあるかもしれない。

「まあそうね。お客さんになりそうな人物は、その村社会というか、それにも所属できない人なのよね。」

道子は、梢が言った感想にそう反応した。

「お客さんつきましたよ。この建物の前でいいんですね?」

と、運転手が間延びした声で、タクシーを製鉄所の前で止めた。製鉄所と名乗ってはいるけれど、今は、鉄をつくる工場ではなく、勉強したり仕事をしたりする場所を貸す施設になっている。

「はいそうです。じゃあ、また帰りも乗せていただけますか?」

道子が運転手にお金を払いながらそういうと、運転手は、その領収書の電話番号にかけてくれと言った。二人は、製鉄所の玄関前でタクシーを降りた。

「こんにちは、水穂さんはいますか?」

と、道子は、インターフォンのない、玄関を勝手に開けてそういうことを言った。すると出てきたのは、影山杉三こと、杉ちゃんであった。

「なんだ、またラスプーチンが、新薬の自慢話をしに来たな?」

と杉ちゃんは、嫌そうな顔をする。

「いいえ私は、その事をしようとしたわけではないわよ。杉ちゃん、私を歴史上の悪人と同じにしてしまうのは辞めてね。」

道子は、靴を脱ぎながらそういうことを言った。。

「で、ラスプーチンが今日は誰か相方を連れてきたのか?」

「ええ、この人は、心理療法家の犬養梢さん。彼女だったら、水穂さんの心にたまっていることを効いてくれるかもしれないと思って、連れてきたのよ。」

道子がそういうって、梢を杉ちゃんに紹介した。梢が、よろしくお願いしますと言って軽く頭を下げると、

「まあよろしくな。あがってくれ。」

杉ちゃんはぶっきらぼうに言った。

「じゃあ、一寸この部屋に来てくれ。」

杉ちゃんに言われて、二人は製鉄所の四畳半に行った。

「おい、ラスプーチンが相方を連れておせっかいしにやってきた。まあ、大変だと思うけど、相手にしてやってくれよ。」

と、杉ちゃんに言われて、水穂さんは目を覚ました。道子はそのげっそりと痩せてしまった水穂さんを驚きの顔で見た。

「嘘!何でこんなに進行したのよ。あたしがだした新薬を飲ませていればここまで重症化しないはずなのに。」

「そうなんだけどね。あの薬は水穂さんがやけどしちゃうから、あんまり出させても、意味がないんだよな。」

と、杉ちゃんは間延びした声で言った。

「これじゃあ、まるで話もできないじゃないの。ここまで弱ってたら、体力的に、、、。」

「そうだけどしょうがないの。あきらめてくれや。」

そういわれても、杉ちゃんの言うように、簡単にあきらめるというわけにはいかなかった。

「其れなら、もっと強い免疫抑制剤があるわ。其れを処方するから、水穂さんに。」

と、道子は急いでタブレットを取り出そうとしたが、

「そんなもんいらないよ。そういうものを使っても良くなりはしないよ。まあ、あきらめてくれ。後は、こいつの悩んでいることを聞いてくれればそれでいいや。」

と、杉ちゃんが直ぐに言った。

「いいえ。まだ望みはあるわ。最後まであきらめちゃダメなのよ。医療というものはそういう事。心理学だってそういう事でしょ。だから、少しでも良くなってもらうように、何とかしようとしなければ、いけないわよきっと。」

道子は杉ちゃんにそういったのであるが、同時に水穂さんがせき込む声がする。道子はすぐに喀痰吸引機を使うようにといったが、杉ちゃんはそんなもの使いたくないと言った。そうして、杉ちゃんが水穂さんの体を横むきにして、彼の背中をさすってやりながら、中身を出すのを助けてやっているのを、何もできないまま眺めていた。

「なんでそうなるんだろう。そうやるより、吸引機使って、楽にしてやるべきなのに。」

道子が思わずつぶやくと、

「いや、あの機械は使いたくないよ。水穂さんがかわいそうだ。」

と、杉ちゃんは言った。

ちょうどその時。

「こんにちは、水穂さん、具合いかがですか?」

玄関先で男性の声がする。

「まずい!どうしよう!」

と杉ちゃんが声を上げると、

「私が言ってくるわ。何かのセールスマンとかそういうひとよ。」

それまで黙っていた、梢が、玄関先に向って走っていった。

「今日は、誰か来てもらう予定でもあったの?」

道子が不服そうに杉ちゃんに聞くと、

「まあ、涼さんに施術してもらうところだった。」

と、杉ちゃんは答えた。

「そうなのね。でも、こんなにつらそうな状態では、一寸難しいかもしれないわね。杉ちゃん、どうして、私の勧めた薬とか、水穂さんに出してあげなかったの?そうしていれば、ここまで弱ってしまわなかったかもしれないわよ。」

「はいはいわかったよ。それはそうなのかもしれないが、水穂さんが余計にかわいそうになるもんでね。薬の副作用とかそういうのでつらそうなんだもん。だから、そのままにしてあげた方が良いなあって思ったの。」

杉ちゃんは、道子の言葉に表情も変えないでいった。

「専門的な、医者に見せるとか、そういうことはしなかったの?」

道子はまたそういうと、

「まあ、無理だからねえ。水穂さんの事を話すと大体のやつはさじを投げちゃうんだ。其れはつまり、ここまで重い奴は相手にできないということだろうな。いろんなサービスに問い合わせてみたけどな、結局ダメになるんだよね。それもしょうがないよ。それが、同和問題ってもんだろ。来てくれるのは、影浦先生と涼さんだけだよ。」

杉ちゃんは言った。

「無理だからって、あきらめてしまうことはないでしょう。誰かに救いを求めて、御願いすることは患者さんの権利なのよ。其れを放棄してしまうことも、又いけないことだと思うけど?」

「そうですかねえ。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「それは、たぶん、水穂さんのような人でない人が、そういうことになるんじゃない?」

「杉ちゃんごめん、もう疲れたよ。」

杉ちゃんがそういうと、やっとせき込んだのが止まった水穂さんが細い声でそういうことを言った。「ああ、すまんすまん。ここでガチンコバトルしても意味がないんだけどね。」

杉ちゃんはそういって水穂さんの体を仰向けにしてやって、急いで布団をかけなおしてやった。

「しばらく寝かしてあげようぜ。まあ、こういうことでも疲れるよね。」

布団を整えながら、杉ちゃんは言った。玄関のほうでは、涼さんと梢が何か話しているのが聞こえて来た。解釈によって、どう取られるかは別の話であるが、涼さんと梢は次のように話している。

「そうなんですか。水穂さんは、そんな事情があるのですか、、、。」

「ええ。そのせいで、一般的な医療とか、そういうものとは御縁がなかったんですよ。だから、僕みたいなものでないと、彼もまた援助してもらえないんですよ。彼自身も、自分の抱えている問題で、苦しんでいることは間違いありませんし、どうしても、援助するとなると、普通のひとではおごり高ぶってしまうか、あるいは嫌気がさしてしまうことでしょう。」

涼さんは、盲人であるせいか、いいたいことは遠慮なく言ってしまう癖があるようだ。目的の建物まであと何歩と勘定するだけではなく、もう一癖あるようである。

「ですからね。犬養さん。もし、あなたも施術者として資格を保持しているのであれば、水穂さんの事を本当に支えていける自信があるかどうか、考え直してください。水穂さんのような人にかかわったことで、多かれ少なかれ、批判をあなたも受けることになるはずです。其れに耐えられるか耐えられないかは、又別の話。多くの人は後者です。」

道子は、涼さんのその言葉を聞いて、自分はもしかしたら、梢に悪いことをしてしまったのかもしれないと思った。もし、高名な資格を持っている梢に、水穂さんのような人をクライエントにした場合、絶対にあの人は、嫌な人を相手にしているからやめるという別のクライエントが出てしまうかもしれない。そうなったら、不幸になるのは梢の方である。

「そうですか。でも私は、すくなくとも、水穂さんのお力になりたいと思います。」

梢は、涼さんに向ってそういうことを言っているのが聞こえてきた。

「そうですか?でも、水穂さんを相手にしていくというのは生半可な気持ちではできません。それは、あなたが何もしていないのに、危害を受けるということなんですよ。あなたは、それに耐えられるか、と言ったら、僕はどうなんでしょうねと答えますね。全盲である分わかりますよ。声の口調とかそういう事で、どれだけ覚悟があるのかとか。」

「よかったな。涼さんがそういうことを言ってくれるのなら、水穂さんも変なおせっかいが付かないで済むよ。」

杉ちゃんは、それを聞き取ってため息をついた。

「余計なおせっかいされても、水穂さんが楽になるわけじゃない。かえって、本人も周りのひとも大損をするから、それなら来ないでくれと涼さんは言っている。やっぱり、そういうひとがいてくれてよかったよ。」

杉ちゃんの言う通りだと道子は思い直した。確かに、水穂さんの抱えている問題が解決するには、日本の歴史を変えなければならないのだ。それを犬養さんに押し付けるわけにはいかない。誰だって、そういうことはなるべく避けたいだろうし、平穏な生活をしていける事を何より望んでいるはずなので。

それなら、もうあたしたちの出る幕は終わったのかなと道子が考えていると、玄関先で犬養さんが、こういっているのが聞こえてきた。

「いいえ、私、やってみます。今まで、順風満帆に人生を送りすぎてしまった私がばかだったんです。これは、そんな私への罰だと思って、私は、水穂さんのお相手をすることにします。先生が持っていらっしゃる覚悟というものを、私も勉強させてもらうのはダメでしょうか?」

この言葉には、杉ちゃんも道子も意外だった。

「今時珍しいな。そんなこと言うやつが出るなんて。」

杉ちゃんが苦笑いしてそういうと、

「犬養さんが、そんな強い一面を持っているとは私も知らなかった。」

道子はため息をついた。






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おせっかいをやく女 増田朋美 @masubuchi4996

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