やってきた人

クララ

やってきた人

 いつものメンバーが集まった夜。私が旅行に行くと知ったけんちゃんが、占いをやってくれると言い出した。思いつきのなんちゃって占いだ。

 

 スペードのエースが最も危険なカードだと決めたけんちゃんは、私に質問し三枚のカードを引かせた。

 それを並べて順に説明していく。その内容は実に馬鹿馬鹿しいものだったけれど、夏休みの初めの浮かれた夜にはぴったりで、私たちは大いに盛り上がった。

 けれど突然、水を打ったように静かになった。スペードのエースだ。


 「質問を変えよう」とけんちゃんが言って、手早く切り直す。新しく並んだ三枚のカード。けれど最後の一枚は、やっぱりスペードのエースだった。

 「冗談はやめてよ」と誰かがつぶやいた。「こんな冗談面白くないから」と誰かが言った。それでもけんちゃんは無言でカードを切り続ける。そして、顔を上げると「これが最後だ」と囁いた。


「みさきはこの旅行で誰かに会いますか?」


 なにそれ? 恋愛運? そう言おうと思ったのに口の中がからからで声にならない。答えはもう決まっているような気がした。二枚のカードを続けてひっくり返したけんちゃんが、喉の奥から絞り出すような声を出す。


「みさきがよく知っている人がやってくる、いや、知っていた、かな。でも、その人はもう、みさきの知っていた頃のその人じゃない。だから、呼ばれても行っちゃだめだ」


 誰も口をきかなかった。ただけんちゃんの手元を見つめていた。「もし、一緒に行ったら」とつぶやいて、けんちゃんが最後の一枚をめくった。スペードのエースだった。


「みさき、いいか。誰がきても絶対について行っちゃだめだ」


 誰かがひゅっと息をのむ音が聞こえた。照明を落とした部屋の中で、カードの白さが揺らめいていた。


 その夏の終わり、私は歴史的建造物を回るツアーに参加した。相部屋希望で出したのに、なぜか一人部屋だった。グループにはもう一人相部屋希望の女の子がいて、お互い一人部屋をあてがわれたことに首をかしげあった。


 そんなツアーの中日、バスに揺られること半日、二日間だけの滞在予定で私たちは郊外の町へとやってきた。何世紀も前の、古い貴族のお屋敷を改装したホテルに泊まるのだ。


 石造りのお屋敷は四階建てだった。一階がレストランやホールで、二階から上が客室だ。

 玄関前でホテルを見上げた時、四階に並ぶ半円形のバルコニーに気がついた。外壁の色が他の階とは少し違う。それは長い時間の流れを感じさせた。もしかしたら、あの階だけはこのお屋敷ができた当時のものなのかもしれない。

 

 鍵が配られるのを待つ間、私は庭にいた。刈り込まれた生垣、ニンフが支える噴水、崩れかけた古の女神像に薔薇のアーチ。まるで中世の午後にタイムトリップしたかのようだ。

 その中を鎖帷子の騎士が歩いてくる。はっとして見直せば、それは鍵を手にしたガイドさんだった。手渡された鍵は、魚の骨のような不思議な形をしていた。それはずっしりと重かった。

 

 エレベーターなどないお屋敷の、赤い絨毯が敷かれた階段を上る。他の参加者たちとは二階で別れた。上に行くのは私だけだ。


 吹き抜けの緩やかな螺旋階段。その天井の高い所に美しいシャンデリアが輝いている。一段上るごとに明るさが増し、さっきまでは仄暗い影の中で揺らめいていた調度品や絵が、鮮やかに浮かび上がり始める。まるで時間を遡っていくような感覚だ。不思議な騒めきがひたひたと満ちてくるようだった。私は誰にも会うことなく、四階まで上っていった。

 

 廊下の壁には燭台を模したライトが並んでいた。その明かりは控えめで、長い廊下の先は暗くてよく見えない。一つ一つドアの番号を確かめながら歩く。廊下の中ほどで見つけた自分の部屋の鍵穴に、私は魚の骨を差し込んだ。

 入ったけれど回らない。ようやく回ったと思えば今度は手応えがない。悪戦苦闘していたら、いつの間にか私の隣に、微笑みをたたえたボーイさんが立っていた。


「ッ!」  

 

 危うく叫ぶところだった。全く気がつかなかった。私はどうにかそれを飲み込んで、ぎこちなく微笑み返した。

 時代がかった制服をきちんと着込んだ彼は美しい彫像のようだ。魚の骨を優雅に操って解錠してくれた。私がお礼を言うとまた微笑んで、廊下の奥の暗闇に、すっと溶け込むように見えなくなった。

 

 覗き込んだ部屋の中は真っ暗だ。廊下からの光を頼りにドア横を探ればスイッチはすぐに見つかった。ぱちりと音がして明るくなる。ほっとしてドアを閉めた。

 けれど内鍵が見つからない。そこにあるのは鍵穴のあるドアノブだけ。もしやと思って鍵を差し込めば、かちりと音がして鍵がかかった。内側にも鍵……なんだか胸がざわざわした。


 絨毯も壁紙も美しかったけれど、まるでがらんとした石造りの部屋のような冷え冷えとした空気が漂っている。奥の壁に精巧な細工がびっしりと施された木製の大きなベッド、反対側は暖炉で、その上に大きな鏡がかかっていた。

 四隅が暗闇に溶け込むかのような鏡面は、まるで底知れない湖のようだ。こっちを見ているのは果たして自分なのだろうか。私は寒気を感じて、思わずぶるっと身を震わせた。

 きっと部屋が暗いせいだ。そう思った私は急いで窓を開けることにした。高い天井近くから下がっている分厚いカーテンをかき分けると、レースのカーテンと観音開きのガラスドアがあった。


 押してみたがびくともしない。なぜだろうと視線を落とすと、足元に向かって鉄の棒が伸びているのが見えた。その先が深々と床の穴に刺さっている。どうやらそれが鍵らしい。

 私は鉄の棒に手をかけた。しかしそれは重くて片手では持ち上がらなかった。両手で持ち直し力を込めて引き抜けば、窓はゆっくり左右に開いた。


 日差しと風を感じる。私はようやく閉ざされた空間から逃げだせたと思った。けれどバルコニーは二人も立てば一杯になってしまうような大きさで、そこに立った瞬間、逆に追い詰められたような気持ちになってしまった。

 歴史ある建物に胸をときめかしていたはずなのに、一転してなんとも言えない緊迫感が膨れ上がってくる。相部屋でないことがひどく悔やまれた。

 暗い部屋に戻りたくなかった私は、夕食の時間まで、外の光を求めて窓辺に座っていることにした。けれどすぐに、最後の光は空に吸い込まれていった。

 

 立ち上がって窓を閉め、鉄の棒を再び差し込む。ずっしりとしたカーテンを引くと、一気に囲まれたような感じがして、思わず体が強張った。考えすぎだと頭を振り、足早にドアへと向かった。

 鍵を使って内側からまず開ける。二、三度やり直したが無事に開いた。帰ってきた時のことを考えて明かりは消さずにおく。外からももちろん鍵をかける。これもどうにかなった。


 一体全体どうしてこんなことに……疑問に思わずにはいられなかったけれど、ほんの数分後には、それどころではなくなってしまったのだ。

 誰一人、私のような部屋には泊まっていなかったのだ。あまりの衝撃に言葉を失った。あれこれ説明する気力はもはや私にはなかった。

 夕食になにを食べたのか覚えていない。やがて解散となり、私の胸は嫌な速さで鼓動を刻み始めた。けれど帰るしかない。

 

 一人階段を上れば、踊り場に立つ甲冑の騎士と目があったような気がした。脇の長椅子に誰かが腰掛けているような気がしてならない。あちらこちらから、見えない視線がねっとりと絡みついてくるようだ。激しく脈打つ心臓が、今にも口から飛び出してきそうだった。

 

 骨を差し込み、震える手で鍵を回した。それはいとも簡単に開いた。入ることをためらわずにはいられないほどだ。しかしそうはいかない。意を決して滑り込む。

 部屋の明かりはちゃんとついていた。それに胸をなでおろしたものの、さっきよりも室温がずっと下がっているのを感じた。内側の鍵が音を立ててかかった時、ぞくりと背筋に寒気が走った。

 すぐに寝てしまおう。とてもじゃないけれど、お風呂に入る勇気などなかった。鏡に背を向けて私は着替え始めた。 

 

 その時、光がゆっくりと弱くなった。私ははっと息をのんだ。消える手前でまたゆっくりと明るくなる。繰り返されるその強弱は、まるで呼吸のようだ。すぐそばに誰かがいて、その存在を示しているのだと思わずにはいられなかった。背中を冷たいものがつたい始める。

 これはきっと接触不良。私は自分に言い聞かせる。それしかできなかった。

 今にも崩れ落ちそうな膝を励ましながら、怪しく揺らめく光の中でどうにか着替えた私は、けんちゃんに渡されたお守りを握りしめて、とにかくベッドに飛び込んだ。


 眠れ、眠れ、眠れ、私。胸がばくばく鳴って、体がぐらぐら揺れている。こんな状況で眠れるとは思えず泣きたくなった。しかし移動の疲れが出たのだろうか、いつしか私は眠りに落ちていた。

 

 ふと、寒さを感じた。目の前には早朝の藍色の空が広がっていた。

 空! 私は飛び起きた。観音開きのガラスドアは全開だった。カーテンは目一杯開かれ、重い鉄の棒は外されて横たわっていた。それは信じられない光景だった。


「誰か、きたんだ……」


 けれど私は深い眠りの中にいて、ついて行くことはなかった。けんちゃんのお守りが守ってくれたのだと、そう思わずにはいられなかった。


 このホテルには隠された特別室があって、世界各地からそれに憧れる人々が集まるのだと言う話を聞いたのは、帰り道のバスの中だった。私はただ、遠くなっていく建物を見つめるしかなかった。


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やってきた人 クララ @cciel

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