第8話 最初が肝心

「ほい、回復」


 偽善の杖をかざすと同時にリーシャの傷がみるみると癒えていく。


 リーシャはレベルが低いだけあって全回復にかかる費用はウチのメンバーの数百分の一以外だ。それでも銀貨数枚程かかるが、速効性のポーションを買うことを考えればかなり安くつく計算だ。


 もう既に何度繰り返されたとのつかない光景ではあるが、回数を重ねる事にリーシャの顔つきが変わってくる。


 それはマッドボアリザードとのやり取りのなか、経験値を獲得し、幾分かステータスが上昇した事もあるだろうが、本質はそこでは無い。



 それは痛みと恐怖への慣れだ。


 実の所、痛みに慣れている冒険者というのは案外少ない。


 と言うのも、効率は最悪でも弱い敵を倒し続ければまがいなりにもレベルが上がる世界だ。


 ゆっくりレベルをあげつつ、危険の少ない狩場でのみ稼ぐようなタイプの冒険者は案外おおい。それは冒険者としてデビューしたての頃に同格近いモンスターと戦い怪我をした記憶が半端にトラウマの様にこべりついてしまう事で発生する。


 人間普通に生きていれば骨を折るような機会もすくないし、何針も縫わなければならないような怪我をする事は稀だ。



 強烈な痛みというものは人の思考を簡単に鈍らせ、心を挫く。



 そうして痛みから逃げてきた屈強な冒険者が、いざ大怪我してみれば、素人も同然にのたうち回るという光景も実は珍しくもない。



 だからこそ、最初が肝心なのだ。



「……もう止めるか?」



 そう縋り付きたくなるような言葉をなげかけ、リーシャの姿をみる。




 コレで心が折れてしまうようなら、そこまでだ。コチラから援助はするが、本人の希望のギリギリの攻略を常に歩むような主力パーティではなく、自由にやって貰う枠として活動して貰うことになる。



 さて、リーシャはどっちなのだろうか?


 可能なことなら後者である事を願っている。



 前者を選べるような奴は結局のところ、あのバケモノ達と同類であるという査証となるからだ。これ以上バケモノの面倒なんか見ちゃいられない。


 それに、そんな俺の事情を差し引いたとしても、そんな道は修羅の道である事に変わりはないのだ。


 年端も行かない少女に歩んで欲しいと願える道ではない。



 そう思いを巡らせ時を待つ。



 そして、リーシャが選んだ道は……



「……めません」


「ん?」


「やめません!!」




 覚悟を決める道だった。



 どれだけ怪我を負うとしても仲間が回復がそれを癒してくれるなら、痛みはノイズでしかない。


 所詮痛みは身体が脳に危機を知らせるシグナルだ。必要だから出しているのであり、生命や精神に重大な負荷をかけてしまうような痛みは自然とシャットアウトされる。だからこそ痛みという奴は在り方しだいで如何様にもコントロールする術はある。


 スっとリーシャの顔つきが変わった。


 おそらく『痛覚無視』、あるいは『痛覚耐性』辺りのスキルを発現させたのだろう。



「私は……決めたんです!!誰かを救えるような……そんな冒険者になるって!こんな事くらいで諦める気なんて毛頭ありませんから!!!」



 そうしっかりと毒蛇のアギトを構え迫り来るマッドボアリザードへと向き直った。


 そして真っ直ぐにその刃をマッドボアリザードの瞳へと突き立てる。それでもマッドボアリザードは「グギャ!!!」と潰れたような声を出しながらリーシャをこれでもかと跳ね飛ばすが、再び突進しようと切り返す足が明らかに縺れているのが見て取れる。



 それでもあと数回程度は突進する事も可能だろうが、これは勝負ありと言うやつだ。



 油断すること無くリーシャを回復させ、様子を見るものの、マッドボアリザードはみるみるうちに弱って行き、遂にはその巨体を横たえさせる。


 リーシャはそれにひるむ事なく、その頭に馬乗りになると、毒蛇のアギトの柄にむかって思い切り拳を叩き込んだ。


 流石のマッドボアリザードとて身体の内部全てが硬い訳ではない。


 アギトはバキリと頭蓋を穿ち、ビクンとその身体を跳ねさせる。それは断末魔であり、リーシャがこの巨獣を打ち倒したと言う証だ。



「はぁ……はぁ……」


 リーシャは少しの間、肩で息をしつつもその事実をゆっくりと咀嚼していく。


 そして、張り裂けんばかりの声で叫んだ。



「やっ!やりましたよ!エリオさん!!私、マッドボアリザードを倒せました!コレで私の事少しは認めて貰えますか!!?」


 それは何かを成し遂げた者の顔だ。


 なんと言うか、その表情に仲間たちの面影が重なる。



「ん、おめでとう。認めるよ、君はやっぱり俺達に相応しい仲間だ」


 だからこそ俺はそんな彼女を笑顔で出迎える事にした。彼女は言葉でも行動でもキチンと覚悟を示したのだ。ならば次は俺が誠意を見せる番であろう。



 こうなれば、思いつきつつも試す機会のなかった効率的な育成計画を実際にやってみる事もできるはず。



 かなり辛いメニューになるとは思うが……この子の覚悟の決まり方なら恐らくは大丈夫だ。



 思わず口元がニヤける。



「ひう!?あっあの、その……その笑顔は……なんなんでしょうか?」


 リーシャはそんな俺の思いが伝わったのか、その身体をピクンと震わせた。


 なんと言うか勘が鋭い子だ。そう言う意味でも暗殺者向きな性質をしていると言える。



「なに、早速次のマッドボアリザードが来たなーって思っただけだよ。ほらほら、はやくナイフを引き抜かないと攻撃手段がなくなっちゃうよ」


「ふえっ!?」


 先程の勝利の叫びにマッドボアリザードが引き寄せられたのだろう。



 ドドドドと地響きが聞こえてきたかと思ったら、それは土煙を巻き上げながら一直線に何かが此方へと向かってくる。


 それはマッドボアリザードの言わば群れだった。



「ひゃっ!?ひゃあああ!!?ええええ、エリオはん!?いくら何でもあの数は……!無理です!無理無理!早く逃げましょう」


 リーシャはそれを認識すると、途端に叫び声をあげた。



 まあ、自分の力量をしっかり把握できているのだろう。これがアレン達なら逆境に脳内麻薬がドバドバではじめ、変なテンションになる所である。


 ああ、普通のリアクションに癒される。


 とは言え、リーシャにこの数の相手が出来ないという事実は本当だ。まあ、逃げることは不可能ではないが、可能性はひくいだろう。



 そもそも、先程のマッドボアリザードを倒した事で多分俺よりリーシャの方が既にステータス的には強くなってる。



「いやーアレから逃げるのは流石に無理じゃないかな?近づかれたら俺も勝てないし」


「ふええええ!?じゃっ、じゃあどうするですか!?わっ、わかりました!ここは私が囮になります!エリオさんだけでも……」


 そうリーシャは俺の前に出ようとするが、その脚はカタカタ震えていた。


「だからちがうって」



 そんなリーシャを俺はひょいと押し退ける。



「近づかれたら終わりとはいったけど、近づけさせるとも言ってないからね。まっ、俺も俺の戦い方を見せて置くにはいい機会だからさ」



「まっ、見ていなよ」



 そして、俺は迫り来るマッドボアリザードの群れの前へとその身体を差し出した。

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