第4話 ユビレウムと薔薇喰いの剣
「すまなかった」
「いや、うん、人違いならしかたない」
あのあとしばらく殴られた俺は、なんとか彼女の誤解をとき、簡易的ではあるが治癒魔法を使って頬を治しているところだ。
「この部屋は、黒き血の者しか入れないとユビレウムに言われていたから、つい腹が立って殴ってしまった」
「あれ? 俺もしかして腹いせに殴られた?」
「だって、もう何年も一人だったのだ。キミがユビレウムではないとわかっていても、気が済まなかった」
「八つ当たりかぁ」
ソファで膝を抱えるアストリットは、子供のように頬を膨らます。
「ずっと、ずっと待っていたのだ。黒き血を持つ者を。ユビレウムは、いつか私が必要になったとき、必ず黒き血の者が迎えに来ると。そう言っていた。……もう、何百年も前の約束だ。ユビレウムはきっともう生きてはいないだろう」
「あのさ」
しょんぼりとしていたアストリットに、俺はずっと疑問に思っていたことを投げかける。
「黒き血の者って、『薔薇喰いの剣』に出てくる人だよね? キミはそのお伽噺を、なにか知っているの?」
俺の問いに、アストリットはきょとんとして顔をあげた。
「『薔薇喰い』は私のことだが?」
「……は?」
「そうか、お伽噺にされているのか。私は《薔薇喰いの剣》アストリット。黒き血を持つ魔術師ユビレウムに生み出された魔剣だ」
なに、この衝撃の事実。
《薔薇喰いの剣》は、まさかのアストリットだったとは、ちょっと俺も驚いてしまう。
しかし、それならそれで、アストリットが一人でここにいたことも納得できる。魔剣として存在するのなら、飲まず食わずで何年も過ごすことができるだろう。
だが。
「証拠は?」
「ん?」
「証拠が欲しい。俺は黒き血の者と薔薇喰いの剣について調べてるんだ。アストリットが薔薇喰いの剣だというなら、その証拠が欲しい」
「証拠か。わかった」
そう言ってアストリットは立ち上がると、おもむろに右手を振った。
俺には聞き取れない、囁くような声でアストリットは詠唱を始め、淡い光に包まれていく。
ゆっくりとアストリットの靴が銀色を帯び、鋭利な刃のように変わっていった。
少女の体が、一本の剣へと変化していく。
その光景は、とても美しかった。
やがてその体がすべて剣に変わったとき、俺は「薔薇喰いの剣」の意味を知った。
黒い棘が、赤い薔薇を呑み込むように包んでいる。
アストリットだったものには、その装飾が施されていた。
人々を魅了した、美しい剣。
「これでどうだ。私が間違いなく《薔薇喰いの剣》だと証明されただろう?」
勝ち誇ったようなアストリットの声がする。
「いや……信じられない。キミが薔薇喰いの剣だったとして、キミは『待っていた』と言った。お伽噺を信じるなら、薔薇喰いの剣が持ち主を喚ぶはずだ」
「……そうか、そういう話になっているのか」
再び光に包まれると、アストリットは少女の姿へと戻る。
「まだ名前を聞いていなかった。キミ、名前は?」
「ハル。ハル・グレーフィンだ」
「ハル。今この世界に魔物はいるか?」
「魔物?」
たしか、お伽噺では黒き血の者と薔薇喰いの剣は世界を救ったと語られていた。
「私は待っていたのだ。私が使われる日を。私は『魔物が再び現れる日』を待っていた。つまり、再び魔物が現れた時、私は新たな持ち主を喚ぶことができる」
「待った。それだと俺がここにいるのが説明できていない」
「わからないのか。今、世界が再び混沌と化そうとしているのなら、私を喚び、魔物を討つのはキミだ。ハル」
「魔物が現れたなんて話は聞いたことがない」
「では魔物ではないかもしれん。いずれにせよ、世界が滅ぶ予兆があったからこそ、私とハルは出会った」
「いや、俺はただ資料室に来ただけで、偶然――」
「ハル。世界に偶然はない。すべて必然で、世界の意思だ」
めちゃくちゃなことを言われている。
「そもそもなんでアストリットは学院に封印されていたんだ? もっとしっかりとした場所があっただろ?」
「学院?」
アストリットは首を傾げた。
「ここは学校なのか?]
「ドフトボルゲ魔術学院だよ。聞いたことは?」
ゆるりとアストリットは首を横に振った。
「その学院の名に覚えはないが……なるほどな」
彼女にはなにかわかったようで、数回頷く。
「今私たちがいるのは、ユビレウムが用意したギーサヴォア城の隠し部屋だ。この部屋は魔術師が召喚するということで開かれる、入口のない部屋だ。ユビレウムは魔術学院に召喚用の魔法円を残し、キミがその魔法円を起動した」
「そんな偶然」
「さっきも言った。すべては必然。世界の意思。世界は私とキミの邂逅を望んだ。救いを求め、偉大なる魔術師ユビレウムが遺した私と、学院に居合わせたキミに」
謡うようにアストリットは言うが、俺には偶然としか思えなかった。
資料を探した先で、本物に出会えるなんて、そんな奇跡――
「資料室!?」
そうだ、俺は資料室に来ていたんだ。慌てて時計を確認すると、二本の針は二十二時を指していた。
「門限、すぎてるじゃないか! アストリット、ここから帰るにはどうしたらいい?」
「なんだ、帰るのか。さきほど言ったが、ここは入口のない部屋。当然、出口もない」
「は!? 嘘だろ!」
門限を守らなかった場合、夕食は無い。レポートは書かされるし、一ヶ月は外出を許可されない。
「まあ、嘘だ。出口がないなら作ればいい」
アストリットはにんまりと笑う。
「察するにキミはなかなかな魔力を持っているようだが、魔術師としては未熟だ。私が力を貸してやってもいい」
「本当か!? 恩に着るよ、アストリット」
「しかし、タダでは貸せぬな」
「お、おいくらデスカ……」
「私を連れて行ってくれれば、私はキミに力を貸そう。ホレ、私はキミがだぁい好きな《薔薇喰いの剣》だぞ? 世界中が求めてやまない美しい剣を独占できるのだぞ? 悪い話じゃないだろう?」
アストリットは胸を張った。
「い、いや、でも……」
「でも、なんだ? キミはこんな寂しい場所に私を置いていくほど薄情な男なのか?」
詰め寄ってくるアストリットの目は揺るぎそうにない意志を湛えている。
俺は素直に、「これは負けだ」と思わざるを得なかった。
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