第6話 真相の片側
おに――赤い鬼――。
記憶の
「何か、御用でしょうか?」
禿頭の男が
「ここの神主様ですか?」
「はい。小松と申します」
「関口です。実は、穂積紀香さんのことで伺いたいことがあるのですが――」
「穂積さん、ですか?」
「ご存知ですね?」
「え、ええ、はい。……関口さん、私、ちょうど掃除が終わったところで、これから社務所に戻るのですが、お話はそこでいかがでしょうか? ここではちょっと……」
神主の挙動は疑惑の念を倍化させるに十分だった。参拝客が来るかもしれない場所では話しがたいというのも
「お連れします。こちらです、どうぞ」
神主が関口を先導する。その怪しげな背中を、彼は祈るように見つめた。穂積紀香が最期にここで〈巫女〉として働いていたのは間違いない。しかし、それが彼女の死とどう繋がるか、もう手がかりはこの神社しかない。自分の譫妄を説明し、失われた記憶を補完する手立ても他に存在しないように見える。崖っ淵に立たされているという事実に、関口は思わず身震いした。
鳥居の方向からは分からないが、於爾神社の境内は末広がりになっており、奥に進むにつれ太い木々が林になって神社を周囲の家々から隠している。一箇所だけ近代化に取り残されたようなその場所は、住宅街に突然現れた密林という
社務所の中に入ると、関口は客間に通された。神主は、お飲み物をお持ちしますので、と奥に引っ込んでいった。和風な
「お待たせしました、どうぞ」
熱いお茶の入った湯呑がローテーブルにことんと置かれる。関口が礼を述べると、神主は思いも寄らない発言を口にした。その衝撃的な内容に、彼は
「大変申し訳ありませんが、ここで、一時間ほどお待ちいただけないでしょうか」
「え?」
「あなたにお会いしたいという方がいらっしゃるんです」
「ぼくに?」
「その方は仰っていました。穂積さんのこと――そしてあなた自身のことを知りたいのなら、ここで自分の到着を待つようにと」
次の一時間は混乱の内に過ぎ去った。いったい誰だ? どうして自分のことを、こうして穂積紀香を調べていることを知っている? 何を、どこまで把握しているのだ? 於爾神社と何か関係があるのか? ありとあらゆる疑問が関口の頭に渦巻く。当然それらを神主にぶつけてみたが、私からは申せませんと
そのすべての解答は、黒のスーツに白い手袋をはめた白髪の男性とともにやって来た。年齢は六十代後半くらい、背が高く、体型はほっそりしているというよりも痩せぎす。顔には縦横無尽に
「関口様」
突如現れた男は、
「
「さえき……?」
関口は独りごちるが、その名に聞き覚えはない。それを
「関口様、表に車が停めてあります。すぐに参りましょう」
「どこへ?」
「あなたにとって、もっとも重要な場所に、です。お嬢様がお待ちです」
「お嬢様?」
「説明は道すがらさせて頂きます。さあ、お早く」
佐伯に半ば強制的に連れられて関口は社務所を出た。そのまま来た道を戻ると、路肩に停まっていた黒塗りの車の後部座席に押し込められる。すぐに運転席についた佐伯はキーを回すと、エンジンがかかるやいなやアクセルを思い切り踏み込んだ。車は急発進して、ここまでの急展開を絵にしたように凄まじい速度で道を
「これから、加賀山の奥にある、
「小綱……?」
佐伯の発したその名前は突風となって、関口の心に
「小綱というのは誰――いや、何者なんですか?」
突然、車がきいっと急停止した。関口の体が反動で助手席に押し付けられる。何事かと前方を目を遣ると、親子連れが会釈しながら横断歩道をゆっくりと横切ってゆくのが見えた。
「この周辺の地に、政治経済ともに莫大な影響力を持つお方です。しかし、関口様にとっては、また違った別の意味のある方でもあります。それは、小綱お嬢様に直接会ってご自身で確認されるのが宜しいでしょう。むしろ、私が今ご説明すべきは、穂積紀香に関わることです」
「穂積紀香? じゃあ、あなたは――」
親子連れが横断歩道を渡り切ったと同時に、再び車は急発進した。
「私は、彼女が殺害された理由を知っています。そして、その
関口の心臓がどくんと跳ねた。佐伯と名乗るこの初老の男は、自分の探し求めていた真実の一端を知っている。喉から手が出る思いで、関口は解答を欲した。
「彼女を殺したのは、誰なんですか!?」
「それを申し上げるには、少し説明が必要になります」
佐伯はそう前置きして、静かに事件の真相を語りだした。
「まず、この土地には、〈巫女〉を
まさか、と関口は
「表向き生牲を
関口は無言で息を呑んだ。ただ〈巫女〉を殺害するためだけに作られた、非人道的な仕組み。同じ殺人にしても、関口のそれとはまた違った、無機質で機械的な虐殺。今まで隣町であるという認識くらいしかなかった木附根町に、陰惨な影が差すのを感じる。
「まず、その年の立秋の日、誰か――数多くいる木附根の人間の内『誰か』が気づけばそれでいいのです――が、情報網に〈巫女〉を選定する時期が来たと知らせを流す。それを受けた誰かが、〈巫女〉の条件に当てはまる女性を探す。もし見つけられなければ、その情報を別の誰かに伝え、その誰かは、また〈巫女〉に相応しい人間を探して、いなければまた別の誰かに連絡する――その繰り返しです。
そうした
関口は、「佐藤」と「高橋」とのやり取りを思い出す。彼らはたしかに、それぞれ〈巫女〉を探していた。そして、見合った女性を見つけられずに、同じ町内会の会員に申し送りしている。〈巫女〉が決定していたことを知らなかったのは、情報が連絡網の途中にあり、まだ届いていなかったからか。
「そして、ここからがもっとも
今まで佐伯が語ったのは〈巫女〉の真実を隠す手段で、具体的な殺害方法にまでは言及されていない――そこが、関口にとってもっとも分からないところでもあった。生贄を選別する手口は巧妙でも、実行犯がいる以上、彼または彼女が捕まればすべては水泡に帰してしまう。しかし、佐伯が口にした殺害方法は、関口の想像を遥かに超えていた。
「いったん〈巫女〉が決まると、ある人たちが、それだけでは法に触れない薬物を用意します。そして、それを慣例で決められた、それぞれの場所に供える。すると、別の誰かがその薬物を運び、また別の誰かに送る。その運搬の途中のどこかで、それらの薬が調合されて有害な毒物になる。そして、そうした運搬が何度も繰り返され、最後に、何も知らない人間が毒物の入った飲料や食物を〈巫女〉の家に届ける。
〈巫女〉を選定する場合と同じです。全ては、そういう『慣習』なのです。誰にも殺意はなく、と同時に誰もが殺意を持つ。この町の総意として、〈巫女〉は殺される。これは、そういうひとつの
穂積紀香の携帯電話の履歴には配送の運転手の番号があった。彼らなら、自分が運ぶ商品の中に毒物の入った食品を混ぜることは比較的簡単なはずだと関口は思い至った。たとえば、サービス品ですとでも言って手渡して。死体を損壊したのも、「そういう役割の人物」がいたのだろう。部屋の鍵を開ける役、鈍器を置く役、顔の半分を叩き潰す役、その鈍器を片付ける役、足を折る役、そして再び鍵を閉める役――ぞっとしない、嫌な役回りだ。
そこまで明らかになって、穂積紀香を殺したのが自分ではないと証明されても、関口は安堵の念を覚えなかった。犯人としてではないとしても、自分が事件に関わっていることは疑いようのない事実だったからだ。
「ぼくは、穂積紀香が死体となっていた部屋で気を失っていました。しかも、記憶を
「今
それまで雄弁に話していた佐伯は、そう言ったきり口を閉ざした。車が
小綱の家は山中にあるとは思えないほど豪壮な構えをした邸宅だった。
佐伯の言うとおりなら、すべての真相がここにはある。屋敷の
烏の
「幸志郎!」
とその名前を呼んだ。
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