第二章-3
その日の夕方も、あの公園でメイムを待った。来るかどうかの保障なんてのはどこにも無い。それでも、僕に出来るのはここで彼女を待つだけだ。まさかあのマンションをうろつく訳にもいかないし。
はてさて、自動販売機の暖かいミルクティを飲み終わる頃に、メイムはやってきた。相変わらずの妖怪風……と表現するのは女の子に対して失礼か。
「こんばんは」
「こんばんは~」
心なし、メイムは楽しそうに挨拶をした。そういえば、先生以外と話が出来る人がいないんだっけ。そりゃ挨拶ひとつでも嬉しくなってしまうよな。
その現実とその事実に、僕は危うく笑顔を崩しそうになってしまう。とっさに咳きをして誤魔化した。別に悲しそうな表情を浮かべてもいいんだけど、なんだろう……僕は、他の大人と同じには成りたくない。そんな気がした。
きっと、メイムに接する大人は、悲しそうな顔で彼女に話しかけるんだと思う。たぶん、それじゃ駄目なんだと思う。何の根拠もないけれど、何の理由もないけれど。僕にしては珍しい、ただただ感情に任せた行為。
「今日も来たんだね」
「うん。空夜さんと話すのって楽しいから」
「そうか? 僕の話は極端すぎるって友達には言われるんだけどなぁ」
お陰で根源殺しなんていう物騒な名前まで付けられた。まぁ、そんな風にまで指摘されても治らないのは仕方がない。そういう性格なんだから。
「へ~、いいな~、友達」
メイムは苦笑しながら言う。冗談のつもりだろうか。相変わらず、笑えない。というか、子供が苦笑なんかするな。素直に笑ったり、泣いたりでいいのに。そんな複雑な感情を見せないで欲しい。
「いや、僕がいるだろう。これだけ毎日話をすれば友達でいいんじゃないか?」
「本当ですか!?」
わ~い、とメイムはバンザイをした。
そう、これが子供らしい行為だ。妙に大人びているというか、落ち着いていると思っていたが、子供らしいところもあるらしい。そこは一安心という具合かなぁ。
「いいよ。携帯は持ってる?」
「はい!」
メイムは携帯を取り出した。持ってるのか携帯電話……貧乏なのかお金持ちなのか、それとも普通なのか、サッパリと分からないな。最近の小学生は普通に持ってるんだっけ? しかし、髪を切るお金は無いけど、携帯代はあるらしい。彼女の中での基準が良く分からない。
とりあえず、僕は彼女の電話番号とメルアドを登録した。それから、電話とメールを送る。
「あ、きましたよ~」
「登録しておいてくれ。これで文句なしに友達だろ」
えへへ~、とメイムは笑っている。そんなに嬉しいものなのか。これだけでも……たったこんな事でも、幸せを感じてしまうという事なのか。
「ときどきメールしてもいいですか?」
「遠慮せずとも毎日でも構わないよ」
「迷惑じゃないですか?」
「迷惑をかけられても笑って許してやるのが友達だよ。まぁ、ごめんなさい、は必要だけどね」
人として最低限の行為だ。謝ったからこそ笑って許してやる、という具合かな。
「なんなら電話でもいいよ」
「あ、私、電話は苦手なんですよ」
「あれ? そうなの?」
社交性がある様に見えるんだけどなぁ。
「相手の顔が見えないとダメなんです。嬉しそうとか困ってそうとか見えないと、何を話していいのか、不安で」
あはは、とメイムは困った様な顔で笑った。
「それもそうか。確かに電話じゃ分からないもんな~」
それじゃぁメールでいいか、と二人で頷きあった。メル友ゲット、と僕は少し嬉しくなる。ほら、ただでさえ友人が少なかったのに、あんな事件まで起こってしまったから、誰もメールをくれないんだよね。鳴らない携帯電話ほど虚しい存在はない。
「それと、プレゼントがある」
「え?」
僕はポケットから髪を結う赤いゴムを取り出した。メイムの前髪と後ろ髪を一まとめにすると、ポニーテールにしてやる。滅茶苦茶長いし、ガッチガチになってしまっている髪を結うのはそれなりに苦労したが……うん、初めて彼女の顔全体を見れた気がする。
「意外と可愛いじゃないか」
「え、え、え?」
メイムは何やら混乱しているらしい。結った髪を触ったり、目の前で手をブンブンと振ってみたり、その場で一回転して遅れ毛を確認したり。
「……なにやってんだ?」
「凄い! 手で抑えて無くても良く見えます!」
当たり前だろう、という言葉を僕は飲み込んだ。馬鹿じゃないのか、という言葉もついでに飲み込んだ。変わりに、良かったな、という言葉を吐き出しておく。もちろん、笑顔で。
「で、でもいいんですか、高い物じゃないんですか?」
「百円だ。この紅茶より安いよ」
雑貨屋さんで本当に百円で売っていた。リボンが付いたりしてたのは流石に値段がもっと上だったが、ただの赤いゴムならば妥当な値段だろう。下手をすれば高すぎるぐらいだ。
「百円……で、でもどうして? 誕生日でもないですよ?」
「誕生日だったらもっと良いのをあげてるよ」
ここでひとつ、一歩踏み込んでみるか。
「髪の毛が邪魔そうだったからさ。親は何にも言わないのかい?」
「……あ~、え~っと」
メイムは少しだけ困った様な表情を浮かべる。
「私が生まれる前にお父さんは死んでしまって、ママはずっと働いてて……」
嘘か本当か。分からないけれど、隠す様子も誤魔化す様子もない。ただ気になるのは『お父さん』という呼称と『ママ』という呼称。どうして、バラバラなんだ? 普通、統一されないか?
「そうか。ごめん。ずっと一人なのか?」
「うん……ぜんぜん会ってない」
「いつから?」
「…………分からない」
え、どういう事だ?
「気づいたら、私一人で色々とやってた。メモがあって、洗濯とかお風呂とか覚えて、あとはお金のおろし方とか。でも、ぜんぜんお金が無いから、ご飯を買うので精一杯なの」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それじゃぁ、気づいたら一人で生きてたのか?」
メイムはコクンと頷いた。
ネグレクト、育児放棄。その二つの言葉が僕の脳内で大きくなっていく。
決定的か?
決まってしまうのか?
「うん。あ、でも時々ママは帰ってるみたい。寝てる間だから分からないけど」
「そ、そうか」
「ママは悪くないよ。一生懸命働いてるんだもん。ちゃんと私の為にお金も入れてくれるもん」
そんなものは……お金で繋がれた親子関係なんて……いや、でも……
「誰か来なかったか? メイムを保護するとか、そういう理由で」
「あ、うん、来たよ。でも帰ってもらった。だって、一人でも生きていけるもん」
……。
……ちくしょう。
あれだ、梧桐座の言うストックホルム症候群ってやつだ。メイムは母親を信頼しきっている。そんな事があるはずないんだ。お金を入れているだけで、母親はなにひとつ娘に愛情を注いでなんかいない。
気が付けよ、気づいてくれよ。そうだろう、おかしいだろう、常識が崩れて生きている自分に気づいてくれよ。ひとつ、決定的な証拠があるだろう。お前が母親に愛されていない、たったひとつの証拠があるだろう。
本当に愛しているのなら、そんな名前は付けやしない。
まかり間違っても、付けようともしない。
思い浮かびもしない。
「…………っ!」
名無し、なんていう名前なんて!
誰が子供に付けるもんか!
気づけよ! これぐらい気づいてくれよ! 馬鹿なのか! 馬鹿なんじゃないのか! おまえ、もう十年も生きてるんだろうが! 十一歳なんだろうが! 分かるだろう! 常識が崩れているからといっても、薄々と感じるだろう! アニメのキャラが存在しなかったり、特撮のヒーローがいなかったり、ドラマが嘘ばっかりだって事は分かるだろう! どうして、どうして、どうして、そんな都合の悪い所だけを信用しているんだ!
「空夜さん?」
「決めた」
「何を?」
「メイム。幸せになるぞ」
「へ?」
「僕がお前に幸せを教えてやる」
「え、えぇ、何ですかそれ。ぷ、プロポーズみたいですよ」
あはは~、なんてメイムが笑っている。
そう、そうやって笑っていればいい。なにひとつ、困った事が無い様に笑っていればいい。世の中を鼻歌交じりで渡っていける様にしてやる。ハードモードだった人生を、僕がイージーモードに書き換えてやる。
「あはは。変な空夜さん」
待ってろよ。
なにひとつ文句を言わせないぐらいの幸せを、プレゼントしてやるからな。
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