第38話 自由な口づけと涙

 





「アイシャちゃ~ん? ほら、もう怖くないよ? 怖いお兄さんみんな帰ったから、大丈夫だよ~?」


「……く……さぃ」


「う~ん? くさい? 煙草かな? ごめんねぇ、やめられなくて……」


「抱きしめて……ください」


「はい喜んで!!」



 あの後、尋常でないほど怖がっていたアイシャの状態を、なんとかここまで持って来る事ができた。


 体の震えは止まり、うわ言のように呟いていた謝罪の言葉もなくなった。


 それなりの力で安心を喚び醒まそうとしたのだが、恐怖が強すぎてすぐに再支配されるため、かなり時間を要してしまった。


 いくら安心を喚び醒ました所で、恐怖が消える訳じゃないからな。この根付いている恐怖を消す事ができるのは、アイシャ本人以外にない。



「……ありがとう……ございます……」


「いえ、こちらこそ。めっちゃいい匂いしますね」


「そうでは……なくて、組合の事……」


「ああ、それね。なんとかなって良かったな? これからどうなるんだ?」


「新組合長の任命……それが組合連合会で可決されるまでは……新規登録は出来ないと……思います」


「そっか。まぁ急いでないし、気長に待つかな?」



 他の組合に属すのも手だが、せっかく色々な者と知り合ったのだ。


 当面生活するための金もまだある。手持ちはほとんどなくなったが、預金してあるしな。


 しかし問題なのは、誰が手引きしたのかという事だ。そいつが何もしてこなければいいが。


 まずこの部屋の結界だ。あの結界はロードランが展開したものではない。ロードランの神力では、あそこまで強力な結界は作り出せない。


 それにロードランは言っていた。俺を欲しがっている奴がいると。これ以上の面倒事に巻き込まれたくはないのだが……――――



「――――さん? サージェスさん? 聞いていますか?」


「おお悪い悪い。あまりにいい匂いで、クラクラしてしまってよ」


「相変わらずですね。あの……本当にありがとうございました。この組合を、パメラ様が愛した場所を守ってくれて」



 俺から離れたアイシャは、目を見つめながら改めて感謝を述べた。


 パメラというのは先代の組合長の事だったか。よほど思い入れがあるようだ。



「アイシャが頑張ったのは、そのパメラって人のためか」


「はい。パメラ様は、私の恩人です。何も出来なかった私を育ててくれて、組合に置いてくれました。あの方と出会わなければ……私は死んでいたでしょう」


「……両親は? 亡くなったのか?」


「母は亡くなっています。ち、父親は……し、知りません……」



 再び目が恐怖の色に染まるアイシャ。父親の話をし始めてこうなったように感じたが、元凶は父親という事だろうか?


 過去の記憶を喚び醒ます事は出来るが、俺はあまり好きじゃない。俺自身も、過去の事は知られたくないからだ。


 とりあえずアイシャを落ち着かせようと、俺は彼女の頭に手を置いた。



「サージェスさん。私の話を……聞いてくれますか……?」


「アイシャが話したいのなら、いくらでも聞くよ」


「ありがとうございます。あの……頭を撫でてもらっていても、いいですか?」


「分かった。撫ですぎて禿げないようにしないとな」



 俺の軽口に小さな笑みを零したアイシャは、静かに語りだす。


 彼女の過去。何があったのか、なぜここにいるのかを――――


 ――――

 ――――



 私は幼い頃から、ずっと父親に暴力を振るわれてきました。毎日毎日、休む事なく。


 唯一の味方だった母が、父の暴力が原因で亡くなってからは、更に酷く暴力を受けたものです。


 田舎の街でしたので、母の死を偽装するのは簡単だったのでしょう。そんな父親は恐怖の象徴でした。


 それに、たまに家に訪れる男性が怖くて仕方がなかった。外にほとんど出た事がなかったので、男は恐怖を与えてくる生き物だと認識し、生きてきましたので。


 生傷が絶えず、碌な食事も与えてもらえなかったため、いつか死ぬのだろうと幼いながらに思っていました。むしろ死にたいと思っていたと思います。


 ある時、父親の仕事の関係で、このクロウラに来る事になりました。荷台に乗せられた私は、揺れ動く馬車の振動に怯えながら、頭を抱えていたのを覚えています。


 馬車の隙間から見える景色から、クロウラについた事を知った私は、ぼーっと隙間から見える街の景色を眺めていました。


 その時、ある光景が目に入ったのです。綺麗な女性と手を繋いで、嬉しそうに歩く私と同じくらいの、犬耳種の女の子の姿が。


 その光景は、私に亡くなった母を思い出させました。それと同時に、母が言っていた言葉を思い出したのです。


 生きなさい。生きていれば必ず良い事があります。生きていれば必ず助けてくれる人が現れます。生きていれば必ず、幸せになる事ができます。


 そんな言葉、すっかり忘れていました。生きていても良い事も、助けてくれる人も、幸せにだってならなかった。


 思い出してもそれを信じられなかった私は、荷台の隅で再び泣き始めるだけでした。


 でもその時、神の悪戯、奇跡が起きたのです――――



 ――――――――

 ――――――――



「――――強烈な衝撃が馬車を襲ったと思ったら、次の瞬間に私は外に放り出されていました。痛みに耐えながら目を開くと、そこには燃えている馬車と、慌てふためく父の姿がありました」


「……ん? それ、クロウラでの話だって……? も、もしかして、メインから一つ外れた通りでの話か……?」


「は、はい。ご存じ……なのですか?」


「あ……ああ、まぁ……大きな……事件だったからな。続けてくれ」


「……それで、放り出された私でしたが、痛みで立ち上がる事が出来ませんでした。腹部に馬車から外れた板が刺さっていて、致命傷だと分かりました」


「腹部に板……犬耳種の女の子……? いやまさか……そんな訳が……」


「ああ、やっと死ねるんだ。正直そう思いました。その時、ふいに抱き上げられる感覚があったんです。最後の力を振り絞って目を開けると、そこには私より少しだけ背の高い男の子がいました」


「……あぁ、やっぱり……」


「男だったのに、なぜか恐怖を覚えなくて……この人は天国に運んでくれる神の使いなのだと、安心したくらいです。初めて心から安心を覚えた瞬間でした」


「……自由の責任、か……」


「死を受け入れた私でしたが、その時……神の使いに問われたのです。生きたいか? それとも――――」


「――――死にたいか? 生きたいなら生きたいと、死にたいなら死にたいと言え。生きたいなら俺が助けてやる、死にたいなら俺が殺してやる」


「…………ぇ…………なんで……うそ……」


「その女の子は言ったな。死にたいです、殺してくださいって。だから俺は言ったよ……誰がお前の言う事なんて聞いてやるか。この世で一番不幸ですって目をしやがって、気に食わねぇ。幸せを知ってからもう一回言ってみろ」


「……ぁ……ぁぁ……あなたが…………時の……」


「その後たしか~……あぁそうそう。近くにいた身なりの良いオバさんに預けたんだったな。ババアのくせにガタイがよくてよ、化粧が濃かった気がする」


「……ジェスさん…………サージェスさん!!」


「おっと……随分と大きくなって、随分と綺麗になったもんだ。あの小汚ねぇガキがよ。あのババア、組合の人間だったのか? あぁ、あれがパメラか」


「わ、わたし! あなたのお陰で幸せを知りました!! 組合の人達はみんなよくしてくれて!! い、生きててよかったって、思う事が出来ましたっ!!」


「……そうか。そりゃ……助けた? 甲斐が……あ、あったかな?」


「サージェスさん……!! 私の……英雄様……!!」


「あ~……そのな? でも俺、アイシャに謝らなきゃならない事があるなぁ……」


「ないです!! そんなもの……ないです!!」


「まぁ隠すのも良くないか。あのな、怒らないで聞いてほしいんだけど……」


「そ、そんな顔しないで下さい……私、本当にあなたのお陰で……」


「いやぁ……実はさ、あの馬車を爆発させたのって……俺なんだよね」


「…………え? そ、そうなの……ですか……?」


「うん、そうなの。その……襲う馬車を間違えて……だからその、アイシャの腹に木が刺さって死にそうになったのも俺のせいだし、アイシャを助けようとした英雄では……ないのだよ」


「……………………ふふ」


「幸せを知ってからとか、色々言ったかもしれないけど……本音は、俺のせいで死なれるのと寝醒めが悪いというか、流石に善良な子供を殺してしまうのは……と」


「…………ふふ……あはははっ」


「死にたいと言われた時はビビったけど、どちらにしろ生かすつもりでしたね……自分のために」


「あはは……もうっ! 台無しじゃないですか!!」


「だ、だよな。英雄どころか、大悪党かもな」


「本当ですよ! でも……私はその大悪党様に幸せにしてもらいました。まだ男性の事は怖いですけど……あなたがいれば、私はそれでいいです」


「おお、大胆な発言だな? 惚れたな? 一分の隙もなく俺に惚れたな? いいのか? 俺は大悪党――――」


「――――はい、惚れました。いいえ、ずっと惚れていました」



 ――――あなたの事が大好きです、サージェス様。



 どんな恐怖を覚えても、アイシャは涙を流す事はなかった。そんなものはとうの昔に枯れ果てていたのだから。


 しかしアイシャと初めて躱した口づけは、涙の味がした。

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