八科村の実態

「おい、姉ちゃん。だいじょぶかい?」


 誰かの声で目が覚めた。体を動かそうにも何かに挟まっているようで、手が抜け出せない。徐々に視界がはっきりしてくると、眩しいライトが目に入った。


(やめて……照らさないで、何も見えない)


 とは言え、ライトがずれると視界は真っ暗になった。


「生きてるかー?」


 その声に何とか「はい」と答えた。

 徐々に全身の痛みが襲ってきた。頭、肩、背中、そして足。やっと気づいた。私は崖から落ちたのだ。


「ちょっと待ってな、今そっち行くから」


 田舎のなまりのあるような声はだいぶ歳をとった男性の声だったが、今の状況からしたら、その声に頼るしかなかった。

 男性はよいしょ、っとなどといいながら、工具やその他の器具をつかって、車の窓を割り、私を引き出してくれた。


「だいじょぶかい? あんた、あそこから落ちてきたんだっぺ」


 そう言って、男性が頭上をライトで照らした。そこには今もぽろぽろと石が落ちていた。ちょっとした段差ではなく、ビル4、5階くらいの高さはあるように見えた。


「あそこから、落ちた……んですか」


 男性の顔は暗くてよく見えなかったが、大きく頷いたようだった。


「ああ、あそこは一番あぶねえとこでさ、今まで何度も直してくれって役所にも言ってるんだけどよ、なかんか直してくんねーんだ。だからあんたみたいな慣れてない若いもんが落ちんだよ、ほんっと生きててよがったな」


 本当にそう思った。後一歩で自分は死んでいたと思う。私は服の汚れをはたくと、男性に質問した。


「ひょっとして、八科村の方ですか」

「んだよ。とりあえず、怪我してっかもしれんから、村いくっべよ。な」


 私はそれから男性の軽トラックの助手席に乗り、慣れたハンドルさばきに揺られながら、ものの数分で八科村に辿り着いた。そしてまず先生と言われる、おそらく医師のような人物の元に案内され、一通りの診察を受けた。そしてひとまずは大丈夫そうだが、内臓などを打っていて突然悪化するといけないから、一人にはならないように、と言われた。私がうつむきながら頷くと、


「ところであんた、泊まるとこあんのかね」


 と言われ、そう言えばと思っていると後ろから声がかかった。


「あれ? もしかして……」


 その聞き慣れた声に振り返ると、そこにはあの白に近い金髪が見えた。


「ミサ! 探したよ」

「なんでここにいるって分かったの? あ、ひょっとしてあたしんち勝手に入ったでしょ」


 そう言って目が笑顔で潰れてハの字になった。


「そりゃそうよ、あんなメール来たら死んでるんじゃないかって心配になるじゃん」


 ミサは今までのファッションである原色カラーを使った派手な服装ではなく、村に馴染んだ落ち着いた服装になっていた。いつもと違った雰囲気のミサだったが、それでも知っている人に会えて、私の心は一気に緊張がほぐれていった。


「今日泊まるとこあんの? もしなかったら、あたしがお邪魔しているうちに泊めてもらえないかお願いしてあげよっか」

「助かるかも。ごめんね、何から何まで」

「いいんだって。それより会わせたい人がいるんだけど」


 会わせたい人? それは知っている人なのだろうか。ミサは戸惑う私の顔を見て、くっくっくっとひきつったような笑い声を上げた。


「まだ近くにいるかな、こっちきて」


 ミサに手を引っ張られ、私は家の外に出た。落ち着いて見回してみると、村はいつの間にか人で賑わっており、ところどころ昔ながらの提灯の明かりで包まれていた。


(お祭りでもあるのかな)


 すれ違う人は若い人から老人まで様々、子どももいた。わたあめを頬張る少年とぶつかりそうになった。


「ちょっと、痛い。どこまで行くの」

「確か、この辺りに……あ、いた! 姉さん!」


 ミサが声をかけた先の人影がゆっくり振り返った。Tシャツにベージュのパンツといういわゆる普段着だったその女性は最初は誰だかわからなかった。しかし、数秒後、すぐに気づいた。気づいてから、私の全身の皮膚がぞわぞわっと言い、思わずミサにしがみついた。


「うそ、なんでこんなところに凛子が?」


 それはローデリアのリーダー兼ギターの凛子だった。


「あれ? ミサの知り合い? ひょっとしてまたここのこと教えちゃったの?」

「いんや、この子が勝手に来たんだって。人ん家勝手に入って……」


 私はミサの口を塞いだ。もう、何すんのよ、とミサが私の手を払った瞬間、私の視界に別の人影が目に入った。それをみて私の全身の力が抜けていった。


「嘘でしょ……」


 ミサがその人影を見てから、再び悪戯な笑みを浮かべて私に微笑んだ。


「さすがにこれは驚くよな、あたしも最初は夢かと思ったし」


 凛子の横に立っていたのは「白金あこ」だった。


 なんで、なんで、なんで……。それ以上の言葉が思い浮かばなかった。あこはミサに近寄ると声をかけた。


「ミサの知り合い? ひょっとしてファンの人?」


 あこはあこのまんまだった。栗毛色のショートカット、毛先が少しカールしている。ぱっちりした黒い瞳、柔らかな唇。小柄な体格ではあったが、立ち振る舞いにオーラがあった。そして何よりその透き通った声。あれほど憧れていた存在が今目の前にいる。

 呆然とする私を前にあこは申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「ごめんね、色々迷惑かけちゃって。どこから説明したらいいのか……」

「いいよ、あたしが説明する」


 そういってミサが説明を始めた。

 あこが飛び降り自殺を図ったのは本当だった。しかし発見されて病院に運ばれた後、打ちどころがよかったのと雪の中に埋もれていたのも幸いし、何とか一命を取り留めたのだった。しかしあこは消えたかった。この目の前のなにもかもから。運ばれたのが小さな病院で、ローデリア関係者の息のかかった施設であったため、あこは死んだと報道された。そしてそのまま隠れるようにこの村へ逃げ込んだ。ここは知る人ぞ知るローデリアファンの隠れ里であり、ごく一部の人間しか知らないまさにサンクチュアリだった。


「そんでね、今日やっとバレないようにドラムのユキナも合流して、全員揃ったの。だから今日が初ライブ! 村総勢でお祭り騒ぎ!」


 何が本当で何が嘘なのか。そんなことが果たして可能なのか? よくわからないが、これが嘘でもいい。あこに会えた、そしてもう二度と聞くことはできないと思っていたローデリアのライブが聴ける、こんな嬉しいことはない。ここまで苦労して来て本当によかった、心からそう思った。


 ライブは19時から始まった。客席にはいつものローデリアの熱狂的なファンが声を張り上げていた。遠くから村の人もその様子を眺めていた。

 20時45分には最後の曲、「サンクチュアリ」が始まった。悠久の時を思わせるようなゆったりとしたテンポに、神秘的なメロディが乗り、目を閉じると今までのいろいろな出来事が蘇って来そうな、そんな曲だった。そしてこれからも、ずっと私たちは一緒だよ、というメッセージで曲は終わった。


 泣いた。

 私はローデリアに命を救われてここまで来た。母親に邪魔者扱いされて来た幼少期も、義理の父親に性的虐待を受けた過去も、辛い時にはいつもそばにローデリアの曲があった。この曲に励まされてここまで生き延びて来た。今までも、そしてこれからも。涙で視界がぼやける、思わずひっく、という声が胸の奥から湧き上がって来た。


 そんな感傷を打ち破るように、後ろからどんどんと肩を叩くものがいた。

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