目的地「八科村」

 口の中でくちゃくちゃになったするめいかを飲み込むと、ちょうど電車は終点に着いた。

 日も暮れかけているため、少し急がなければならない。調べた限りではこの駅でレンタカーを借りられるらしい。随分と田舎の駅だが、駅前はそれなりに賑わっていた。八科やしな村に行くためにはここから車でさらに2時間弱、山あいの道を抜ける必要がある。私は急いでレンタカーショップへ向かった。


「ここにサインお願いします」


 店員の中年男性は不気味なほど、声に生気がなかった。淡々と静かに説明する声が小さな店内に響く。自分以外にお客はいないようだ。置いてある車も2、3台で、失礼ながら商売は大丈夫か心配になった。


「保険、どうします?」


 ほら、事故にあった時の。と店員は付け足した。私がええと、と考えていると


「入った方がいいよ。何かあるから」


 声のトーンを変えずにそう答えた。

 何かあるといけないから、ではなく何かあるから、とはっきり言った。その目つきは決して冗談を含んでいる様子はなく、これから起きる何かを確信しているようにさえ見えた。

 結局少し割高にはなったが、一番高い保険に入ることにした。


 その後一通りの操作方法を聞き、私は出発することにした。


「あの、お客さん」


 窓を閉めようとした私は、突然の声に少し飛び上がった。


「はい?」

「どうか、お気をつけて」


 相変わらず生気の乏しい、気味の悪い目つきだったが、どうやら気遣ってくれているようだ。ただ逆にその気遣いが何とも言えない不安を駆り立てた。

 私はナビで八科やしな村を入れ、案内開始をタップした。到着時間は18:30、なんとかぎりぎり日が落ちる前には間に合いそうだ。私は最後に見送ろうとしてくれている店員に「ありがとうございました」と言ってアクセルを踏み込もうとした。

 結局踏み込んで店を後にしたのだが、不思議な光景が目に焼き付いていた。店員の表情である。口をポカンと開け、まるで何か恐ろしいものでも見るようにこちらを見ていた。いやあれは私ではない、それにしては少し視線がズレていた。店員は明らかに私ではなく、私がタップした画面を見ていた。それを見て、まるで死ぬ間際のような恐れ慄く表情を浮かべていた気がする。元々何を考えているかわからない店員だったが、最後まで気味の悪い印象だった。


 しばらくは舗装された、比較的運転しやすい道が続いた。一時間ほど運転したが、山道も問題なく走行することができた。山道はおろか、運転すらそこまで慣れている方ではなかったので、その点は少し安心した。到着まであと30分か、と思った時だった。


(あれ? 通り過ぎたかな?)


 どうやら私は道を間違えたらしく、ナビがリルートを始めた。とはいってもここまでは一本道だった気がするが。私が車をUターンさせ、ゆっくり走行していたが、やはりあるところでリルートになる。どこかに狭い道でもあるのだろうか。もういちどUターンして、今度はさらにゆっくり走行した。幸いすれ違う車もなかった。

 するとある所でナビがいわゆる舗装されたメインの道路ではない小道を案内していることが分かった。そして普通に走行しては気づかないが、よく見ると、脇の林の中に小道があり、ナビはそちらを案内していたのだった。そしてその先のナビで表示される道路は今まで見たことがないほどくねくね、ギザギザとまるで蜘蛛の巣のように複雑に絡み合っていた。その先に目的地である八科やしな村がある。


(運転しにくそうだな)


 ここまで来て引き返すわけにはいかない。私はその小道へハンドルを切った。

 道路が一気に舗装されていない土と砂利の感触へと変化した。道の幅も対向車が来たら慎重に譲り合わないとすれ違えないほど狭かった。林が深くなり、日が暮れたのも重なって、あたりはどんどん暗くなっていった。車のライトだけが頼りだった。慎重に、慎重に、ハンドル操作を間違えば谷底に落ちてしまいかねないその道を、ゆっくりと走行していった。到着予定時刻がみるみるうちに遅くなっていく、18時45分、19時、19時15分、運転速度が落ちたからだ。だがナビでは確実に目的地には近づいている、大丈夫だ、後少し、後少ししたらきっともっと走りやすい道に出る、だって村の人は毎回ここを通っているんだから。あるところで、光が見えた。谷から見下ろすと、どうやらぽつぽつと光が見えた。


(よかった)


 人間の明かりとはこんなにも頼り甲斐のあるものだろうか。後少しで目的地に着く、私は再び木々に埋もれた崖の道をゆっくり走行していった。


 それは突然だった。


「あっ」


 じゃり、という音と共に、車ががくんと傾いた。そのまままるで重力が歪むように私の体は軽くなり、その後は、ガン、ガン、という音を聞いたのが最後、そのまま私の意識はどこか遠くに飛ばされた。

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