サンクチュアリ

木沢 真流

イントロ

 揺れる車窓に頬杖をつきながら、ぼんやりと田園風景を眺める。持って来たキャリーバッグは20代そこらの女手一人には少し重たかったが、仕方がない。私が生きるために必要なものは全部入れて来たから。この後も生きる必要があれば、だけど。

 さっき来た車内販売のするめいかを、電車の揺れに合わせて噛んでみる。特に意味があるわけではなく、貧乏ゆすりと同じ感覚、リズムをとっているだけ。山と田んぼが交互に過ぎ去っていく風景、時々家が見える。あまりの同じパターンに、本当に進んでるのかな、なんて思ったりもする。

 車内に次の停車駅を告げるアナウンスが響いた。目的の駅まではまだ半分も来ていない。随分遠くまで来たはずなのに、まだまだあるんだな、そんなことをぼんやりと考えてみると、この電車は本当に黄泉の国へでも続いているんじゃないか、なんて思ったりする。


 ミサは本当にこんなところにいるんだろうか。


 ミサからメールが届いたのは2週間前のことだった。一ヶ月前に起きた一件以来、ミサは音信不通になり、ひょっとしたら自殺でもしてるかもしれない、と本気で思っていた。実際何人か自殺したファンはいる。ミサもガールズバンド「ローデリア」の熱狂的なファンだったから。私なんかよりもさらに輪をかけて。

 ローデリアのヴォーカル「白金あこ」が雪の中から死体で見つかったという事実は翌朝のニュースを全てかっさらった。自殺の原因は不明、過剰な活動と周囲からのプレッシャーに耐えられなかったのだろう、そんな報道が主だった。カリスマヴォーカルを失ったローデリアはそのまま無期限活動停止、さすがの私もしばらく立ち直れなかたけど、ミサはもっとひどかったと思う。

 いくつか送ったメールも返事がなく、諦めかけたある日、一通のメールが届いた。それが、の死亡推定時刻である深夜2時17分と一緒だったのは偶然だろうか。内容はシンプルだった。


「やっとサンクチュアリを見つけた」


 それ以降再び連絡は取れなくなった。

 私は思い切ってミサの家へ行った。ミサとはローデリアのファンクラブ繋がりだけの関係だったが、一度だけ彼女の家に行ったことがある。かすかな記憶を頼りに、普段乗らない電車を3つ乗り換え、地図アプリを駆使してミサのアパートへ向かった。

 ミサが借りていた部屋である202号室の前に立っても、やはり中で誰かが生活している様子はなかった。電気のメーターだけはかすかに動いているようだったが、冷蔵庫か何かかもしれない。私は以前ここでミサに案内された時のことを思い出していた。


「あたしね、しょっちゅう鍵とか忘れちゃうんよ」


 白に近い金髪の髪がサラリと揺れた。目は少し釣り上がり、唇は厚ぼったかった。そのままいたずらな笑みを浮かべながらしゃがみこむと、ミニスカートがひらりとしてパンツが見えそうになった。おもむろにドアの前にある鉢植えをどかすと、部屋の鍵が現れた。不用心だよ、と言っても、だいじょーぶだいじょーぶ、盗られるもんなんてないから! と目をハの字にさせて笑っていた。


 私はあの時のことを思い出し、ミサと同じようにドアの前にしゃがみこんだ。あの寂れた鉢植えは、まるで時が止まったかのようにそこにあった。私がゆっくりとその鉢植えを傾けると、あの時のように小さな鍵が現れた。私はそれを取り上げ、じっと見つめた。

 中からミサが変わり果てた姿で見つかるかもしれない。なぜ私が行く必要がある? 放っておけば、異臭かなんかで大家さんが気づいて合鍵で中に入って、きっと見つけてくれるだろうに。私は手のひらが汗でびっちょりになっているのに気づいた。

 もう後には引けない。私は鍵を差し込むと、ノブを回した。扉はまるでそれを待っていたかのように、中の空気に押されるように開いた。

 時間の経っている匂いがした。幸い何かが腐ったような匂いではなかった。

「ミサ、入るよ」

 空気に向かって私は声を張り上げた。

 部屋は相変わらず散らかっていたが、犯罪などのトラブルを思わせるものはなかった。トイレもバスルームも一応確認したが、人がいる気配はなかった。ふと散らばっているチラシに目がついた。よくみると、多くは旅行会社のパンフレットや、どこかの地域の観光案内などだった。その所々に赤丸のチェックがしてある。その赤丸がある場所、それは全て共通していて「八科やしな村」という言葉。そして一番下にあるA4サイズの観光案内、八科やしな村というタイトルに大きく赤丸がしてあって、その横にこう書いてあった。


「サンクチュアリ」


 私はその殴り書きをじっと見つめた。そして確信した、ミサはここにいる、と。

 ローデリアの歌のフレーズにもある。


〜わたしたちのサンクチュアリ、やっとみつけたよ、ここに帰ろう、さあみんなで〜


 この歌はライブの最後にいつも歌う歌で、ライブが終わってもみんな心は一緒だよ、とのメッセージに、私を含めファンたちは必ず涙する。このサンクチュアリとされている場所が実在するとファンの中で話題になったことがある。それはリーダー兼ギターの凛子が生まれ育った町だとか、ローデリアが結成された春日部市だとか、色々都市伝説のように好き勝手な想像を膨らませていたが、どれも決定打には欠けていた。そもそも、わからないから面白い、そんな面もあった。

 だが事態は変わった。はもうこの世にいない、そしてバンドもある意味死んでしまった。ミサのような熱狂的なファンはいよいよこのサンクチュアリを本気で探し始めたのだ。後を追って死ぬくらいなら、死ぬ気でサンクチュアリを探してからにしよう、そう思ったのかもしれない。そしてどういう経緯かはわからないが、ミサはこの八科やしな村がサンクチュアリだということを突き止めた。であれば次の行動は簡単、ここに向かっているはずだ。私はそこに書いてある通りに八科やしな村へ向かうことにした。

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