気になるあの人には、もうひとつの顔。

戌井てと

第1話

「明日は、課外授業なんだ~。よし、送信!」


 いつでも返せるように、メッセージを作成できるページを開いたまま、ベッドへスマートフォンを置いた。脚が折り畳めるテーブルの上には、冬用のセーラー服。胸ポケットに名札を縫い付ける。玉結び、指で押さえ針を上げる。ピンと伸びた糸。出来ているのをしっかりと確認した。パチン、と紺色の糸を切る。制服を持ち、腕を前へ伸ばした。傷のない、まっさらな名札には立花楓たちばな かえでとあった。


 ベッドに置いたスマートフォンに、通知が入る。流行りの曲は布団に包まれ、優しく鳴っていた。


「うそっ! ナルも課外授業!? クラス違うだけで同じ学校じゃないのこれ~」


 友達の誘いで始めたSNS。同じ学校の括りで繋がっていただけなのが次第に、プロフィールには年齢も性別も記入していない人たちと、メッセージのやり取りが増えていった。やり取りするうちに、共通点は見えていき、楓はナルに対して想いが募っていった。




 春のやわらかい風を受け、制服のスカートはゆらめく。スケッチブックを片手に、学校から近くの神社には生徒と先生の声でにぎやかだ。


「楓、成海なるみくんがまた見てたよ」

「もぉ、やめてったら。偶然見てただけでしょ」

「そうかなー」


 石で造られた階段に腰を下ろし、スケッチブックに鉛筆を走らせる。駆け寄ってきた友達から気になる情報を耳にした楓は、男子の集団へ目を向けた。風によって上がった前髪を、戻す仕草。耳がすこし覗く長さは、テレビに映るアイドルを想起させた。周囲と比べ成海は小柄で、可愛い。物静かな性格がクールで女子は注目していた。


 風に流された髪を、楓は整える。ふいに重なる、二人の視線。整える動きに混ぜ、楓は目をそらした。


「楓のこと好きだよ、あれは」

「話したことないのに、どこを好きになるのよ」

「日直で話す機会はあるでしょ。──それにしても、女子から人気の成海くんだよ? 興味なさげだよね」

「釣り合わないよ。それに……いや、何でもない」

「なに、気になるじゃない」


 SNSで仲良くしているナルが浮かび、咄嗟に口をつぐんだ楓。浮かんだとしてもそれはプロフィールに使っている画像であって、本人の顔ではない。


「楓ー、好きな人いないのー?」

「異性と遊んだことも無いし、恋バナなんてしないかもね」


 三十分の休憩をしたあと、点呼を取り、学校へと長い列は進む。


「トイレ行きたくなってきた~。楓、お願い、ついてきて」

「とりあえず、スケッチブック預かるよ。あとで追い付くから」


 神社に設置されてあるトイレ、周辺には生徒が複数いた。一学年の課外授業。設けた休憩では済まず、短いながらも列が出来ていた。足をふわふわ運ばせ、視線を遠くに、様子を伺っていると肩が当たる。


「あ、ごめんなさい……」

「うん」


 短い相槌。見馴れたその髪型、相手は成海だった。気になる人でもあり、男子と二人きり、慣れない空間、楓は即座に小石が敷き詰められた地面へと瞳を落とした。


「友達、待ってるんだ。休憩時間、短いよな」


 低くもなく、女子みたいに高くもない、可愛い声がした。


「私も同じ」


 緊張からか少し早口になった。たった一言に、聴こえてしまうんじゃないかと不安になるほどに、胸は高鳴っていた。


「小学校に行く前くらいかな。よく遊ぶ友達が居てさ、絵が上手かったんだよね」

「へぇ~、そうなんだ」

「遊ぶ度に互いに絵を描いて、帰り際に見せ合いをしてさ。今この待ち時間でいいや、俺の我が儘、付き合ってもらえる?」

「え、今ここで見せ合うの?」

「あ、いや……、急に困るよな。意味不明だし、ごめん」


 合っていた視線が地面へと落ちていく。縮こまる肩に、楓は慌てて応えた。


「びっくりはしたけど、嫌じゃないよ! 友達が来るまでの間ね」


 それぞれスケッチブックをめくり、授業で描いたのを見せ合いした。紙の右下には、学年と名前。「やっぱり」成海の口から言葉が転がる。


「え? やっぱり、って何が?」

「あぁ、いやっ……その、よく遊んでた友達と、描き方が似てるなってずっと思ってたから。確かめたかったんだ。遠回りでごめん」

「そっか! そうなんだね。え~、びっくり。でもなんか、嬉しいかも」



 待ち時間に感じた幸福は、夜まで続いた。時おり楓は脳内で鮮明に映し出し、照れからベッドへと俯せになる。誰かに聞いてほしいような、秘密にしておきたい。あふれた思いから、足をバタバタさせた。

 スマートフォンには、一件の通知が。音はテーブルに当たり、部屋全体に響いた。楓は慌ててベッドから降り、手に取る。ナルからメッセージが届きましたと、画面には表示されていた。


「課外授業、楽しかったよーっと。顔文字つけちゃお」


 文字を入力、一分も経たないうちに送信を押した。ナルのプロフィールを開いた。成海と同様に交遊関係が多そうだった。友達登録は二桁、その中に楓も入っている。絵の見せ合いをしようと言われ、驚きながらもスケッチブックを見せ合った。記憶の奥深く、小さい頃の思い出がローソクの火のように、灯った。


「成海くん、か。名前が同じだなんて、すごい偶然だな~。ナルミちゃん、元気かな」


 母親とよく公園へ行った。同じ幼稚園の子たちとは馴染めなかったが、偶然公園にいたナルミとは絵を通して仲良くなれた。小学校へ上がる前、芸能人の真似をしてサインを書こうと二人は盛り上がった。海の漢字、ハネの部分には魚の絵。ナルのプロフィール画像は、あの頃と同じものがあった。


「まさかね。センスが似てるんだよ」




 いつも通りの日々に、ちょっとした変化が訪れた。毎晩届いていたナルからのメッセージが停まる。忙しいんだと、自分の時間も大事だろうと、不思議に思いながらも楓からメッセージを送ることもなく様子をみていた。


 一週間、三週間、一ヶ月。


 我慢の限界にきた楓は、学校の昼休み時間、誰にも見られていないのを確認し、机の下でナルにメッセージを送信した。少しして、後ろに居る男子の集団から、通知の音が鳴った。


「成海、バイブにしてないとか珍しいな」

「寝坊してさ、変更するの忘れてた」


 その会話に耳をすませていた楓に、通知が入る。


『昼間にメッセージとか珍しいね。何かあった?』


 メッセージが停まったのを心配する内容を送ったのに、一切触れてこないナル。楓は素っ気なく返信し、ページを閉じた。


「あれー、楓どこ行くのー?」

 友達の問いかけに、「ちょっとトイレ」と返した。


 その様子を成海は遠くで、瞳に映す。


 授業でしたスケッチブックが、日替わりで教室後ろの棚に並べられていた。各々、絵を見て感想を書いてくるのが課題となった。数日後に迫る締切。放課後、提出を終えた楓は鞄を取りに静かな教室へ。黒板に何か書いている成海の姿があった。


「居たんだね。課題出してきたの?」


 問いかけながら、成海に近づく。黒板には、海の漢字と、ハネの部分には魚の絵。


「え、なんで? どうして成海くんがそれを?」


 成海はチョークを置く。


「まーだ気づかない? 毎晩SNSでやり取りしてたのは俺なんだけど」


 可愛い声ではなく、異性と話して照れてるような、ドキマギしてることも無く、別人みたいな成海。


「課外授業、偶然近くに来てたから、思い切って昔の話してみても全然だったな。メッセージ送信後に、後ろで鳴ってても可能性を考えることも無い。好きになってると思ってたのに……」

「ネットは広いし、たくさんの人が使ってる……分かるわけないじゃない」

「あの頃のことも綺麗に忘れてるし。覚えていたら可能性は考えられるはずなんだよ、俺のプロフィール画像見ればさ」

「あの頃、って……。嘘でしょ? ナルミじゃ? それに、小学校へ上がる直前で引っ越したし」

「女ばっかりで末っ子の俺、ガキの頃って男女の区別って特に無いだろ? 母さんが面白がってスカート履かせたりしたんだよ。親の都合で引っ越すはめになったけど」

「それじゃあ、中学をきっかけに戻れるから、SNSで私に気づかせようとしたの?」


 成海は適当に椅子の背凭れを引き、座った。


「初めて好きになったのが楓なんだ、小さい頃からずっとな。絵を通して唯一仲良くなれて、特に期待もしてなかったけど、SNSでプリクラ画像見つけたときは驚いた。何も変わってないんだーって思った。それなのに、綺麗サッパリ忘れてる。挙げ句には女の子って勘違い。だけどこれでもう忘れないよな」


 成海は立ち上がり、楓に近づく。頬すれすれの距離、「楓、俺と付き合おう。そうすれば、ずっと一緒に居られる」


 課外授業の印象から一変した成海に、動けなくなってしまった楓。口元だけが笑っている成海は、楓の肩を抱き寄せる。徐々に近づく顔。恐怖からか瞬きひとつせず、ぽたぽた、楓は涙を流した。成海はそっと口づけ。


「だいじょうぶ、俺が居るよ」



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