いつも笑ってるわけねーだろ

 子供のころ、原始人が槍を構えている絵を見た。彼らは毛皮一枚をはおり、極寒の地を走っていた。そして自分たちの何倍もの巨大なマンモスに立ち向かっていった。


「ねぇ、ママ。原始人は怖くなかったの? 踏み潰されたり、牙で刺されたりしないかな」


「そりゃ怖かったでしょうね。でも一人じゃないでしょ。鷹志にも少年サッカーの仲間がいるじゃない」


「……そっか。そうだね」


 無謀な戦いだという者もいただろう。並の感覚なら戦いにすらならないと思うだろう。だが人は互いに助け合い、不可能を可能にした。


「パパにも見せてくれよ、将来の作文。二分の一成人式っていうのか。はやいもんだな」


「……見ちゃだめだよ。恥ずかしいから」


「どれどれ、黒歴史にならなきゃいいな」


「ぶっ、ひどいよ。ママにパパのこと怒ってもらうからね」


「アハハハハハ」


『ぼくはしょうらい、セリエAのサッカーせんしゅになって、大かつやくしたいです。友だちや知り合いが、みんなで見に来てくれたら、チケットは全部ただにします。プロサッカーせんしゅはお金もちだからだいじょうぶです。ゴールをいっぱいきめたいです。でも、チームワークを大事にして、みんなで勝つチームにしたいです。ぼくは一人じゃありません』


 一人ならこんなチャンスはなかった。僕は足元の蜘蛛を蹴り跳ばす瞬間、イトりんをみた。首に繋がれた蜘蛛糸を。


 このままロングキックを撃てば、僕は蜘蛛と一緒にイトりんの首を跳ばしてしまうかもしれない。だが迷う暇はない。


 アイコンタクトだけで伝わった。イトりんは地面すれすれまで頭を低くし、本体であろう一番大きな蜘蛛に突っ込むつもりだ。


(ひよってねーだろうなあ、野口。ここで気の抜けたシュートなんか撃ちやがったら、一生許さないからな)


「……」


 僕はイトりんの目をみて腹をくくった。軸足をずらし、内角ぎりぎりを狙う。蜘蛛を本体にぶつけることでイトりんへの負担は少なくなるはずだ。


 録画したサッカー選手のシュート。何度も何度も繰り返しては見た、あのシュートだ。僕は鋭く角度をつけて、ちから一杯、右脚を振り抜いた。


「うおおおおっ!」


 芯をとらえながら抉りこむように。スピードにのった蹴りは凄まじい破壊力をみせた。蜘蛛は八つの脚を残して弾け跳んだ。


(い、いける! 思ったより柔らかいぞ)


 僅かな、ほんの一瞬の駆け引き。カネちゃんが捕獲されていく隙にハッシーは一匹の蜘蛛へスタンガンを浴びせた。


 残る二体の蜘蛛が躊躇したタイミング。こんどはダイレクトシュートをイメージし、本体の蜘蛛に飛び込んだ。


 攻撃をたたみ掛けるのは勝利のパターン、いわばセオリー。相手が強ければ強いほど、先手をとり反撃の隙を与えないこと。それはサッカーだけとは限らない。


 ドンッ……。


 視界がぶれ、鈍い音がして大蜘蛛が吹き飛んだ。細かく黒い皮膚と青白い液体を散らし、蜘蛛の体はぱっかりと口を開いたように割れていた。


「……や、やった。やったんだ!」


 着地は派手に失敗したが、本体を倒した。衝撃は大きく、上下の感覚が分からなかった。ドスンと尻餅をついた僕は、小さな女の子が走ってくるのを見た。


「……?」


 誰だか分からなかったが、ぞっとした。鬼の形相で鼻血を出しながら、校舎からまっすぐ僕に向かってくるブラウス姿の生徒。


「はっ、羽鳥さん!?」


 隣のクラスにいた、可愛らしい娘だ……だと思う。流れる鼻血をかまいもせず、顔をしかめて走ってくる。


 カネちゃんを襲った二匹の蜘蛛がひしゃげて死んでいるのを見た瞬間、羽鳥さんの叫び声が聞こえてきた。


「ぃぃぃいやあああああああっ!」


「ひっ、ひいいっ」


 こんな顔の羽鳥さんを見たのは初めてだった。いつも笑顔で、友だちも沢山いて、学園のスマイル担当だって思っていた。話したことはなかったけど。


 その彼女が一瞬のうちに飛び付いてきたかと思うと、細く白い腕で僕の胸まわりをぐっと掴みあげ、締め上げながら地面に押し付けた。


「動かないでっ!」


「は、はいっ」


 見上げた右手の先には、スコップ。僕は死ぬかもしれないと思った。茜色の空を何かが動いている気がした。


 おぼろな何か。それが何かは分からない。いや、動いているのは空じゃなく僕の顔、頭を何かが這いまわっているんだ。


 ザクッ! ザクッ!

 ザクッ! ザクッ!

 ザクッ! ザクッ!


「ひっひいっ、ひいいっ」


 羽鳥さんは僕の顔を叩いて、振り落ちた小さな蜘蛛をスコップで突き刺していた。何回も顔の真横をザクザクとやられた僕は、怖くて怖くて泣いてしまっていた。


「融合なんかさせるかっ! 死ねっ、出ていけっ、出ていけやあぁ!」


 空が涙で滲んで見えた。おしっこでジャージが濡れていくのを感じた。もはやパニックになって呼吸をしていないことに慌てるレベル。


「ひっーっ、ひいいいっ、ご、ごめんなさい、ごめんなさいいっ!」


「……」


 彼女は黙って立ち上がり、鼻血を手の甲で拭った。すらりと立って見下ろす姿は、ちいさな女の子とは思えず勇ましかった。


 僕はそそくさと起き上がり女の子みたいに座って、すすり泣くことしか出来なかった。そんなポーズで座っても、漏らしたのはばれているのに。


「ぐすっ、ぐすん」


 羽鳥さんが、放り出したスコップをハッシーが拾っていう。「借りるぞ、羽鳥」


「……うん」


 イトりんたち二人は、カネちゃんにへばりついている蜘蛛糸を剥がしていた。スコップを使って、器用に糸を外していくのが見える。


「大丈夫か、カネちゃん」


「あ、ああ。ベトベトして気持ち悪いけど、なんともない。俺たち、いったい何と戦っていたんだ? 何か知っているのか、羽鳥」


「そのへんのゴミくず、蜘蛛の死骸をかたずけてちょうだい。そのへんに、木の影とかに放り出しとけばいいわ。話はそれからよ」


「あ、ああ」ハッシーは羽鳥さんの迫力に圧され、素直に返事をした。


「お前、本当にあの羽鳥舞だよな」イトりんが言った。「いつも笑顔の舞ちゃんとかいわれてなかったっけ?」


「いつも笑ってるわけねーだろっ……いずれにせよ、この一帯に巣くう連中の状況も戦力も分からないうちは、下手に動かないほうがいいから。立ちなさい、野口鷹志」


「ぐすっ、ぐすっ」


 彼女は膝を抱えて泣いていた僕の腕を掴んだ。砂だらけで、おしっこがついている僕を引っ張って起こした。


「ちょっと顔、見せなさいよ」


 すごく顔を近づけて、僕の顔を覗き込んだ。あんまり近いから、僕のほうが彼女に見とれてしまった。


 ちいさい顔をなのに、眼や口のパーツはおっきかった。艶のあるくちびるは薄いピンク色で、つまり凄く美人ということ。


 茶色いショートヘアに、ぱっちりした茶色い眼。彼女はきっと僕のことは見てない。たぶん、僕の中に入った小さな、小さな蜘蛛を見ているんだ。


「……」


 そう思うと寂しくなった。僕は、僕のままでいられるのだろうか。この強くて、可愛くて、綺麗な彼女は、きっと僕を見てくれない。


 彼女だけじゃない。もし、松本蜘蛛が僕の中で巣を作って、僕を操ったら……もう誰も僕を見てはくれない。


 僕は居なくなってしまうから……。




 


 

 

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