真夏の夜の悪夢 ~それは宴会で始まった~
於田縫紀
真夏の夜の悪夢
8月も終わり近いある夜。
サークル長屋2階隅にある文芸部部室は夏休み中なのに宴会モードだった。
理由は簡単、酒と飯ががたんまりあるからだ。
4年生の能ヶ谷先輩の趣味は釣り。
つい昨日駿河湾で釣り船に乗って来たそうだ。
たんまり釣れたそうで、釣果をお裾分けという事で持ってきてくれた。
集まれる部員は炊飯器でご飯を大量に炊いて参集。
更に1人五百円の会費を集めて酒やドリンクを購入。
夕食会兼宴会開催とあいなった訳だ。
飯が無くなってくると会話が中心となる。
最初は夏休みに何をやったかという話だったのだが、そのうちネタも尽きて来た。
そこで今回の功労者である能ヶ谷先輩が、
「夏だし夜だから1人ずつ怪談を語るなんてどうだ」
なんて事を言ったのである。
「おっと、いいかもな。夏の夜と言えばやっぱ怪談だろ」
「文芸部なんだからこれも訓練だ」
「1人5話作って話せば百物語になるよね」
「流石に5話は辛いだろ。1人1話でいい。1年から」
あっという間に大先輩の意見は採択され、1人ずつ怖い話をしていく事に。
でもいきなり振られて怖い話をその場で語れなんて言われても難しい。
どうしても何処かで聞いたような話か、内容的にいまいちの話になってしまう。
俺も自分の番になるまで考えたのだが、結局自然科学棟の幽霊院生などというありきたりの話しか出来なかった。
他も図書館の裏の松で首を吊って死んだ話とか、卒業式前日に単位が足りなくて卒業できなかった先輩が社会学棟から飛び降りたとか、そんな感じだ。
「大体有名どころの話か、よくあるこの学校の怪談になるよね」
「せめて医学部とかある大学だともう少しリアルになるかも」
「獣医学部ならうちではないけれど近くにあるぞ」
「夜中に血まみれの男女が生気の無い目でふらふら歩いていたって奴? 何かと思ったら、昨日深夜バイトで徹夜だったのに今夜剖検が入った……って」
「それ動物のお医者さんか何かで無かったか?」
文芸部だけあって、ほぼ全員読書家を通り越して濫読家だ。
大抵の有名どころの話は全員読んでいる。
そんな訳で盛り上がらないまま3年生で部長の片平先輩まで回ってしまった。
「仕方ないですね。それでは私がここで一つ、怖いお話をさせていただきます」
片平先輩はにたりと笑う。
彼女は黒髪ロングの、いかにもという感じの美人。
整った顔をしているだけに意味ありげに嗤うだけで何かを感じさせてしまう。
片平先輩は嗤いから無表情モードに切り替えて話を切り出した。
「さて今回、能ヶ谷先輩が釣って来られた魚は4種類。この白身の脂がのった魚と、鯖と、鰹っぽい魚、この剥き身になっている魚です」
何故魚の話をするのだろう。
俺はそう思いつつも彼女の話を聞き続ける。
「まずはこの魚、鰹に似ていますがいわゆる鰹ではありません。ソーダカツオです。この魚は魚屋さんにはあまり出回りません。時間が経つとある物質が生成されるからです。その名はヒスタミン。蕁麻疹の原因物質。蚊に刺されたようなかゆみが全身に広がるアレです。食べた時、魚本来の酸味だけでなく何かピリリと感じた人はいませんか」
片平先輩はにまーっと嗤いを浮かべる。
待ってくれこういう怖い話かよ。
でもピリリとは……しなかった気もするが自信は無い。
「中毒になった場合は1時間以内に顔が赤くなったり、じんましん、頭痛、おう吐、下痢などの症状が出たりします。重症の場合は呼吸困難や意識不明になることも。大丈夫ですか。顔が赤くなっていませんか。どこかかゆくなっていませんか。皮膚が赤く盛り上がっていませんか。蚊にさされたかのように」
そんな事を言われても半数は酒が入っているので顔が赤い。
1年と2年の一部は20歳未満なのでソフトドリンクだけれども。
ただ集まって飯を食べているだけでもそれなりに血色は良くなる。
だから顔が赤くてもヒスタミンのせいかはわからない。
でももしそれがヒスタミンのせいだったら。
右手の甲がかゆく感じるのは気のせいか。
「なお鯖もヒスタミンを生成しやすいそうです。皆様大丈夫でしょうか。
しかし実はそれよりももっと危険なものを先程発見しました。皆様、これは何でしょう?」
半透明の指輪のようなものを彼女は周りに見せる。
数人は見ただけでそれが何かを理解したようだ。
俺はわからないけれど。
「そう、アニサキス、有名な寄生虫です。よくニュースなどでも取り上げられたりもします。もし運悪くアニサキスを食べてしまって、そのアニサキスが生きたままだとどうなるでしょうか。
大丈夫です。死ぬことはほとんどありません。激痛に見舞われるだけです。なお潜伏期間は胃がやられる場合は3時間以上。腸がやられた場合は潜伏期間が数日後という事もあります。
1週間もあれば体内のアニサキスも死ぬので問題ありませんが、その間激痛に見舞われては大変なので、危険だと感じた場合は一刻も早く病院に行くことをお勧めします。
また運悪くアニサキスでアナフィラキシーショックを起こしたりすると、最悪の場合は……」
パン!
その音に思わずびくっとする。
実際は片平先輩が手を叩いただけだけれども。
片平先輩はゆっくり周りを見回し、頭を下げた。
「以上、怖い話でした」
副部長の岡上先輩の顔がひきつっている。
「おい待て片平。そのアニサキス、見つかったなら何故すぐ言わない。誰か当たるかもしれないだろ」
副部長の他にも何か心配そうな顔がいくつか。
実のところ俺も岡上先輩に同意見だ。
アニサキスの名前は俺ですら聞いた事がある。
何故言ってくれなかったのだろう。
そう思った時だ。
片平先輩が急に思い切り笑い出した。
おかしくてたまらないという感じでひとしきり笑った後、口を開く。
「冗談よ。これはアニサキスじゃない。釣った魚で宴会って聞いたから、こういうネタも使えるかなと思って樹脂で作った奴。あとヒスタミンも新鮮なうちに食べればそれほど問題になる事は無いから。ああ面白かった」
仏頂面になる岡上先輩。
「酷いなそれ」
「だから怖い話をしただけよ。お題の通りでしょ」
片平先輩は更に笑い転げる。
どうやら岡上先輩の表情がよっぽど彼女のつぼにはまったようだ。
確かに怖い話ではあったと思う。
やや反則という気もするけれど。
「さて、最後は私の番だ。片平に気づかれたかと思ったが杞憂だった」
能ヶ谷先輩がそんな前置きで話し始めた。
今のはどういう意味だろう。
片平先輩もわかっていないようだ。
いぶかしげに能ヶ谷先輩の方を見ている。
「人前で話すのが得意では無いので最小限で。なぜそれが怖い話なのかは各自スマホか何かで検索して確かめてくれ。
それでは怖い話。今回の刺身の中で一番量が多く、なおかつ脂ものっていて皆も旨い旨いと言って食べたこの白身の魚。これはバラムツという魚だ。以上」
どういう意味だろう。
俺にはわからないし、ほとんどの人がわからないようだ。
ただ明らかに今の台詞を理解した人が1名いる。
片平先輩だ。
「うわあっ。まさか能ヶ谷先輩、自爆攻撃?」
能ヶ谷先輩は悪そうな笑みを浮かべる。
「ふふふふふ、実は私はまだひと切れも食べていない。後で自宅で安全措置をしてからゆっくり頂く予定だ」
「もう、女の子もいるのに最低!」
そう言って片平先輩は立ち上がる。
何故か微妙にゆっくり注意深く立ち上がったように見えたのは気のせいだろうか。
「それじゃ私、大丈夫なうちに帰る。他の皆も、特に女の子はすぐ帰った方がいい。部長としての忠告は以上! じゃあね。皆の無事を祈ってる」
片平先輩は妙にそろりそろりと歩いていく。
どういう事だろう。
「毒じゃないですよね」
「今食べた程度の量では死ぬほどの毒ではない筈だ。社会的に死ぬかもしれんがな」
そんな岡上先輩と能ヶ谷先輩の会話が聞こえる。
こうなったら調べるしかない。
俺はスマホを取り出した。
「バラムツだっけ?」
「そう、バラムツ」
周りに確認して検索開始。
結果はあっさり出た。
販売禁止とか美味しいとか尻から油とか。えっ尻から油?
気になったのでそこを選択して読んでみる。
『バラムツの脂はワックスエステルで、人体では消化できません。ですので食べると尻から油が出てくる事があります。便意も何もなくいきなり出てくるので止めることは出来ません……』
何だそれ!
「能ヶ谷先輩、あなたって人は!」
誰かが俺より早く真相にたどり着いたようだ。
この声は2年の真光寺先輩だな。
「喜べ。食品衛生法で流通を禁止されているから釣らない限り手に入らない貴重な魚だ。人によってはおむつを履いてでも食べたいという位の逸品だぞ」
いひひひひというわざとらしい笑い声まで聞こえる。
検索結果は次々と出てくる。
尻から脂が漏れて社会人失格とか、異臭が酷いとか……
俺もおおよそ理解した。
これを食べると尻から知らないうちに赤い脂が出てくる。
出てくる感触が無いから気付かないうちに漏れ出して下着やボトムズを汚す。
そういう事だ。
何て事をしてくれたんだ。
そう思って気付く。
怖い話をしようというのは能ヶ谷先輩が言い出しっぺだった事に。
謎は全て解けた。
能ヶ谷先輩は最初からそのつもりだったのだ。
バラムツの刺身を出したのも、怖い話をするようにしたのも、全て計画通り。
元々こういう人なのだ。
『世の中にはやっていい事とやって面白い事がある』
これが座右の銘だと言っていたし。
だが俺もこの歳になって漏らすわけにはいかない。
「片づけはいい。解散だ。各員無事を祈る!」
岡上先輩がそう言ってくれた。
だから俺も尻から油を出さないよう、そろりそろりと立ち上がって逃走開始。
大学から下宿まで自転車で15分。
帰り道の間、何とか無事であるようにと祈りながら。
真夏の夜の悪夢 ~それは宴会で始まった~ 於田縫紀 @otanuki
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