直感と直観ー大川小学校の悲劇から考察

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第1話 直感と直観ー大川小学校の悲劇から考察

  Wikipediaで検索すると、「直感は、感覚的に物事を感じ取る」とある。いわゆる「勘」である。

一方「直観」は、本能とは異なるとされているが、無意識の判断という解釈だ。その判断材料は、経験による記憶である。

 宮城県の大川小学校は震災時、いざという時の避難所と認識されていた。釜谷地区はそれまでの経験の蓄積で、昭和三陸大津波レベルですら大川小学校には津波が来なかった事を考慮され、直観として判断されていたのだ。

 そして震災のまさにその時山と堤防に遮られていて津波の動向が把握できない環境の中、避難が遅れ、全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となってしまった。

 助かった生徒は、教頭は「山に上がらせてくれ」と言ったが、釜谷地区の区長は「ここまで来るはずがないから、三角地帯に行こう」と提案を認めず、口論となっていたという。結果として最後尾で津波から遠く裏山へ駆けあがった教諭とそれに従った数名が助かった。また家族が車で迎えに出向いて避難した生徒も助かった。

 この事件の裁判で争点は、被害が判断を大人に委ねざるを得ない小学生だという事と当時の教職及びの判断が妥当だったかというものであった。

 しかしそれだけだろうか。私はここで日本社会の「空気を読む」習慣、「同調圧力」が子供を殺したと考察する。

 教職たちは津波が到達するまでの50分間、議論を交わしていた。生きるか死ぬかの瀬戸際である。その間、石巻市長、教頭とのやり取りで、避難場所の激しい検討がなされた。教頭は裏山を提案し、市長は当初の設定どおり大川小学校にて非難するよう応じた。勿論教職たちの間でもそうであろう。高台の方が安全なのは明白だ。その件について後日石巻市と宮城県は、大川小学校は津波の浸水想定区域に入っておらず、津波の際の避難所として指定されていたことなどを理由に津波の襲来を予見できなかったと主張した。

 しかし仙台地方裁判所は、少なくとも石巻市の広報車が大川小学校付近で津波の接近を告げ、高台への避難を呼びかけた時点までに、教員らは大規模な津波の襲来を予見できたはずと判断し、さらに市教委まで含めた「組織的過失」を認定した。また、大川小は津波の予想浸水域外に立地していたが、「教師らは独自にハザードマップの信頼性を検討するべきだった」とも指摘した。ここでようやく学校の裏山に避難しなかったのは過失だと結論づけた。そして仙台高等裁判所判決確定を受け、石巻市と宮城県教育委員会合わせて賠償総額は20億円を超えることとなり、一応の決着を迎えた。

 ただ、被害者の親及び関係者の気持ちを考えると、それ以外の方法が無いとはいえ、お金ですべてが解決できる問題ではないだろう。平常時に風通しのよい組織ならば非常時に柔軟に対応しやすいのは自明の理である。経験が加味された「直観」が組織に組み込まれると、悲劇が舞い込む。

 大川小学校だけではない。コロナ禍で行政の慣習の綻びや組織の論理で動く危うさが再認識された。個々人がバラバラでは社会は成り立たないが、社会は個々人を生かすためにあり殺すためではないという事を忘れてはならない。


 

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