第109話 訃報


 ディビジ大森林でセシルの勧誘に失敗し、1人生き延びたキースは、自分の主であるベナス=リュックが代官を務めるタバレの街に辿り着いた。

 タバレの街はディビジ大森林の玄関口であるカルダゴの街の隣にある。


 リュック家は貴族だが、土地持ちではない。

 正確には帝国に土地持ちは皇帝1人しか存在しない。国内の草木1本に至るまで皇帝の物であるのだ。その為、貴族であれ代官と言う形で土地を治めている。

 個人資産という物も存在しているが、それも真の持ち主は皇帝の物という事実は法律で明文化されている。

 皇帝が渡せと言えば渡さなければならない。

 生活に関わるような資産を取り合げる事はほぼ無いが、壺や絵画などの美術品や、娘が召し上げられる事はままある。美術品が取り上げられる事は、貴族たちの不満の種となっているが、自分の娘は積極的に皇帝に差し出そうとする貴族が多い。

 娘が皇帝の子でも孕めば、高い地位が得られるためだ。


 理不尽とも言えるこの国から貴族達が逃げ出さないのは、皇帝を神とする洗脳にも近い教育もさることながら、貴族の暮らしはこれでもかと言うほど裕福なのだ。貴族の中でも高い地位に着く事が出来れば多少理不尽に美術品が取られようが、どうとでも無い程の資産を蓄える事が出来る。

 そのお鉢は平民と奴隷に回っている。貴族に直接仕えている平民は割と裕福だが、農民などはかなり生活が厳しく、ギリギリの生活が強いられている。

 平民は貧しすぎて他国に移動する余裕がない。それでも脱国しようとするものは後を絶たないが、ほとんどが国境警備兵に見付かってしまうか、魔物のエサとなっている。

 冒険者となり、護衛などで他国などに行く事も可能だが、護衛任務を受ける程の実力になる前に戦争や魔物討伐で徴発を受けると、冒険者は最前線で戦う事を余儀なくされる。

 貧しい平民では戦う技術を持っている者はほとんどおらず、多くの者が死んでしまう。

 また、運良く生き残り、ベテラン冒険者となって護衛任務を利用し他国に移住しようとしても、各地に隠れ住んでいる間諜に摘発され奴隷に落とされる。

 言語でバレてしまうのだ。

 


 そんな絶対君主制である帝国の代官であるベナスが、リスクを犯してまでセシルを手に入れようとしている。

 もし皇帝を出し抜いてセシルを手に入れたとしても、バレれば大変な事になるので、公で使う事は出来ない。

 だが、殺しを生業とする暗部での登用など、いくらでも使い道はある。

 いずれにせよ碌な使い方はしないだろう。


 キースは生活の為に仕えているが、碌な人間ではないベナスに対し忠誠心はほぼゼロだ。



 キースはタバレの街に着くと、本来の報告すべき順番を無視し、ベナスに報告に行く前にテリーの家族に会いに向かった。

 セシルとの戦闘で傷付き、鳥の魔物に食べられてしまったテリーは、キースの幼馴染だった。

 家族ぐるみの付き合いで、嫁とその子供とも付き合いは多い。

 テリーの死を報告しない訳にはいかない。



(はぁ気が重い)

 何度か深呼吸をしてドアをノックする。

 もう夕方なので、家にいるはずだ。


「はい。どなた……あら、キースじゃない。どうしたの? うちの旦那は?」


 テリーの嫁イバンヌが玄関から顔を出してきた。

 帝国民らしく小麦色の色黒な肌で、スタイルが良く健康そうなタイプだ。


「突然の事で驚くと思うが、落ち着てい聞いて欲しい。すまない。テリーは……テリーは、死んでしまった」


 キースは頭を下げる。


「は? 私がそういう冗談が好きじゃない事は知ってるわよね?」

「冗談じゃない。俺の目の前で……」

「ふっざけんじゃないわよ!! あんたの目の前で死んだなら、なんであんたはそんなにピンピンしてるのよ!! 馬鹿にするのも大概にしろよっ!!」


 イバンヌは顔を真っ赤にして怒り、キースの身体を玄関の入り口から押し出すと、バンッと音を立てて玄関のドアを閉めてしまった。


 ガンッ

「ぐあっ」


 イバンヌがキースの身体を押し出す距離が足りなかったらしく、ドアがキースの自慢の高い鼻を強打してしまう。


 あまりの痛みに蹲る。

 恐らく鼻の骨が折れただろう。

 鼻字がドボドボと落ちる。


(いっ……痛ってぇ。……くそっ! 閉める時、気を付けろよ! ……いや、テリーを助けられなかったんだ。これくらいの罰なんでもない)


 ズンズンと脳に響くような痛みに涙目になりながらも、立ち上がろうとすると後ろから声がかかった。


「キースおじさん、大丈夫!? 鼻血出てるじゃないか!! 母さん!! キースおじさん怪我して泣いてるよ!!」


 ちょうど家に帰ってきたイバンヌの息子ヨトが、たまたまドアで鼻を強打するキースを見ていたのだ。


「いや、良いんだ。仕方ない。俺は一旦帰るよ。それと泣いてない」


 イバンヌが何事かとドアから覗くと、さっきまでピンピンしていたハズのキースが、ボタボタと鼻血を流している。

 恐る恐る顔を除くと鼻が曲がっているのを見てギョッとする。


「一体何が……?」


 この短時間で何が起こったのだ? とイバンヌがワナワナと手を震わせキースを見る。


「お前……いや、何でもない。テリーを助けてやれなくてすまなかった。また来る」

「……家に入りなさい。治療しないとダメでしょ」

「いや、それは……」

「その怪我、大方自分が許せなくて自分で自分を殴ったんでしょ? 自分を傷付けるなんて馬鹿な事しちゃダメじゃない? まったくもう、あんたももうおじさんなんだから……」

「母さん……母さんが勢いよくドアを閉めるから、そのドアがおじさんの鼻に当たったんだよ」


「「……」」


 イバンヌは自分のセリフを思い返し、赤面する。

 キースも自分を殴るなどといった青臭い事をするつもりなど1ミリもなかったので、熱量が足りなかったかもと無駄な罪悪感を覚える。


「母さん達に何があったのか知らないけど、とりあえず家で治療しないと。まずおじさんの鼻戻さないと……母さん?」

「あっああそうね。治療しなきゃね。あんたは井戸水持ってきて」


 イバンヌが思いっきりキースの曲がった鼻を元の位置に戻す。


 ゴリッ


「グヌアアアアア」

「水持ってきたよ」


 キースが泣きながら井戸水で鼻を洗う。

 しばらく時間を置いて鼻血が落ち着いてくると、鼻に詰め物をして家の中に入って行く。

 家の中にはヨトの妹のユーナがいた。キースの顔を見て何事かと不思議な顔をしている。

 全員が椅子に座ると話が始まった。


「で、母さんたち、何があったの?」

「それは……」


 沈痛な顔をするイバンヌに代わってキースが話す。

「いや、俺が話す……ヨト、ユーナ、お前の父さん、死んでしまったんだ」

「「えっ!?」」

「父さんが? ほんとなの?」

「ああ。ほんとだ。守ってやれなくてすまない」


 イバンヌは、夫の仕事柄こんな日が来るのではないかと想定はしていたが、まだ呑み込めていない。

 ヨトとユーナもまだ実感が湧いておらず、悲しみは襲ってきていないようだ。


「守ってやれなくて? 誰かに襲われたの?」

「ああ。大賢者の卵と鳥の魔物だ。大賢者の卵はヨトも知ってるだろ?」

「大賢者の卵って、俺と同い年だっただろ? 10歳に父さんは殺されたの?」

「殺したのは鳥の魔物だが、足と目を怪我させて逃げれなくしたのは大賢者の卵のセシルだ」

「嘘だ!! 父さんは強いんだ!! 10歳に負ける訳ないだろ!! 俺を片手て持ち上げられるんだぞ!! 魔法も使えるんだ!! 大賢者の他にも護衛の兵士がいっぱいいたんだろ!?」

「セシルと従魔2匹に隊長とテリーはやられたんだ。テリーがセシルに火魔法で火傷を負わせたが、鳥の魔物が襲ってきてな……」

「セシルは!? セシルも死んだんだよね!? おじさんがやっつけてくれたんでしょ?」

「いや、テリーの魔法でそれなりにダメージがあっただろうが、恐らく生きている。……俺は何も出来なかった。すまない」


 キースはまた頭を下げる。


「……お父さん死んじゃったの?」

「ああ、そうだ。ユーナ、すまない」

「ふぇっ、おっお父さんもう帰ってこないの?」

「ああ、そうだ」

「いっ……イヤだ!! おどうざんがえっでぐるもん!! 噓づき!! 帰って!! 嘘づぎ!! かえってぇ~」


 キースは椅子から立ち上がったユーナにグイグイと押される。

 キースは立ち上がるとユーナに抵抗する事無く家を出る事にした。


「すまない」


 そう言い残し家を出て背を向け帰ろうとすると、後ろから声を掛けられた。


「形見は? 何か、旦那の形見は?」

「すまない。持って帰れなかった」

「そんなっ……あああああああああ」


 イバンヌの慟哭が響き渡った。ようやくイバンヌもユーナの様子を見て、テリーが亡くなった事が現実として理解したようだ。

 キースはテリーの家族が悲しむ姿を見て、自分の罪を再認識する。



 助かる為には仕方ない判断だった。

 しかし、本当に仕方がなかったのだろうか?

 セシルにこれ以上手を出さないようにお願いしていれば、鳥の魔物からはどうにか救う事が出来たんじゃないだろうか?

 セシルに協力をお願いしていたら?


 脳内を~したら、~していれば、が次々に浮かんでくる。


(テリーは助けられたかもしれねぇな……何でこんな事になっちまったんだ。――全ての元凶はセシルの野郎のせいじゃねぇか? そうだ。あいつが王国で大人しくしてればこんな事には……テリー、せめて仇討ちはしてやるからな)

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