第95話 雨
セシルが目覚めると、すでに辺りは暗くなっていた。
月明かりの下、薄っすらとライムとマーモが、心配そうに覗いて来ているのが見えた。
「ナ~」ぽよん
「ごめん。大丈夫だよ。あっワイバーンの肉、切り分けてくれたの? ありがとうね!」
セシルはライムとマーモが斥力魔法で切り分けてくれていたお肉を取り、焼いて口に運ぶ――
「うわっ!? クッサッ!! 獣臭強過ぎない!? しかも硬ってぇ。え~嘘でしょ。あんなに苦労したのに、ワイバーンの肉こんなに臭くて硬いの……」
ワイバーンは全身が筋肉の塊である。
「おっ! 内臓は美味しい。うっわ。何これ美味しい。でもクッサッ! 何この漂うウンチみたいな臭い。臭いけど美味しい所あって良かった。内臓は斥力魔法でぐちゃぐちゃになっちゃったから、どこの部位か全然分からないけどね。でもほんと臭い――――魔法で……ぐちゃぐちゃに?」
セシルはハッとなる。
「…………嘘でしょ……とんでもない事に気付いちゃった。これ、内臓を傷付けた時に、腸もぐちゃぐちゃになって、ウンチ混ざってるんじゃ……おっおっオロロロロロ」
気持ち悪くなって吐き出し、水魔法で口をゆすぐが、口から漂うウンコ臭は中々取る事が出来なかった。
ライムとマーモが心配そうに顔を覗いてくる。
「大丈夫じゃないけど大丈夫だよ……あっそういえば、ずっと見張りで起きてくれてたんだよね? 気が付かなくてごめん。ライム、マーモもう寝て良いよ。僕がしばらく起きてるから。臭いに慣れるまで寝れそうにないし」
「ナー」ぴょんぴょん
ライムとマーモは眠りにつく。
セシルはそのまま朝まで1人で見張りをするつもりだったが、途中でライムが起きて、セシルに眠る様に促してきたので、交代で眠る事が出来た。
魔物達はワイバーンを恐れてかなり遠くまで逃げていたのか、襲ってくる気配さえもなく、無事に朝を迎えた。
「おはよう」
「ナー」ぴょんぴょん
「切り分けたワイバーンの肉は焼いてくれる? お肉は綺麗に洗って、内臓が付かないようにしてね。その間、僕は爪とか役に立ちそうなのを切り落としておくから」
「ナー」ぴょんぴょん
手分けして作業を進める。
セシルは剣鉈で切り分けようとしたが、皮膚が硬くほとんど喰い込まなかった為、斥力魔法で切り分ける。
「男爵がくれたドラゴンの腕輪ってワイバーンとは違うのかな? まだ頭ガンガンするし、病気除けの腕輪欲しいな。どうやって作るんだろう?」
特別な効果を持つ装飾品は、特殊な素材を加工し、さらに呪術師が祈祷を捧げる事で出来上がる。
しかし、呪術の効果は目には見えず証明も難しいため、錬金術師達は眉唾物だと言う者が多い。
とは言え、高名な呪術師となると、1回の祈祷で年収を稼ぎだす者もおり、その様な呪術師が祈祷をした装備は実際に効果があるとされ、高値で取引されている。
セシルも身に付けていた2年間は病気にかかる事は無かった。
一応、セシルも見様見真似でワイバーンの尻尾で腕輪を作ったのだが、祈祷を行っていない為、特別な効果は得られていない。
他にも、爪や牙など、使えそうな物は持てるだけ切り取る。
セシルは貧乏性で、高価そうな物は、使う予定が無くても出来る限り取っておきたい派だ。
「なんかワイバーンの翼、凄い寝心地良かったから、切り取って持って行きたいな」
翼をある程度の大きさに切り分けて、背負い籠に入れようとするが、中々入らない。
仕方なく全ての荷物を一度取り出し、背負い籠の底に拡げる様にして入れた。
改めて翼の上に荷物を詰めていくと、荷物がモリモリになって行く。
もちろんワイバーンの魔石も切り取ったが、魔石を使うような魔道具も持ち歩いていないため、活用出来そうもないがしっかり確保している。
こぶし大程の見たことも無いような大きさだった。セシルにはこれを捨てる選択肢はない。
しかし、サーベルタイガーとワイバーンの魔石が大きく、荷物がズッシリと重たくなってしまったので、泣く泣く狼の魔石などは捨てる事にした。
切り取った素材と肉に臭い消しの薬草を擦りつけると、その場を後にした。
まだ、身体は重いが、少し行った先に山の斜面のようになっている場所が見えている。
そこに穴を掘れば、久しぶりに安心して睡眠が取れると思うと自然と足取りは軽くなる。
目指している岩山はまだまだ先だが、とりあえず体調を整えなけらばならない。
半日ほど歩いて、目的地にたどり着くことが出来た。
雨雲が近付いているようなどんよりした雲が出ており、慌てて寝床を作る。
山の斜面の土は少し柔らかく、若干しっとりしているが文句は言ってられない。
草を敷けば問題ないが、雨が降る前に乾いた草を集めなければならない為、忙しなく寝床作りをする。
ボロボロと土がくずれるが、大きな木の根の下に寝床を作った為、木が倒れない限り安全に問題はないだろう。
根を避けながらの作業にいつもより時間がかかってしまったが、その分、土に埋もれて死ぬ可能性は減ったと思われる。
草を敷き詰め、最期に果物をいくつか採集していると、雨がポツポツと降り始めたため寝床に走り込んだ。
「あっぶなぁ~ぎりぎり間に合った! これで安心して眠れるね!」
「ナー」ぴょんぴょん
まだ時間が早いが、セシル達は疲れた体を癒すために、横になりゆっくり休むのだった。
ボタ
ボタボタ
「ん?」
セシルはポタ、ポタと何かが顔に当たり、目が覚める。
「何? これ?」
セシルの目が驚愕に見開かれる。
「嘘……でしょ? 勘弁してよ……」
雨が土を通り寝床に滲みてきているのだ。
もうすでに服も包帯も荷物も、ビッチョビチョだ。
ライムとマーモを抱き寄せて、2匹が濡れないように雨よけコートを掛けてあげると、雨漏りの事はなかった事にして寝ようとしたが、ボタボタと当たる泥水、落下してくるミミズなどの虫がなかなか眠らせてくれなかった。
う~。どうしたものか。とセシルが悩んでいると、ふと気が付く。
「ワイバーンの翼あったの忘れてた」
慌ててギューギューに詰めれらている背負い籠から、全ての荷物を出し、一番下に敷くように入れていたワイバーンの翼を取り出す。
翼を地面に敷くと、その上に乗る。
「おっ地面のびちょびちょは防げそう。もう全身濡れてるから遅いかもだけど」
そう言って横になると、翼のお陰で多少はマシになり、浅い眠りを繰り返しながらも寝れるようになった。
翌朝、目が覚めると寝床から外を見てガッカリする。
分かっていた。
分かっていたのだ。
なにしろ寝床に落ちてくる泥水は減らず、荷物も服もびしょびしょ。
そして、強い雨音。
これで降っていないはずがないのだ。
しかし、これは川の音ですでに雨が止んでる可能性も? と謎の希望に一縷の望みをかけたがダメだった。
ザーザーと大降りの雨が、これでもかと降っていた。
「おぅふ……」
セシルは濡れて冷えてしまった身体を温めるべく、マーモ達に抱き付くが、お互い濡れている為、ヒヤっとする。
目覚めた時はくっ付いていたため暖かかったが、一度離れてしまうと急激に冷たくなってしまっていた。
「おぅふ……」
それでも我慢して抱き付き体温を感じていると、相変わらず天井からボタボタと泥が落ちてくる。
ミミズなどの虫もボトボトと落ちてくるが、それはライムにポイッとやれば食べてくれる。田舎育ちのセシルには虫など、攻撃してこなければどうって事も無い。
しかし、泥はキツイ。
天井は大木の木の根が張っているため、崩落の心配は無いだろうが、びちゃびちゃと落ちてくる泥で荷物はぐちゃぐちゃに汚れるし、冷たい。
食べようとしたお肉にもボタボタと泥が落ちてくる。最悪だ。
どうにか洗い、少しジャリッとする感触に顔を顰めながらご飯を食べる。
食べ終わったら雨が止むのを願って寝る。を繰り返す。
トイレに行くたびに温まった体が冷える。
お腹も壊している。
ワイバーンのうんこの影響があるかも知れない。
セシルはさらに体調が悪くなっているのを感じていた。
明日は晴れて! と思いながら過ごすが、無情にも次の日も雨だった。
背中の火傷は痛みがほとんど無くなって来ているのが救いだった。
「ワイバーンの腕輪、全然病気に効果ないじゃん……」
体調不良に良いとされている薬草を、生のままモッシャモッシャと食べる。
本当はすり潰して飲みたいが、泥水が飛び散る中では難しい。
「にっがっ」
ライムとマーモが心配そうに見てくるが、どうしようも出来ない。
2匹を撫でながら、また眠れない眠りに付き1日を過ごした。
さらに夜も、寝て起きて寝て起きてを繰り返すと、ようやく朝日が見えてきた。
「良かった~やっと晴れた! でも、ごめん。今日もここで休ませて。かなりキツイ」
「ナー」ぴょんぴょん
晴れたが雨で身体が冷えたせいで、また体調が悪くなってしまっていた。
この場所に留まるにしても、泥だらけで冷たくなった服は洗う必要がある。
とりあえず、外に出て裸になると、服も荷物も全て水魔法で泥を洗い流し、木に掛けて干す。ワイバーンの翼も一緒だ。
マーモとライムの身体を洗い流し、セシル自身も水で身体を綺麗にすると風魔法を当てて乾かす。
「うーっ寒い」
身体を乾かし終わると、太い木の根に座り、干した服に風魔法を当て、朝ごはんを食べながらボーっと過ごす。
「寝床が上も下もびちゃびちゃなままなんだよね。乾かすのは無理だろうし。どうしよう? 新しく掘っても湿ってるだろうから、またすぐ汚れそうだね」
ワイバーンの翼と雨除けマントを優先して風魔法で乾かすと、翼を寝床に敷き、入口を草木で隠してまた寝始めた。
ずっと横になっていたので、全然眠くないのだが、体調を整える為には寝るしかない。
そのまま日中を寝て過ごし、夕方に干していたものを回収してワイバーンの肉を食べると、また寝始めた。
☆
「んんっ~」
朝、目覚めると、セシルは背伸びをする。
「おっ!? 頭痛くない! 今日は移動できるよ! ライム、マーモ、迷惑かけてごめんね」
「ナー」ぴょんぴょん
準備を終えると、燻製肉の様にカチカチになったワイバーンの肉を嚙みながら歩いて行く。
噛めば噛むほど、臭みが出てくる。
臭さが癖になる。
とかはない。ただただ嫌な臭いだ。
ライムはウンチも食べるくらいだから、まったく問題なさそうだが、マーモも渋い顔をしている。
この日の移動は順調に進んだ。
病み上がりで身体が重たく、元気にな時に比べると若干歩みが遅いが、ここ数日の事を思うと順調と言っていい。
順調すぎて魔物も現れず、新鮮な肉を手に入れる事も出来なかった。
残り少なくなってきたが、またワイバーンの肉を食べる。
もう、臭いを嗅ぐだけで気分が悪くなってくる。
この臭いのお陰で魔物が寄ってこないのかもしれないな。と考えるセシルであった。
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