第41話 引っ越し
「セシル様、今日は新しい家の下見と引っ越し準備をしますよ!」
いつもの様に朝食の場でイルネが予定をセシルに伝える。
「楽しみ!」
「ふむ。私も気になる。手伝いに行こう」
リビエールも着いてくるようだ。
まだセシルにボコボコにされた怪我が治っていないので、荷物運びなどは役に立たない
ダラスに言われた朝の運動をしようとしたが、身体が痛いと言い訳してストレッチだけをやっていた体たらくぶりだ。
要するに手伝うつもりはなく、ただ見に行きたいだけだ。
「では食後に早速行きましょう」
こうしてリビエールを含めた複数人で行くことになった。
マルト執事長も一緒だ。部屋の準備などに関してはもっとも頼りになる存在である。
サルエルももちろん知識が豊富だが、王都での物品購入などに関してはマルトが一日の長がある。
馬車を一台用意しておりライムとマーモも一緒に同行する。
祭りの時と違い、通常時は人通りが少ない上、買い出しなどで街中をウロウロするのは使用人であり、貴族はそんなに頻繁に行ったり来たりする訳ではないので、ライムとマーモを連れて行っても問題が起きる確率が低いと判断したからだ。
そもそも馬車に乗ってしまえば見えないからなおさら問題がない。
御者はダラスが務め、思ってたより人の通りがあったが問題なく学院に着いた。
イルネが事務室に家の鍵を貰いに行く。
少し待つと鍵を受け取ったイルネが戻って来た。
「今日は学生寮に入る子供達の入寮で人の出入りが多いみたいです」
今入寮している子供達はほとんどが平民で、セシルが入って来た貴族街の方はあまり出入りが多くなかったので気が付かなかった。
セシルの新居と違って他の貴族たちは早めに荷物を入れる事が出来たため、近場の貴族達はすでに搬入を終わらせている。
「馬車は家まで横付けして良いそうですが、寮付近は人の出入りが多いのでスピードを落として進んで欲しいとの事です」
「うむ了解した」
そうしてイルネの道案内でゆっくり馬車を進める。
学生寮を少し過ぎて行く馬車に興味が混じった視線があったが、特に問題なくセシルの専用寮に到着する。
「なんと、ここまで大きい家を用意してもらっているのか」
卒業後、セシルを捕まえておこうという国の意思を感じてダラスは焦る。
止まった馬車から出て来たリビエールも家を見て驚く。
「え? ここがセシルだけの家になるのか? 大きすぎないか?」
「僕だけじゃないですよ。イルネとライムとマーモの家です」
「いや、そうは言っても大きすぎるような……」
早速、イルネが家の鍵を開ける。
家の中の床は木で出来ており、絨毯などはなく椅子とテーブル、小さい竈が1つ見えている。
試験の日に案内を受けた時は、食事は寮の学食を利用するように言われていたが、その後に追加されたのか、2人分程度であれば問題なく料理を作れるくらいの設備はある。
水は学生寮の裏にある井戸を一緒に使う予定だ。セシルは水の魔法を使えるが、室内が乾燥してしまう為、なるべく井戸の水を利用する事になる。
聞いていた通り少し暗いので木枠の窓を手あたり次第に開けて日の光を取り込んでいく。
奥に進むと通路を挟んで部屋が二つあり、部屋の作りは簡易的で木枠のベッドがそれぞれ1つずつ備え付けてあった。
布団などは自分で用意が必要なようだ。
トイレは家の中にあるが、出した物は排泄物を流す所に持って行く必要がある。
セシルはトイレを見た瞬間に閃いた。
以前、ライムに歯磨きをしてもらう技を思い付いた時に、一緒に思い付いた事を言葉にしようとしてカーナにそれ以上はダメだと止められたあの技を試す時が来たのではないのか? と。
そうウンチをライムに食べて貰うのだ。
問題は3つ。
1つは単純にライムが嫌がらないか?これは嫌がったら即中止だ。
2つ目の問題点は消化が終わるまで、ライムの半透明な身体に食べ物が浮いている事。
すなわち、ウンコが浮いている状態でウロウロされる事になるのだ。
イル姉が自分のウンコが歩き回るのを許容できるか。
3つ目は、ウンコ食べたライムに歯を磨いてもらうのってどうなの? という倫理観だ。
セシルは人生で未だかつてないほど真剣に、ウンチライム処理問題を考察しながら、部屋を見学していく。
とりあえず、実験は後回しにする事にしたのだが、後にちょっとした事件を引き起こす事になる。
さらに廊下を先に進むと中庭があり、その天井は屋根が無く明るかった。
中庭を回る様にさらに奥に進むと地面剥き出しの運動場だった。
家の中にある運動場としてはかなり広く横10メートル縦20メートルくらいはありそうだ。
柱無しで屋根を支える技術はない為、運動場に5本の大きな柱が立っている。
早速、ライムとマーモが運動場を走り回っている。
王都に来てからというものあまり運動する機会が無かった為、大喜びだ。
いちおう辺境伯別邸の庭でも散歩はしていたが、あまり目立たないようにしていたのだ。
「これはまた凄いな。私もたまに遊びに来て良いか?」
「はい! 剣の相手をしに来てください!!」
「いや、それは……うーん。たま~に来ることにしよう。たま~に」
そうこう話している内にサルエルとマルトが生活に必要な目録を作って来たので、イルネが確認して、すぐ発注を掛けに行く。
この確認は最終確認というだけで、必要と思われる物はマルトが事前にお店に話を通していた為、すぐ用意出来るようだ。
マルトとサルエルが馬車を使って買い物をしに行き、それを待っている間に、学院の近くで食事をする事になった。
リビエールの希望で平民側のお店だ。
普段あまり行く事が無いので興味があるようだ。
ライムとマーモはお土産にご飯を買ってくる約束をして、新居の庭で待ってもらっている。
「どこも混んでいますね」
「まだ春休みで学生食堂が空いて無いからな」
セシルが住んでいたトラウス辺境領は温暖な地域で、あまり季節の変動が少なく春休みなどという言葉は存在しないが、王都付近は四季がある。
今は学生は春休み期間だ。
学生寮の食堂自体は開いているが、この長期休み期間の場合食糧の破棄を減らすために、 地元に帰らず寮に残っている者が予約した分しか食堂では作っていない為、新規で入って来た学生はまだ食べる事が出来ない。
「ここだな。学生に人気だと聞いていたから、一度行ってみたいと思っておったのだ」
リビエールが来たかったお店は迷うことなくすぐ見付かり、そこに並ぶ。
しばらく待っていると中に案内された。
メニューは魔物肉の定食オンリーのお店だった。
人数をこなす為に、座ると勝手にそのメニューが出てくるようだ。
座っていると話す暇もなくすぐに料理が出て来た。料理は硬いパンとクズ野菜が入った味の薄いスープ、大量の焼肉のみ。
完全に学生向けの『安く大量に食わせてやるぜ!』をモットーにするタイプのお店だった。
「これは……なかなか」
「ええ……これはなかなか。例えるなら野営で食べる食事ですね」
「平民はこれを毎日食べているのか?」
安くてたくさん食べられるお店は、多少味が雑だろうと学生には大人気なのだ。
それを絶品料理が食べられるお店として人気があると勘違いしていたリビエールは、カルチャーショックを受けている。
セシルだけは何事も無く食べている。イルネが調味料を使った料理を作ってくれるまではこのような味の料理が当たり前だったのだ。
トラウス辺境領では食事を無駄に残す事は御法度である。と教えられている為、ライムとマーモ用にお肉を持って帰ると言う大儀名分で、食べきれなかったお肉を革袋に入れて持って帰った。
「お昼を食べられるだけで裕福ですよ」
王都の平民は地方の平民よりは多少なりとも裕福な人が多くお昼を食べる事が当たり前になっているが、セシルの実家では騎士達が来るまで、お昼を食べる事は無かった。
セシルが家を出た今は、もうお昼を食べていないかもしれない。
「……平民の生活は大変なのだな。知らなかった」
学生寮のご飯も貴族が使う事もあって、贅沢ではないがそこそこの物が出てくる。
「リビエール様には良い勉強になりましたな。まあこれはお腹を空かせた学生用なので、王都の平民はもうちょっと美味しい物を食べてる家が多いでしょうが」
「うむ。平民が稼いでくれた税を無駄使いしてはいけないという父上の言葉がよく分かったよ」
この経験からリビエールは以前にも増して『正義』に傾いていく。
新居に戻り少しすると、サルエルとカイトが戻ってきた。
買い物をしたお店の従業員も一緒だ。
室内に荷物運び入れる為について来てくれたらしい。
「2人は昼を食べてないだろう? 荷物を搬入している間に食べてくると良い」
「はい。ありがとうございます」
2人はお昼を食べに行き、搬入が始まった。
と言っても、大物は衣装箪笥くらいで後は細々としたものなのであっという間に終わる。
そもそもセシルとイルネはほとんど荷物を持って来ていないので、後は各所を雑巾がけしながら食器を並べたりするだけだ。
リビエールも身体が痛いとボヤキながらも掃除を手伝ったので、1日で引っ越しが終わった。
他の貴族の家なら「リビエール様に掃除をさせるなどとんでもない」などと言って止めるが、トラウス辺境領の面々はそんな気の利いた事は言わない。
手伝うと言ったのは自分だろ? と言うスタンスである。リビエールもそれが分かっている為しっかり手伝ったのだ。
この家に住み始めるのは入学式前日からで、それまでは領主館でお世話になる事になっている。
ダラスとサルエルも既にお役御免のはずだが「入学まではここに居させてくれ!」と粘り腰を見せているのだ。
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