幸子さん

Re:over

幸子さん

 昨日から晴れが続いているが、変わらない寒さ。しかし、時間はじわりじわりと進んでいる。先輩がもうすぐ卒業してしまう。そうしたら、文芸部がどうなるのか、先輩に対する好意はどうなるのか、と心配になる。


「やぁ後輩くん。偶然だね」


 校門を潜った辺りで先輩に話しかけられた。


「もうここまで来たら偶然なのか、いつも通りなのか分からなくなって来ます」


「偶然の積み重ねも慣れてしまえばいつも通りになるが、それ自体が偶然ってことに気がつくべきだよ、後輩くん」


 先輩は得意気な顔で僕の肩を叩く。僕は不意をつかれてよろけ、それを見た先輩は笑った。かと思えば、校内の様子がおかしいことに気がつき、眉をひそめる。本当に表情豊かな人だ。


「そういえば、今年も幸子さんが出たんだって」


 前を歩いていた女子生徒がそんな話をしていた。幸子さんというのは、この学校にある七不思議の1つで、毎年2月頃に現れては特定の生徒から幸せを奪い、最終的には入れ替わってしまうというものだ。しかし、入れ替わったことを証明できないせいで、そもそも誰と入れ替わったのか、本当に入れ替わったのかすらも分からない。


 直観的に今年の対象は僕なんじゃないかと思った。


「2年2組にでしょ? 私も聞いたよ」


 2年2組は僕のクラスだ。こういう時、僕は決まってハズレを引く。昔からそうだ。


「たしか、君と出会ったのもちょうど1年前か」


「そうです。図書館で同じ本に手を伸ばした時です。あの時、先輩が強引に文芸部に入部させたんですよね。あっという間の1年でした」


「そうだね。もう少しで卒業か」


 卒業……先輩の口から聞くのは初めてだった。だからこそ、その言葉の重さを改めて感じる。


「先輩は寂しいですか?」


「どうだろうね。シュレディンガーってやつなんじゃない? そういう後輩くんはどうなんだい?」


 明らかにからかうつもりだ。もしかしたら、僕の好意はバレているのかもしれない。意地悪な人だ。


「さぁ、僕も先輩がいなくならないと寂しいかどうかなんて分かりませんよ」


 精一杯の嘘で誤魔化す。それはそれで胸が痛む。


「じゃあ、私が幸子さんだったらどうする?」


 突拍子のないことを言い出すのはいつものこと。僕は先輩のそういうところが特に好きだ。


「先輩が幸子さんかどうかなんて分からないじゃないですか」


「残念ながら、意識は幸子なんだ。証明してあげようか」


 先輩は無理なことを口にするような人ではない。それ相応の理由があるのか、あるいは、本当に先輩が幸子さんなのか。どちらにせよ、僕は先輩のことを疑う気はなかった。


「出来るならやってみたらいいじゃないですか」


 先輩は僕の頬にキスをした。


***


 卒業式が終わった記憶がある。それも自分の卒業式。歩いていると奥の方で先輩が手を振っていた。


「卒業おめでとう」


 僕はまた先輩の後輩を目指していた。でもそれはただの記憶であって、自分の意思ではない。


「何だか不思議な感覚です」


「そんなもんだよ。私だってそうだった」


 記憶だけの1年間はとても苦痛で、心に穴が空いたように何かを探していた。


「偶然の積み重ねも偶然のうち、ということですね」


 先輩は穏やかな顔で頷く。長いまつ毛がフワッと上下し、顔をじわりじわりと近づける。


「そういうこと。でも、幸子さんからすれば必然だったのかもね」


 先輩は僕の頬にキスをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸子さん Re:over @si223

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ