終章 誓いの三矢
52 梟雄二人
翌日。
安芸武田家の香川行景と
「……何故だ! 何故、われらが出ることを知れた!?」
動揺する香川行景に対して、勇猛果敢に突っ込んでいく武将の名を、吉川元経と言った。
「ばかめ。ただ平身低頭していただけと思うたか? おかげで安芸武田家を筒抜けにできたわ!」
吉川元経はこれまで安芸武田家に対して恭順の姿勢を取りつつもその内情を探り、人脈を作っていた。今、その人脈を活用し、香川行景と己斐宗瑞の出陣を知り、元経は自ら馳せ参じて報じた。
そしてこれまでの鬱憤を晴らさんと、先陣を望み、多治比元就もそれを認め、こうして激しく攻め立てているわけである。
香川行景はその猛烈な攻勢にたじたじとなり、友軍の己斐宗瑞に助けを求めた。
「己斐、何をしている! す、助太刀を!」
だが一方で、己斐宗瑞もその頃、横合いから奇襲を受けていた。
奇襲の主は、今義経を称する
「われこそは、今義経・
相合元綱は、昨日の第二次有田合戦では、多治比元就や長井新九郎に一歩譲ることになってしまったことを、ひそかに悔やんでいた。それに加えて、「裏切者」である己斐宗瑞が出てくるとあらば、その勢いたるや、まさに往古の源義経のごときものがあったという。
「にっ、逃げろ! 逃げろ逃げろ!」
元々寝返りにより保身を企んだ己斐宗瑞である。生き延びるために、あっさりと逃走を選んだ。
香川行景も、それに引きずられるように、退却を余儀なくされた……が、易々と逃がすような吉川元経ではなく、行景は元経との激闘の末、討ち取られてしまう。
その後も香川、己斐の軍は猛追を食らい、最終的には相合元綱が己斐宗瑞を袈裟斬りにして
「
元綱は宗瑞の首を引っさげ、亡き兄・興元の墓前に供えたという。
*
伴繁清ら、これ以上の戦いは自重すると判断に傾いた将兵は、香川行景・己斐宗瑞が戦っている間に、
伴繁清は、亡き武田元繁の遺児・光和を立てて安芸武田家の家督を継がせ、安芸武田家はかろうじてその勢力を保つことになる。
だが、武田元繁という勇将、そして熊谷元直や香川行景らといった優れた武将を失い、安芸武田家は徐々に零落の一途をたどっていく。
そのあとを、毛利家が勢いを伸ばしていき、毛利は安芸を制圧し、やがては中国を支配する戦国大名へと成長を遂げる。
――それは、いみじくも、生前の己斐宗瑞が、有田中井手の戦いの勝者が安芸を制し、やがては中国に覇を唱えることになるだろうと予言した「神のお告げ」のようではあった。
*
多治比元就は、香川行景と己斐宗瑞の撃破をもって、安芸武田家との一連の戦闘の終結を見た。
「これ以上の
先述のとおり、安芸武田家の残存兵力は、佐東銀山城へ向けて撤退を開始しており、それを追撃する必要も余力もない毛利・吉川連合軍は、解散することになった。
だが、元就は精力的に外交について手を回す。
「まずは、
元就は宿老の
次いで、吉川元経に対して、出雲の尼子経久への
元就としては、大内家のみに依存する体制を改め、尼子家へも協力する姿勢を示し、それをもって、毛利家、
また、それは尼子家とのつながりを石見・高橋家に示し、やはり尼子とのつながりを持つ高橋家に、これ以上の毛利家への過干渉を封じるという裏の意味もあった。
そして最後に――元就は宮島へ向かった。
安芸国内における示威として、厳島神社に対する戦勝の報告と、二、三の目的を果たすためである。
*
安芸。
宮島。
秋晴れの中、多治比元就ら一行は舟から、海中の鳥居を眺めながら上陸した。
空に青。
そしてやはり海の青の、ふたつの青の真ん中に屹立する朱の鳥居。
波の音が静かにさざめく。
「美しいのう」
長井新九郎は一番に
われながら、そのままな台詞だなと新九郎は思ったが、それ以上に言いようがないのも、また事実だった。
「
つづいて上陸した元就が言う。
「……あるにはあるが、荒廃しておる」
新九郎は歎息した。その歎息は、目の前の美しさか、京の侘しさか、どちらに向けられたものかは、元就には判別がつかなかった。
「まあよい、とりあえず参拝させてもらって、それから帰るとしよう」
長井新九郎は予告通り、三日間の滞在を終え、美濃へ帰ることになった。元就としては何か報いるものがないかと言ったが、新九郎自身が一連の戦いの手柄は「興元への手向け」だとして、固辞した。
「第一、国人が守護やら守護代を打ち破る……これは壮挙ぞ。これが成し得るということを、おれは見届けた。これは大きい」
堺への舟がある船着き場へ向けての道すがら、新九郎はそう語った。
元就としては、そうは言うものの、何もしないというのも……と悩んでいた。
新九郎は、その元就の胸中を知ってか知らずか、話をつづける。
「おれは美濃に帰ったら、父と共に、
ここだけの話だ、と耳打ちする新九郎。
「美濃を制するものは、天下を制する。いや、そんな顔するな……美濃はこの日ノ本のへそよ。へそを押さえれば、次は天下ぞ」
大言壮語ではあるが、表情は真剣そのものだ。
「……とまあ、父はそう考えた。おれもそう思う。思うからこそ美濃へ帰るし、この有田合戦で戦えたことは、おれの
新九郎は、京の荒廃について思うところがあるらしく、それには天下を取る必要があると感じているらしい。
そこまで聞いて、元就は新九郎への礼を思いつく。
「新九郎どの」
「なんだ」
「新九郎どのの力が
まあその時はお互いの子や孫の時代になっているでしょうが、と元就は結んだ。
新九郎は、何か珍しいものを見るような目で元就を見た。
そして破顔した。
「面白いことを言う。子や孫だと? 実に面白い!」
長井新九郎も多治比元就も、まだ二十代になったばかり。
過去よりも未来に多くを持ち、そして未来に希望と、野望を燃やす年齢だ。
その野望の果てに――天下を取れるぐらいになっていようとは。
「なるほど、おれたちの行く、
「やり
「そうだな」
そこで元就も笑い、ふたりは――のちの斎藤道三と毛利元就は――哄笑しながら、別れを告げるのであった。
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