51 宴(うたげ)

 やがて日が沈み、毛利・吉川きっかわ連合軍は、宵闇の中の攻撃は無益とし、追撃をやめた。

 そこでようやく、安芸武田軍は、有田城とおなじ山県郡にある今田城へ退くことができた。

 安芸武田軍が討ち取られた人数は、七八〇にも及んだと言う。

 だがそれでも安芸武田軍が毛利・吉川連合軍より、数において勝るということを理由に、香川行景や、そして己斐宗瑞こいそうずいは再度の攻撃を主張した。


「敵、毛利と吉川は、連戦により疲れておる。今、ここにおいて反撃の機を逃がせば、千載せんざいに悔いを残すこと必定ひつじょう


「仮に安芸武田が矛を収めたとしましょう。その場合、大内家あるいは尼子家の、いずこが御味方して下さるのか?」


 武田元繁は、大内家からの独立をうたい、大内義興の養女・深芳野みよしのを放逐した。かつ、尼子経久の姪を正室としたが、その尼子の縁者たる吉川家を散々に攻撃している。

 こうなれば、ここで死力を尽くしてでも毛利と吉川を降しておかねば、安芸武田家は、毛利や吉川と同列の国人と同じ規模の勢力に堕し、もはや流れに翻弄される木の葉のごとくとなるであろう。

 ……そういうことを、他ならぬ己斐宗瑞が唱えるので、かえって安芸武田家の面々は白けていくのを感じた。

 香川行景は、根っからの武人として、再戦の必要性を主張しているからまだいい。

 しかし、この己斐宗瑞。

 こやつは、大内家、すなわち毛利・吉川連合軍から寝返りをして、安芸武田家についた。

 今さら、鞍替えなどできぬ。できぬからこそ、ここで安芸武田家に、何が何でも毛利・吉川連合軍を打ち破って欲しいという、保身の欲が透けて見えた。


「……では、弔い合戦は、香川どのと、己斐どのにお任せ申そう」


 今となっては、安芸武田家を事実上、仕切る立場となった伴繁清はそう言って場を収めた。

 伴繁清としては、佐東銀山さとうかなやま城に残された、元繁の遺児・光和に家督を継がせ、早々に安芸武田家の新体制を構築する必要を感じていた。

 伴繁清は、武田元繁の弟、もしくは女婿と伝えられる人物であり、その繁清がこうと決めた以上、香川行景も己斐宗瑞も逆らえず、翌、十月二十三日、それぞれの手勢を率いて進撃を開始することになった。



 一方の毛利・吉川連合軍は、一時的に吉田郡山城に帰投していた。

 相合元綱あいおうもとつな志道広良しじひろよしの率いる毛利本家の軍に加え、多治比元就の多治比軍、宮庄経友みやのしょうつねともの吉川軍もいる大所帯となったため、収容可能な吉田郡山城に凱旋することになったのである。

 驚いたのは、石見から出張って来て、吉田郡山城の主を気取っていた、高橋久光である。


「これは、何としたことじゃ」


 久光は、元就ら毛利・吉川連合軍は、八割方負けると見込んでいた。残り二割は良くやって善戦して引き分けに持ち込むのが関の山と、高をくくっていた。

 それが、どうだ。


「敵将・武田元繁の御首みしるしでござる」


 元就が神妙な顔で報告し、吉川家の宮庄経友も、勇将・熊谷元直を討ち取ったと聞くと、もう、久光としては吉田郡山城の居心地が悪くなるというものである。


「危急存亡の秋は終わった。高橋は、一両日中に石見に帰る」


 そう称して、高橋久光は、出立の用意をと、吉田郡山城を出た。そしてそのまま引き連れてきた軍勢の野営地から城へ戻ることなく、宣言どおり、二日後には石見へと旅立っていった。


らちもない」


 これは宿老・志道広良の言である。彼は早速に、興元の未亡人・高橋氏と遺児・幸松丸の身柄を確保し、その折りに、同じ部屋にいた杉大方を発見し、三人を元就の前へと連れて来た。


「母上……」


「多治比どの……」


 万感の思いを胸に再会した親子は、ひしと抱き合った。

 言葉はいらない。

 それだけで、元就と杉大方は通じ合った。


 それを見ていた宮庄経友は、妹の雪を小突こづいた。


「……おい」


「何ですか、兄上さま。今、いいところなんだから、ちょっと黙ってて下さいよ」


「いや、お前、多治比どのと杉大方がしていて、平静でいられるのか?」


ですか、兄上は」


 雪はやれやれとばかりに歎息たんそくする。


「大方さまが命を賭けたおかげで、毛利本家の軍は出陣できたこと、元就さまは深く感謝しています。ひるがえって、大方さまも、元就さまが大方さまの命を守るために吉田郡山城に差し向けたこと、察しておるはず」


 実に美しい親子愛であり、それに対して、つまらぬ妬心など、抱くはずもない。

 雪は余裕綽々といった感じで、しかも無骨ぶこつな兄上は本当に無骨ぶこつですねと付け加えた。


「……はあ? 杉大方さまがいるせいで、幸松丸さまがいるせいで、元就さまと子作りできぬやもと泣いていたくせに!」


「……ちょっと! 今、そんなこと言わないでくださいよ! はしたない女だと思われたらどうするのです! この粗忽そこつ無骨ぶこつ兄!」


「何が粗忽無骨兄だ! この俎板まないた!」


「……兄と妹の縁を切る時が来ましたね」


「やかましい! お前なんぞ、こっちから縁を切ってやる! 今日から吉川の名を名乗ることは許さんぞ!」


「望むところです! もう小倉山城には戻りません!」


 吉川の兄妹のは、いつ絶えることもなくつづき、周囲の笑いを誘った。

 元就も、杉大方も笑った。


 ……吉田郡山城は、安芸武田家の挙兵の争乱以来、初めて笑い声につつまれた。



 その後、小倉山城から吉川元経が駆けつけ、安芸武田家の動向を伝えた。

 多治比元就は、翌日の戦いについて、元経を含む諸将と協議し、そしてそのまま、簡素ではあるが勝利の宴を催した。

 その宴席にて、長井新九郎は美濃へ辞することを告げた。新九郎は、皆から惜しまれつつも、「では謝意を込めて芸を」と言って、油を一文銭の穴に通して注ぐという芸を披露した。


「おれの父・松波庄九郎は、で長井の殿様に目をかけられ、やがて長井の家を継いだのさ」


 そんな父に帰れと言われている以上、帰るしかないなと新九郎はうそぶいた。一同はそれなら仕方ないとうなずき、そして先を争って新九郎に別れの酒を献じるのであった。


「ありがたいが、明日もある。しまいに、から一杯貰おうか」


 雪が手を振って、何を言うのかと慌てるが、新九郎は、酔った上でじゃ許せ許せと言って、空の杯を差し出した。雪が元就を見ると、徳利を渡してきた。


「酔った上での戯れ……ということなら、たとえ大内家の耳に入っても、ということだろう」


「……ああ」


 長井新九郎一流の気遣きづかいである。酒の席で、元就と雪をからかった、ということにしておけば、仮に大内家がをつけてきても、「酔っていて覚えていない」と言い張ることができる。

 そうはいっても雪は、やはり照れながら、新九郎の杯に酒を注いだ。


、恐悦至極に存じ奉りまする」


 堂に入った受け答えに、新九郎が少しも酔っていないことが知れた。大体、酔っていては、油を一文銭の穴に通して注ぐことなど、できはしない。

 そこで場の一同も互いに酒を注ぎ、元就と雪に対して献杯した。


「……ええと」


「……黙って頭を下げよう、雪どの。それが一番いい」


「そ、そうですか」


 もう頭を下げている元就にならって、雪も頭を下げる。

 そして隣の元就の顔を見た。

 有田中井手の勝者は、赤面していた。

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