41 戦(いくさ)と戦の間(はざま)に

 熊谷元直は、額に矢を受け、驚愕の表情をしたまま、地に倒れた。

 宮庄経友は、その上に馬乗りになり、おもむろに刀を遺骸の首にあてた。


「吉川家中、宮庄経友、熊谷元直の首、取ったり!」


 元直を絶命せしめたのは、吉川雪の矢ではあるが、のために、宮庄経友は自らの手柄として名乗りを上げた。それは多治比元就の頼みによるものであり、雪もまたそのに利があることを認め、兄に功を譲った。


 熊谷軍の残兵は、算を乱して逃げ始めた。

 武田元繁もそうだが、強力な将帥に率いられているからこそ、兵らは力を発揮している。が、その将帥が討ち取られた場合、逆に力を無くす。

 指揮を執り、陣頭にて刀を振るう――そんな大将を喪った今、できることは、必要なことは、生き延びること、ただそれだけであった。


「有田へ!」


 有田城を囲む安芸武田家の本陣は、まだ大兵力を擁している。戦況を伝え、戦列に加われば、今度こそ、勝利と略奪のを味わうことができるやもしれぬ。


 ……しかし、今、少なくともこの中井手においては、多勢に無勢。熊谷軍の敗残兵は、その多くが討ち取られ、また捕虜となった。


 こうして、中井手の戦いは、多治比元就の勝利、熊谷元直の敗北というかたちで、幕を下ろした。



 熊谷軍の敗残兵らは、生き残った部将の板垣と山中を中心に、一か所に集められた。

 急ごしらえの幕で覆われたその場所は、幕の境目から、実は多治比元就らが軍議をしているところが、ちらりとのぞき見ができた。


「…………」


 板垣は巧みに場所を移動し、軍議が見える位置に座した。

 もしかしたら、脱走し、安芸武田家本陣に戻れるかもしれない。

 そのとき、手ぶらで帰るよりは、何かあった方がいい。

 何か――有益な情報を。


「…………」


 僚将の山中もまた、さりげなく移動し、見張りから板垣を隠す位置に鎮座した。

 そして目配せして、大丈夫だと板垣に伝えた。

 板垣は軽くうなずき、軍議の様子に目と耳を集中した。



みんの人相見?」


「さよう」


 多治比元就は、弟である相合元綱から、吉田郡山から連れてきた人物がいると告げられ、芝居がかった調子で、驚きの表情をした。

 実際、芝居である。

 元就としては、今回のいくさの最後の仕込みとして、軍議の様子を覗かせるという策を考えていた。偽情報を流そうという考えである。

 だが実際、この時点において、ができるということに気がついた。役者を演ずるに、うってつけの人材がいるためである。

 熊谷元直を討ち取った直後、立ち話で本当の軍議をしたときに、元就はこの偽情報流布と芝居の提案をした。


「面白い」


 意外なことに、吉田郡山城から毛利本家の軍を率いてきた、相合元綱が真っ先に賛意を示した。


「その狂言回し、おれがふさわしい。やらせてくれ」


 吉田郡山から「その明の人相見を連れてきた」という取っ掛かりが自然だと元綱は主張し、たしかにそのとおりだと元就も同意し、その芝居は始まった。



「――そも、みやこにいる、大内義興どのから、援兵は送れなくとも、せめて……と、お運びを願ったそうでござそうろう


 相合元綱の、ことさらに狂言じみた口調、その芝居がかった口調に内心あきれながら、元就はうんうんとうなずいた。


「では元綱……その、シュ良範リョウハンどのとやら、明の人相見どのが、私の相を見てくれると?」


「さればでござる」


 元綱は、袖をばっとひるがえして、後ろにいる人物の方へ手を向けた。

 その人物は、明の官服を身にまとい、おごそかに一礼をした。


「我、朱ノ良範」


 むろんこれは、長井新九郎の変装によるものである。

 朱ノ良範と称する長井新九郎は顔を上げると同時に元就の顔を見、そして大仰に驚いた(ふりをした)。


「嗚呼、汝、漢高! 漢高、漢高!」


「……何と言っておられるのだ?」


 片目をつぶって、分からんという風を装って、元就は元綱に聞く。

 元綱はかしこまって一礼してから答えた。


「漢高――すなわち、漢の高祖。つまり、劉邦の相であると、良範どのは、そうおっしゃられています」


 漢の高祖。古代中国において漢王朝を開いた高祖・劉邦。「西楚の覇王」と号して、諸国を席巻したとの争い――楚漢戦争において、不利な戦況を徐々に覆し、最終的には項羽を敗死させ、漢帝国を樹立した帝王である。


「なるほど……私の相は、漢の高祖・劉邦の相であり、それは……項羽を撃滅する相である、と……」


 元就は大袈裟にうなずき、そして破顔した。


「なるほど、なるほど! なれば……と称する安芸武田の武田元繁、打ち破るは私の運命さだめであると! 運命なれば、五倍もの兵力を擁する武田元繁とて、敵ではないと!」


「五倍、無意味! 汝、勝利!」


 長井新九郎も、が落ちんばかりに大声を出して、元就の言うとおりであると喧伝した。

 相合元綱は、涙すら流して「五倍どころか十倍でも、武田元繁は、兄上に勝てませぬ!」と、つけ加える始末である。

 強面の宿老・志道広良も手を叩いて歓喜し、宮庄経友に至っては、元就を抱き上げ、その高くて広い肩に載せた。


「……勝った! 勝った!」


 元就という神輿を担いで、経友は陣中を練りまわし、将兵らは皆、わっしょいわっしょいと叫び出す。


「……本当に


 雪だけは、ひとり、その馬鹿騒ぎに加わらず、離れた木陰でそれを見ていた。


「何であんな男を……」


 思わず口走ってから、雪は手で口を覆った。

 そういえば、多治比猿掛城で聞いた問いについて、元就から答えをもらっていない。

 それに気がついた雪は、元就を見たが、彼はさりげなく目を逸らした。


「…………」


 今、言っても、逃げられるだけ。

 軍議が、とか、出陣が、とか言いそう。


「……本当に


 吉川雪は、そうため息をつくと、弓弦をひとつ鳴らすと、周囲の哨戒に向かった。

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