39 中井手の戦い

 ……熊谷元直は、さすがにいくさが始まった以上、それを総帥たる安芸武田家・武田元繁に伝えないわけにもいかず、使いを有田へ発していた。


 早朝。

 有田城攻囲陣。

 安芸武田本陣。


 熊谷元直からの使いからふみを受け取り、武田元繁は、その短い「我、中井手にて、会敵す」という内容を見た。


「…………」


「殿、元直どのは何と」


 武田元繁の腹心・伴繁清は、黙って差し出された文を受け取り、読んだ。


「中井手の方へ……!」


 本陣に集結した、香川行景や己斐宗瑞こいそうずいら、諸将がどよめく。


「うろたえるな」


 武田元繁が、つまらん、といった表情をして、諸将に自制をうながした。


「さようなをしかけておいて、毛利本家の軍をこちらに、ということであろうよ。うろたえるな」


 武田元繁としては、相合元綱あいおうもとつな率いる毛利本家の軍が、有田を目指して進軍し、そのまま夜営し、朝を迎えたという物見の報告を受けている。加えて、昨日の、宮庄経友配下の西(実際は長井新九郎)からの情報もある。


「油断しきった安芸武田家本陣こちらを奇襲するつもりか? ふん、くだらん」


 奇襲して、安芸武田の軍を撤退させ、そして戦なき戦――を演ずるという均衡状態を生み出し、やがては大内家の帰還を待つという腹づもりなのだろう。


「小策士の考えそうなことだ、実にくだらん」


 だが毛利――多治比元就にしては、よく考えたものだ、褒めてやろう。

 武田元繁は、毛利家の「奇襲」を迎撃したのちは、多治比元就を配下にしてやってもよいと思い始めていた。

 この戦が終わったあとは、大内家、尼子家といった、一癖も二癖もある曲者どもを相手取らなければならない。ならば、こちらも曲者を用意する必要がある。

 熊谷元直は不満だろうが、多治比での負けを持ち出せば、文句は言えまい。


「……よし、毛利本家の軍を迎え撃ったのちは、吉田郡山へ進軍し、この際、毛利をる! 生きておれば多治比元就を膝下しっかに従え、そして安芸を手中にし、中国の覇者とならん!」


 架空の勝利――毛利家の奇襲の撃破――を元に、今後の展望を口にする武田元繁。

 大兵力をたのむ故か、名家の育ちの故か。

 一度、こうと思いこんだ元繁は、その「こう」を疑い、確かめることをせず、全軍に警戒を怠らないよう命じつつ、朝食を摂るように言った。



 中井手。

 矢戦は激しさを増し、宮庄経友ら三〇〇騎の放つ矢は、今や第五射である。

 対する熊谷元直の軍も矢を放つが、いかんせん、鬼吉川の妙弓たる吉川雪の指揮による弓矢にはかなわず、元直の軍は中井手の柵の内に釘付けになっていた。


「……いつまでつづくのだ!」


 間断ない弓射に苛立ちを隠せない元直は、強行突撃を考え始めていた。

 兵数は、今なら熊谷軍の方が有利。

 昨日の戦いから分かったが、おそらく、敵のは、多治比元就だ。

 宮庄経友や、相合元綱ではない。

 多治比元就は、鬼吉川の妙弓・雪と昵懇じっこんにしている(実は、国人の間では、わりと噂として広まっていた。知らぬは当人同士と、噂に疎い武田元繁ぐらいである)。

 必ずや、元就は近くに潜んでいて、何かを企んでいるはずだ。


「……だが」


 一方で、使いを差し向けた安芸武田家・武田元繁から、何か言ってくるかもしれない。

 ひょっとしたら、元繁が動いて、中井手にて、多治比元就を屠らんとするかもしれない。

 元々、囲んでいる有田城は、吉川家の方から明け渡すと再三申し入れがあった城だ。

 それを、敢えて根切りにして、安芸武田家の勢威を知らしめようとしていただけである。

 割り切れば、有田は捨て置いて、中井手に駆け付けることは可能だ。


「むむ……」


 猛将らしからぬ懊悩おうのうを感じ、熊谷元直は、中井手の柵の堅守か、突撃の敢行か、揺れ動き始めて、しかもどちらにも決めかねるという心理状態になっていた。


 その時。

 呻吟する元直の目に、多治比の軍が、横合いからと出てくるのが見えた。



 鬼吉川の妙弓――吉川家の雪の、矢戦が成果を上げている中、多治比元就は麾下の兵に進むよう命じ、言った。


「矢戦にしびれを切らした熊谷元直は、そろそろ突撃の強行を考える」


へ、おれたちという好餌こうじを与えるわけか」


 釣りと同じだな、と長井新九郎は笑った。

 元就も、そのとおりだと笑う。


「……あと、昨日の激戦で疲弊している多治比の軍の方が、戦い易いという腹づもりもあるだろう」


 そのとき、多治比の軍が、吉川の三〇〇騎の横を通り過ぎた。

 元就は、矢戦を指揮する雪に、手を振った。

 雪は横目でそれを見て、つんと目を逸らした。


「嫌われてますな」


 忠実ではあるが、遠慮はない、腹心の井上光政が言った。


「いや、そういうのではなくて、攻めるから、という合図で……」


「あっ、熊谷が!」


 元就は弁解の暇もなく、合戦の指揮に入る破目となった。

 呵々大笑する長井新九郎は、一番槍とばかりに突進していった。



 多治比元就とその軍の出現に、熊谷元直は罠の存在を疑った。

 昨日の多治比における戦いで、他ならぬ元就の策により、あわや討ち取られるかというところまで言った元直だ。慎重にもなるというものである。

 山中や板垣といった部将たちも同様だった。だが、戸惑う彼らに、後方の物見から報告が入った。


「……毛利本家の軍、中井手こちらを目指しているとのよし!」


「何!?」


 七〇〇騎近くいる、毛利本家の軍が、有田ではなく中井手を目指している。

 このままでは、中井手の熊谷元直の軍は、多治比軍と毛利本家の軍の挟み撃ちを食らう。


「……おのれ」


 ここまでされては、元直のみならず、将兵たちも、目の前に出現した多治比軍を、ということが理解できた。

 たとえ、罠であろうとも。


「馬引けい!」


 元直は馬子が引っ張ってきた愛馬にまたがる。


 このままではなるものか。

 源平の世から勇武で鳴らす、熊谷の家の恐ろしさ、見せつけてやる。


「柵を倒せ!」


 元直の号令一下、足軽たちが柵を押し倒す。

 土煙が上がり、その瞬間、射手らは視界を遮られ、手を止めてしまった。


「……戸惑うな! 大体でいい、射よ!」


 雪の叱咤により、一瞬遅れてだが、矢は放たれた。

 だが、その一瞬こそ、熊谷元直の狙いである。


「今ぞ! 全軍、突撃!」


 自ら柵という利点を捨てて、しかし相手の弓矢を止めることに成功した熊谷元直とその軍は、突撃を敢行した。


 ねらいは、むろん、多治比元就である。

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