36 舌先三寸

 有田城と中井手の中間地点。

 毛利本家の軍は、多治比元就の弟・相合あいおう元綱に率いられ、この地点まで進軍していた。

 当初、多治比への援軍ということで、多治比猿掛城を目指していたが、そこへ元就の使いである井上光政がやって来て、有田城へ目指すをするように伝えられた。


「…………」


 相合元綱が、元就からの伝言を聞いて沈黙する。

 毛利家宿老の志道広良しじひろよしは、元就本人が来なかったことに腹を立てているのかと危ぶむ。

 

「……面白い!」


 相合元綱は破顔して賛同の意を示した。


こそ、のおれにふさわしい! 気に入った!」


 元就の伝言、つまり「」とは、相合元綱に有田城へ向かうふりをしたあとに反転し、中井手へ進撃して、熊谷元直の軍に当たることを求めていた。

 つまり、多治比元就と宮庄経友の連合軍が中井手の熊谷元直の軍へ攻撃し、その背後、有田城方面から、相合元綱ら毛利本家の軍が攻めかかる――はさみ撃ちにする策である。

 しかもこの場合、相合元綱は、時間差で奇襲攻撃をかけるかたちになる。


「よし! では全軍、まずは有田へ進む! しかるのちに中井手へ返す!」


 相合元綱は勇躍して馬に乗った。

 志道広良はほっと胸をなでおろす。

 しかし同時に多治比元就の、弟の相合元綱の心理を読んでのに舌を巻いた。


「興元さまの生前では抑えていたのか……? かような采配を見せるとは……」


 毛利家の家祖・大江広元の血がそうさせるのか、と広良は、われ知らず、多治比の方を見やった。



 同時刻。

 有田城包囲陣。

 安芸武田家・武田元繁の本陣。


「吉川家、宮庄経友からの使いだと? それも、多治比からだと?」


 武田元繁は、熊谷元直から多治比攻撃開始の連絡以降、情報が入ってこない中、その報告を受け取った。


 一体、熊谷元直は何をしているのか。

 思ったより苦戦しているのか。

 何となれば、増援を派遣するものを。


 武田元繁自身は、熊谷元直が仮に敗退したとしても、特段に彼の評価を下げるつもりはなかった。

 有力な国人であり、代々、武田に味方してきたという家だ。一回や二回の敗退で、見捨てるわけがない。

 そういう元繁の心中も知らずに、熊谷元直は武士としての意地もあり、敢えて元繁に何ら報告を上げていなかった。

 加えて、このときには、小倉山城の吉川元経が、範囲での妨害工作を開始しており、特に多治比の情報は意図的に遮断されていた。


「何故……何も言ってこない?」


 仮に、元直が苦戦していたとしても、安芸武田家からの増援があれば、一気に多治比をとせる。それが敗退していたとしても、疲弊した多治比を蹴散らすことも可能だ。

 だから、たとえ不利といえども、連絡をすべきではないか。

 勝機を逃がすとは、このことではないか。


「……おのれッ」


 ……武田元繁は今、情報の枯渇に苛立ちの頂点に達していたのだ。


 伴繁清ともしげきよは主君の意を汲み、「宮庄経友の使い」の手を取るように引っ張って、武田元繁の前へと連れてきた。


はよう、早うこれへ!」


 このときには、香川行景や己斐宗瑞、山県信春といった諸将も本陣に集まって来ていたが、この際、吉川家に所属している有田城を囲んでいるということは、皆、失念していた。というか、どうでも良くなっていた。

 主と仰ぐ、武田元繁の苛立ちを前にして。


「そのほうが、宮庄経友からの使いか」


 元繁が重々しく床几に座りながら言う。

 「使い」は平伏して、「恐れ入りたてまつり……」と口上を述べようとするが、それは元繁にさえぎられた。


「さような形の上のあいさつはいい! 早う、用件を述べよ! おもてを上げい!」


 元繁は扇子を取り出して、膝にたたきつけながら、「使い」に発言を求めた。

 「使い」は少し面を上げてから、やはりうやうやしく一礼し、口を開いた。


「手前、宮庄経友の臣、西と申す。さて……あるじ、経友が妹御いもうとごの雪どのが多治比にありとの報に接し、安芸武田家への顔向けのため……」


「前置きはいい! 分かっておろうッ!」


 西村勘九郎――長井新九郎は、恐れ入りますると頭を下げた。それがまた、武田元繁を苛立たせるのを知りながら。


 いいぞ。

 好都合だ。

 やっこさん、二つ名の「項羽」のとおりに、激情家だ。

 この長井新九郎が、吉川の臣・西村勘九郎と称し、吉川家が安芸武田家のために行動していること、吉川家の姫・雪が多治比にいること……を交えてな。


 下を向きながらほくそ笑む新九郎。

 しかし、一瞬のち、顔を上げたときには、神妙な面持ちをしていた。


「さすれば要点のみ。多治比にて見聞したところ、多治比元就、熊谷元直を撃退」


「何!?」


 苦虫を噛み潰したような顔をして凄む武田元繁。

 だが、新九郎の発言のつづきを邪魔するつもりはないようで、すぐに黙り込んだ。


「……しかるのち、毛利本家の軍が吉田郡山城を発した模様」


「くそッ」


 元繁は扇子の両端を握り、そのまま扇子をへし折り、破壊した。

 逆鱗に触れたかな、と新九郎はまむしのように舌なめずりをする。


「そして見るところ……多治比元就、ならびに毛利本家の軍、おそらくはこの有田城を包囲する――安芸武田家本陣を目指しておりまする」


 おお、と居並ぶ諸将から声が漏れた。

 有田城を囲み、多治比を攻め、安芸武田家はこれまで有利にことを運んできた。

 しかし今、多治比にて敗退し、逆に毛利は攻めかかってきている。

 諸将は動揺した。


「こ、このままではいかん」


「奴ら、有田城を囲むわれらの後背から」


「どうする、いったん退くか?」


「そうじゃ、そうじゃ」


 馬鹿な奴らだ。

 動揺が過ぎる。

 熊谷元直とその軍がどうなったかとは考えが及ばないのか。

 まあ、聞かれたとしても、知らぬ存ぜぬだが。


 憫笑する新九郎。

 しかしふと気づくと、武田元繁が物も言わずに立ち上がっていた。


「…………」


 諸将は沈黙する。


「……今、退くと言ったか?」


 元繁のその問いに、誰も答えはしない。


「ふん、まあ良い……だが、退かぬ! これで有田城を取れぬまま終わっては、安芸武田家の名折れよ。大体、来ると言うのなら、迎え撃てば良い。しかるのちに、多治比へ、そして吉田郡山へ討って出る!」


 毛利と多治比、つまり毛利全軍合わせたとしても千に満たない。対するや、安芸武田家は総勢五千を数える大軍だ。一戦して撃破してしまえば、多治比、そして石見いわみ・高橋家が居座る吉田郡山とて、ひとたまりもあるまい。


「これを機に、高橋家を撃滅してやってもかまわん! 安芸に仇なす石見のやからなぞ、討ち果たしてしまえ!」


 元々、有田城も開城するとの和睦の申し出がある。この際、それを受けてしまえば、吉川家もうかつに手出しをできなくなる。

 そうすれば。


「安芸は盗れるぞ! いや、取り戻せるぞ! わが手に!」


 拳を天に突き上げる武田元繁。

 それを見て、諸将は項羽の再来であると口々に褒めそやした。

 そしてそれを無表情に眺めながら、長井新九郎はそっと場を後にした。


「……迎え撃てば良い。ものがいるならな」


 そんなひとりごとを言いながら。

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