34 中井手へ

 熊谷軍が中井手に向けて去ったことを確認し、多治比元就は兵を糾合し、多治比猿掛城へと一時帰還した。

 城に残されていた人々は、合戦のひとまずの勝利に安堵の顔を浮かべ、元就の初勝利を寿ことほいだ。

 吉川家の雪は、元就に長井新九郎を改めて紹介され、そして井上光政も交えて軍議に入った。状況の整理を終え、さて今後の対策をという時に、城の物見から報告を受けた。


「毛利本家より援軍、今度は本当に毛利本家よりの援軍ですが、使いの者が来ており、こちらに向かっておるようです!」


 そして相次いで、毛利本家とちがう方角から、吉川家の宮庄経友が多治比に到来したことを、門番が告げた。


「兄上が!?」


 雪が城門に行くと、すでに宮庄経友は三百騎を率いてそこまで来ており、そこで兄と妹は再会を祝した。


「おう、無事だったか、雪」


「兄上さまも」


 三百騎は城外に待機し、宮庄経友は早速に城内に入り、軍議に加わった。


「……宮庄、いや吉川としては構わんが、毛利本家を待たなくて良いのか?」


「宮庄どのが来てくれた以上、今は時間が惜しい。毛利本家の軍には、宿老の志道広良しじひろよしがいるはずだから、あとで志道に使いを出す」


 元就は、次なる戦いへの仕込みを、しかも早急にする必要を感じていた。

 熊谷元直は、毛利と吉川が、有田城の安芸武田家本陣を目指すと思っているようだが、それだと有田城の安芸武田・武田元繁と、中井手の熊谷元直から挟み撃ちを受ける。


「……そのため、兵数の少ない方、かつ、消耗している熊谷元直の軍を討つ」


 それが元就の出した結論だった。

 ただ、そのためには、熊谷軍との交戦中に、武田元繁を動けないようにする必要がある。


「有田城に密使を出して、開城突撃をしてもらうか」


 宮庄経友は提案した。


「……いや、それはそれでしてもらうが、今この時において、宮庄経友どのに、一筆書いてもらいたい」


「一筆?」


 元就の策はこうだ。

 宮庄経友は、三百騎率いて、小倉山城を出陣したが、まだ安芸武田家、あるいは熊谷元直とは戦っていない。今ならまだ、威力偵察なり、あるいは鬼吉川の妙弓こと雪を確保し連れ戻すための出陣と誤魔化せなくもない。


「そこでおれが、使として、安芸武田の武田元繁の元へ行くわけだな」


 長井新九郎がにやりと笑う。この不敵な青年は、すでに宮庄経友と軍議中にも私語を交わして、いつの間にか意気投合していた。


「宮庄どのの書状を持って、吉川の臣のをして、武田元繁と面会し、毛利本家の軍、有田城へ――つまり、安芸武田家と直接対決を、とやればいいんだな?」


 口舌なら、みやこの僧侶時代に陶冶とうやされておる、と得意げに語る新九郎。

 そのとおりだ、と珍しく悪い笑顔を浮かべる元就。


「ならびに光政、毛利本家の志道広良に会いに行き……でいい、有田城の方へ向かうをするよう伝えてくれ。適当なところで、を終わらせ、しかるのちにこちらの多治比、宮庄の軍と合流し、中井手の熊谷の軍を目指すのだ」


「承知」


 吉川家は、安芸武田家に対して、平和裏に和睦に持ち込もうとしていることはに知れている。その状況を逆用し、吉川家からの有力情報として、毛利・多治比軍の有田城=安芸武田家本陣攻めという虚報をもたらす。

 連動して、毛利本家の軍に、有田に向かう偽装をしてもらう。物見の兵に見られるくらい、分かりやすく、派手に。


「……なれば、安芸武田家・武田元繁、有田にて迎え撃ち、決戦に臨まんと、であろう」


 そこが元就の狙いである。

 武田元繁とその軍、そして寄騎の国人たちを、有田城の周囲に留め置く。

 その隙に、中井手にいる熊谷元直の軍を討つ。

 これならば、熊谷元直の軍、最大で六〇〇を相手に、毛利・吉川連合軍およそ一〇〇〇で戦うことができる。


「……ちょっといいか」


 ここで、宮庄経友が発言を求めた。


「肝心の熊谷元直が、武田元繁に、吉川の雪や吉川の兵が多治比を助けに来ているという連絡つなぎをしているんじゃないか」


「それはない」


 元就は説明する。

 熊谷元直は、負けたということを言いたくないので、多治比の血戦の内実に繋がる連絡つなぎはするまい。鬼吉川の妙弓の出現は、熊谷軍撤退のきっかけとなった出来事であり、それを言ってしまうと、敗戦の報告をせざるを得なくなる。


「……ましてや、中井手に何でいるのか、とか聞かれたら、目も当てられない」


しかり、然り」


 嬉しそうに同意するのは、長井新九郎である。

 仮に、熊谷が武田に報告をしていても、それは毛利こちらの欺瞞であると思わせる。


「だからこそ、おれが行くのさ、有田に」


 希代の梟雄、長井新九郎――斎藤道三がそう言った。

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