21 風雲、急を告げ……

 永正十四年十月三日。

 安芸あき佐東銀山さとうかなやま城を進発した、安芸武田軍の行動は素早かった。

 瞬く間に、有田城を囲み、一方で、近くの中井手という地に柵をもうけ、城の救援に対する妨害を図った。

 有田城の城将・吉川きっかわ家の小田信忠は、囲まれたからといって、さすがにはいそうですかと城を開けるわけにもいかず、籠城戦に入った。

 かといって、抗戦するには、数が足りない。城兵は、およそ三〇〇しかいない。


「おのれ、安芸武田家め。城なら譲ると言っておいたのに……敢えて攻めるとは」


 吉川家の小倉山城から、城を明け渡す方向で話が進んでいるとは聞いていた。

 信忠としては、その続報を待っていたところを、安芸武田家の突然の進軍、そして包囲を目の当たりにしたわけである。


「急ぎ、小倉山城の吉川元経どのに知らせよ」


 しかし信忠は、囲まれる前に、吉川家本城・小倉山城へ使いを飛ばすことに成功する。

 ただし安芸武田家・武田元繁としては、敢えて見逃してやったという感覚でいる。


「小倉山城の吉川元経なり、猛将と聞く宮庄経友なりが来るのなら、一戦して破ってくれよう」


 この頃になると、日和見を決め込んでいた安芸の国人たちが、われ先にと安芸武田家の元へとつどい始めていた。

 その兵数、およそ五千。

 元繁としては、彼らを糾合した兵力を背景に、この機に吉川家を殲滅してやろうと意気込んでいた。


「しかし殿」


「なんだ」


 安芸武田家の宿将・伴繁清ともしげきよが問う。


「尼子経久さまの奥方は、吉川家の御方……よろしいので?」


 ふん、と元繁は鼻息を漏らした。


「くだらん、実にくだらん――さような縁など気にしていては、この乱世に覇を唱えられるか!」


 むしろ元繁としては、安芸における尼子の尖兵とも思われている吉川家を、この際、叩いておこうと思っている。

 ……将来における、尼子との対決に備えて。


「よいか! 吉川家の出方、ひと月ほど待つ! 待って何もなければ、ほふる!」


 大音声だいおんじょうで呼ばわる武田元繁。

 だが元繁は、ひと月も待つつもりはなかった。

 どうせ、このあたりに間者を忍ばせておるのであろう。

 であれば、聞け。

 そして、ひと月という何の保証もない期間を、右往左往するがいい。

 この安芸武田家が、その右往左往している隙に、こちらから攻めてやる。



「くそっ! 安芸武田家め! どこまで吉川を虚仮こけにすれば気が済むんだ!」


 常に慎重な吉川元経であるが、この時ばかりはさすがに怒りをあらわにしていた。

 たしかに、武田元繁から側室にと求められた、妹である雪は出奔してしまい、輿入れどころではなかった。が、そもそもまだ、交渉中という段階だったのだ。

 安芸武田家が最も欲する、有田城は明け渡すという札を切っていたのに。

 その有田城は実力によって攻め取るから、そんな札は要らぬというわけか。


「いかがする、兄者。有田城、救援にくか」


 吉川家随一の猛将であり、弟である宮庄経友は、もう甲冑を着込んでいる。いざ、と言われれば、すぐに出陣する覚悟だ。

 元経はその経友を頼りがいのある奴とは思ったが、同時にここで焦って戦端を開くことも躊躇ためらわれた。


「……いや」


「何だ、征かないのか、兄者」


「間者が言うには、武田元繁は、ひと月待つと吠えていたらしい」


「それが、なんだ」


「その間に、雪を探し出して……」


「まだそんなことを考えているのか、兄者!」


「お前には分からんのだ、ばかもの!」


 経友としては、妹を差し出すような阿呆な真似をしてまで、吉川の家を保ってどうするのだという感情がある。

 一方で、元経としては、たとえ妹の意にそむこうとも、何としても吉川の家を長らえようと考えていた。


「ばかとは何だ、ばかとは! 大体、そんなことを言うんだったら、兄者は、いつになったら吉川の兵を動かすのだ? 鬼吉川の名が泣くぞ」


「何だと? おれとて……さすがにこのまま安芸武田家が攻めて来るようなら、兵を出す!」


 そもそも、有田城は元々譲るつもりで話をしていた。それをこんなかたちで奪いに来たのは、安芸武田家の方だ。

 ……だが、今ならまだ、城を譲って穏便に済ませる方途みちもあると、元経には思えた。

 実際、こののち、元経は忍びを放って、小田信忠に開城するよう促している。


「戦にならぬよう、ここまで押さえてきたつもりだ。五千だぞ? いくら鬼吉川とはいえ、まともに戦って勝てるものか」


 ここは屈辱的でも和睦なり臣従なりして、待つべきだ……京の大内家が動くのを。

 それが吉川元経の持論である。

 大内家が動けば、すべてが終わる。

 武田元繁がいかに粋がっても、中国の盟主は依然、大内義興なのだ。


「……それは毛利……今となっては、多治比の、多治比元就か、あやつとてそう思っておろうよ」


 あの男が、高橋家の支配に甘んじているのも、そういう理由だろう……と、元経はつけ加えた。

 その言葉に、宮庄経友は反応する。


「……ふうん、なら、兄者」


「なんだ」


「その多治比元就が動いたなら、何とする?」


「何ッ」


 何か根拠があるのか、と元経は立ち上がりそうになった。

 小倉山城に来た時も、穏便に、だが確実にを進めて見せた男だ。

 そんな男が、無謀にも、今、安芸武田家に立ち向かうというのか。


「……いや、何となくそんな気がしただけだ」


 経友のあっさりとした回答に、元経は腰砕けになった。


「……あのな。まあ、いい。あやつが動くのなら、それ相応の目論見があろうよ。そうだな……その場合、お前は動いていいぞ」


「……だな、兄者は。まあいいか」


 どこまでも慎重な元経だったが、弟の経友の勇武を愛する気持ちはある。それをいつまでも抑制するのも良くないと思ったので、もし、多治比元就が動いたのなら、経友自体は動くことを許すことにした。


「……しかし、そんなことは十中八九、無いだろう」


 元経はどこまでも慎重であり、その性格ゆえに、安芸武田家との交渉の余地があると見ていた。

 だが、元経が穏便と見ていた多治比元就は、もっと悲観的だった。そして悲観的ゆえに、安芸武田家の攻勢がただごとではないと悟っていたのである。

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