17 揺れ動く安芸

 毛利興元、死す。

 その訃報は、安芸全土に衝撃を与えた。

 とりわけ、安芸国人一揆に属する国人(地域領主)たちにとっては、寝耳に水であり、今後の国人一揆どころか、おのれの去就すら危うくなるほどであった。

 この混乱の中、冷静さを保っていた家がひとつある。

 吉川きっかわ家である。


「安芸武田家につく?」


「そうだ」


 吉川家の当主の嫡子・吉川元経は、弟・宮庄経友と、妹・雪を城主の間に集め、今後の方針を告げた。

 異論を唱えたのは、案に相違して、雪ではなく経友だった。


「しかし兄者、吉川は有田城をとした。そして今も、小田信忠を入れて、確保し防衛している……そして今、安芸武田に包囲されたらしいぞ。そんな状況で……」


「有田城は開城する」


 元経のその発言に、今度は雪が噛みつく。


「兄上は、さようなことをされて、せっかく得た有田城を失っても、ようございますか?」


「そうだ」


 元経の回答に、雪は、元経の決意の堅さを感じた。

 元々、自ら出陣せず、分家の跡取りとなった経友に出陣させておき、男だ。

 今、その保険がきてきたといったところか。


「……ですが、経友兄上をどうなされるのです。経友兄上はこれまで、吉川の軍を率いて、有田城を攻めた。いかに元経兄上が韜晦とうかいなさろうと、経友兄上がやったことは消せぬ。それを問われれば……」


「皆までいうな、雪。だからこそ、おぬしを呼んだのだ」


 元経は懐中から、書状を取り出す。


「安芸武田家からだ」


 そう言って、元経は、経友にその書状を渡した。

 もう安芸武田家とやり取りをしていたのか、と雪は舌を巻いた。

 経友は、元経から渡された書状の内容をあらためる。


「一、有田城を受け取ること。二、宮庄経友のを許すこと……随分な言い様だな」


「最後まで読め」


 そう言われて最後まで読んだ経友は、元経がなぜかたくなな態度を崩さなかったのか、知った。


「……以上の条件の代わりに、吉川家は、姫を差し出すこと!?」


 経友が書状を取り落とすと、雪がそれを拾って読んだ。


「あ、兄上」


 元経はその渋面をさらに濃くして、言った。


「安芸武田家のな、武田元繁はな、強い女性にょしょうが好みだそうだ」


 元経としては、元繁の好みがどうあろうが言うことは無かったが、その食指が、妹にまで伸ばされては、別だ。


「……安芸武田家の使いによるとな、武田元繁は、吉川家が従うと聞いて、雪、お前のことにいたく関心を示し、『わが虞にふさわしい』とか抜かしたそうな」


「虞!?」


 虞とは虞美人であり、西楚の覇王・項羽の愛人として知られる美女である。

 御大層な言い方だな、と雪は思った。婚姻を申し込むのなら、もうちょっとそう大上段でなく、自然に……。

 そこまで思って、雪は気がつく。


「お待ちください、そもそも、武田元繁どのは、じじ様、尼子経久公の弟君、尼子久幸さまの姫を娶られたばかりなのでは?」


「だから、愛人と言っているだろう」


 元経の顔が歪む。彼としても、いくら安芸武田家の当主とはいえ、吉川家のことをだと思ったのだ。


「……つまり、わたくしに、武田元繁どのの側室になれ、と」


 この前、法蓮坊に託して送り出した、飛鳥井家の深芳野姫のことを笑えなくなった、雪は思った。

 いや。

 最初から笑う気など、ない。

 それより……引っかかる。

 いくら吉川家が武田家に対して下風に立たなくてはならないとはいえ、なぜ、その姫たる自分を側室に、となるのか。

 領土の割譲や、人質の差し出しなら分かる。

 さきほど言ったとおり、武田元繁は、尼子家の姫を正室にしたばかりだ。

 それを、いくら己の好みとはいえ、他の女に、こういうかたちで手を出すというのは……。


「……雪? おい、雪!」


 沈思黙考する雪を、経友は不機嫌の絶頂にいるものと思って、気づかって声をかけてきた。


「…………」


 この引っかかり。

 もしや多治比元就なら、分かるのではないか。

 そこで雪は立ち上がり、城主の間を出ていこうとした。

 元経はその雪に向かって、声をかける。


「おい、雪! 話はまだ途中……」


「お断りします」


「断るってお前……」


 経友が、幼いころの兄妹きょうだいげんかの仲裁に入った時のように、二人の間に入る。


「あんな、女の髪を引っ張るような御仁、こちらからお断りです!」


「そういう問題ではない! いいか、吉川家としてはだな……」


「なら、こんな家、出ます! 今後、わたくしは吉川には戻りません!」


「あっ、おい待て……」


 元経も制止もきかず、雪はさっさと城主の間を走り抜けて出て行った。

 そうこうするうちに「姫さま!」と侍女が悲鳴を上げているのが聞こえ、そののちに、雪の愛馬の声が聞こえた。


「家出しやがった……」


 そんなことは言わなくても分かっておる、と元経は経友に怒鳴りつけ、事態の報告を父・国経と祖父・経基にするべく、足音高く、向かうのであった。

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