ダン、老兵殿に願う


「……育てろ。と?」


「はい。しかし、此処にいるような若者が今言った基本も出来て無いの。オウランさんが可哀想すぎて失望です。老兵殿やそこの有能なお兄さんがこの程度教育してあるのを期待してました。それとも今までの私の話、的外れだったりしますか?」


「ぬむぅ。―――いや。十分正しい。……確かに、教えるべきだった。恥じておる」


 兄さんもちょい顔が赤い。同じ言葉通りの意見で恥じてると信じたいね。ぜーんぶ的外れだったら私の顔が燃えて灰になってしまう。


「しかし……我らにも知恵はある。経験ある長の下で若者が学んでいくのではいかんのか。ダン殿の言う駄馬以下を上に置いて当然起こる問題はどうする」


「ごもっとも。ただオウランさんは途轍もない速さで勢力を伸ばし更に増えます。私にはその勢力が、汁物を作った時に出来ては消える泡に思えるんです。何かあれば、オウランさんが死ぬ所か一敗するだけで裏切りかねない泡にね。

 ならば作り変えないといけません。負けても次オウランさんが勝つために自分がどうしたら良いか考える者達へ。その為には人材、人材です。しかし適正の有無に加え十年後まで学ぶ気があるかは、当たりが出るまで延々と行う賭け事。兎に角回数を増やさないと話にならない。

 こう考えますと二十年後纏めて問題を起こすよりも、真に頼れる老兵殿たちには試す場となる長からどいて頂き、産まれた余裕を使い一人でも多くの駄馬を使える馬となるよう世話してもらうべきかな。と。

 何せ馬は糞をします。普通の馬なら誰でも糞を拾えますが、駄馬が人々の中でする糞となれば臭くへばり付くに決まってる。酷くなる前に止めたり糞を処理出来るのは老兵殿のような有能で経験ある方だけでしょう。

 今だけを見れば当然あり得ない話なのは分かっています。今後数十年の苦労を少しでも減らすためには……という事でお耳に入れたくて」


 一番厄介なのは選び鍛え抜かれた長も老衰で死ぬ事。勢力が増え負担は増してるのに突然経験皆無の若者へ。何時の世も大問題だ。少しでも準備して欲しい。


「耳の横で喋られて入らぬ訳が無かろう。……道理が無いとは言うまい」


「そう聞けて安心しました。処理できる負担の範囲で考えてみてください。

 さて……こうして会えた貴方に、どうしても聞きたい事があるんです。老兵殿。『背中に矢傷』はありますか?」

「お、おい! 貴方はケイ人なのに礼儀を知る気が無いのか!? 幾らどんな方か知らなくても……ッ! 兎に角謝れ。悪い事は言わん。決闘を挑んでるも同然だぞ!」


 ああ、知ってるともお兄さん。しかしもう二度と機会は無いんだ。なぁに老兵殿も怒りに囚われちゃいない。冗談では済まさんという目つきではあるがね。


「――――――ある。思い出せば、今も疼く」


「ああ……良かった。本当に嬉しい。老兵殿に会えた事で私の最大の不安が消えます。その矢傷、せめて三回はあって欲しいですね」


「儂の、無様な過去がそんなに嬉しいか?」


「当然。オウランさん。私はここ数年全ての戦いで勝ったと聞きました。合ってますか?」


「はい。そうです」


「これですよ老兵殿。私は、オウランさんに負けの経験が無いのが心配で心配で。見てください。若者は当然、そこの有能な方も勝ちに慣れてませんか? しかも今後更に勝ちそうだと言う。ですが永遠に勝ち続けられる者は存在しない。何時か必ず失敗はするのです。その時勝ち続けた数が多いほど衝撃は酷くなり、配下は勝手に失望し、離れ裏切る。何より彼女の動揺はどれ程になるでしょうか。

 小さな負けを経験し配下と共に慣れれば良いのですが、命を背負っている以上ワザと負ける訳にもいかない。だから―――オウランさん。必ず、この老兵殿に教えを願うのです。

 負けた時、どれだけ動揺しいかに敵が付けこんでくるか。自分を責め、味方を恨み、どんな衝動に衝き動かされるかを。護衛のお兄さんに何時でも負けた場合の対応を考えるようお願いしてはいますが、心は自身に準備して頂くしかありません。

 老兵殿。オウランさんに自分の屈辱の記憶を、その時何を思い何をして、どんな後悔があるか。何度も話し、出来る限り伝えようとしないのなら貴方は裏切り者だ。

 そう、なるでしょう?」


「―――ダン殿が、教えれば良いではないか。経験があるのだろう?」


「そりゃ私も全力を尽くした上での負けはあります。まー、泣きました。しかし誰かを背負った事は無い。私が会えた負けの経験を持つ長は貴方だけです」


 頼むよ老兵殿。負けを乗り越えるのは本当に難しい。しかもオウランさんの立場ならありとあらゆる人間がむしり取り、殺そうとするはずだ。

 目を瞑り……大きなため息。承諾の決意だと思いたい。心からのね。


「―――承知、した。オウラン様が望まれればお話ししよう。だが一つ尋ねたい。何故ケイ人の庶人であるダン殿が、『我らの思いつかない我らに最も必要であった』駅の案を出し、更には民を率いる苦労まで分かるのか。そこの若造と同じように儂にも不信がある。当然、であろう?」


「『分かる』は違いますね。『分かったような口を叩いてる』です。全部書で読んだのです。私みたいなオウランさんという飼い主が傍に居ると途端に攻撃的になる犬も、昔の偉い人が考えを書き残してくれれば読むだけで御大層な事が言えます。しかし経験が無いので中身が無く、概略しか伝えられない。

 だから発言も全てご参考まで。採用の判断をし調整し達成させるのは、老兵殿のような中身のある力を持った方にお任せするのみですよ」


 うーむ。飼い犬は凡そ事実で我ながら良い言い訳。もう少し早く思いつければなぁ。所で老兵殿。貴方あんまり信じて無くない?


「……書? 我らも同じだけ読めば同等の知識を持てると? 幾つじゃ。嘘に感じるぞ」


「はぁ、数ですか? 皆さんが私と同じ知識を得るには、んー……一万の、一万倍くらいは」


 そもそも必要な社会実験と頭のいい人たちの苦闘が無いと無理だから、知識の積み重ねとしては全然足らないだろうけど。億という単語も知らないしね皆さん。


「一万の……一万倍? あり……えん。その若さでどうやってそんな数を。いや、そもそもケイ全土の本を集めてもそんな数の本は」


 あ。……文字にさえ慣れてない人たちへは過激な発言だったかな? この老兵殿が怯えて見えるとは相当だ。不味い。彼らの神同然の人が考え抜いた結果を伝えた所だったしな。正直すぎ。まーた精霊王ダンになってしまう。


「すみません非常に虚勢を張りました。本当は百くらいしか読んでません。ただケイには皆さんより千年くらい長く、多くの人間を国として纏めようとしてきた賢い方々の苦闘がありますから。参考になる話もあるんじゃないかと期待してます。

 で、老兵殿。後ろを向いてください。そして少々お耳を」


 こっからは誰にも聞かせない方が良いだろう多分。オウランさんに話すかも自分で判断したいはず。


「もう一つ、お願いがあります。長老の面々がオウランさんに協力するよう説得して欲しいのです」


「何の……話だ。……儂のような年長者も、皆オウラン様へ服従しておる」


 今更? 今更そーいう言い繕いする? ありえねーよ。精霊王の祝福だけじゃこんな短期間で老害にして最高の人材どもが協力なんて、孫を人質にとっても無理だよ。


「うーわ。嘘つき。面倒だから建前止めて頂けません? 幾ら強かろうと突然二十程度の小娘に従えと言われて、うん十年冬を乗り越えた真に有能で賢い古狼どもが従う? 面従腹背同然に決まってるでしょ。そんなのは数千年前から数千年後まで国が代わろうとも一緒なんですよ。ですが誰も知らない道を行くオウランさんには、経験で道を整えられるその人たちがとても有益のはず。

 それとも今のは私のお願いなんて聞きたくも無いという意味ですか。老兵殿もオウランさんを褒めつつ失敗しないかとこっそり期待してる一人?」


「何! を……いや、儂は。そんな事は、無いはずじゃ。……数千年などよく考え付くな。……やはり、そうなのか?」


「自分でやはりゆーてるじゃないですか。貴方の若い頃もそうだったでしょう。人が空を飛ぶようになっても変わりません。

 私はオウランさんに心底感心してますが長なんて複雑で大変な役割、小娘がどれだけ努力しようと経験を重ねた古狼から見れば、酷い手落ちだらけに見えて従う気にならんでしょ。しかしさっきから言ってるように真の意味で頼れる人材、全く足らないはずです。そのお方々が本当に協力してくれるよう何とか説得して欲しいのです」


「そうは……言うが。あ奴らを説得など不可能じゃろ。……ダン殿のその口の上手さなら何とかなるかもしれんが。直接行ってはどうじゃ?」


「老兵殿みたいに基本オウランさんへ協力する気があれば説得も可能でしょうがね。彼女自体を意地悪く見てる方々へ私が何を言おうと実績を見せろの一言で終わりです。其処で貴方です老兵殿。

 いやいや感心しました。鍛えられた歴戦の体を持ち、経験に裏打ちされた真の賢さは目を見るだけで分かるほど。何より初めて会う痩せ犬に吠え掛かられ、肩を組まれようと小動もしない意思は遠くに見える霊峰のように強固だ。草原族の長たる狼の極みがどのような方か分からせられましたよ。

 ならば貴方の名を知らない草原族の長もほぼ居ない。と、見込んでるのですが?」


「霊……峰? 狼の極み……。ダン、殿。よく、其処まで我らの喜びそうな表現を並べられるな。吟遊詩人でさえ負けを認めるじゃろうよ」


「九割事実と思って言っただけです。そんなの良いから。名前。知られてます?」


「……先日オウラン様に集められ服従を誓った時は、大体知られていたな」


「ほれみー。なので貴方にしか頼めないんですよ。あー……。古狼の皆さんにはこう言っては。『草原族が纏まり、数百年残る何かを築けるかもしれぬ時にお前たちは何故いじける。オウラン様が後に年かさの者の協力により事を成せたと言えば名誉が。邪魔だったと言えば不名誉が数百年残るのだぞ』と」


「数百年、残るか? いや……ダン殿は、随分オウラン様に期待してるのだな」


 随分? んー。それは非常に過小な表現だね。笑えてしまう。


「ふ、くふふ。期待ですか。してますよ。間違いなく、何人よりも。

 私が思うに非協力的な方々の理由は明白です。そいつらは、オウランさんの価値と可能性を知らない。分かっていれば命も惜しまず仕えるでしょう。なので老兵殿。貴方の説得は善行だ。誇りを持ってしては如何?」


 おや驚いてる。外の人間が褒めるのが意外かね? いや、なんか違うかな?


「―――良かろう。出来る限りしてみよう。殺し文句も教えられたからの」


 いよぉし。頑張ってくれ。高齢の有能な人材をいじけさせておくなんて冗談じゃないよ。あっという間に土になっちゃうんだから。


「さて、お待たせしましたオウランさん。私の伝えたいことはもうありません。そちらからは何かありますか?」


「ええ、あります。さぁ、こちらに来なさい」


 あら内緒話について聞かないんだ。で、お呼びになったのは最初からずっとこっちを興味津々で見ていたお嬢さん、か。何なのだ……おや?


「お久しぶりですダン様。みどもの事、覚えてませんか?」


 はにかんだ可愛い笑顔な事。顔面骨格自体も随分可愛い。それに、

「あ、やっぱり。私が文字と算術を教えた時、話を聞かない子が居ると助けてくれた娘さんですよね。文字の読み書きはとても熱心で、算術は役に立たないから要らないとプンプン怒っておられた。はー……大きくなられましたね」


 やれやれな溜息を吐きつつ私より子供を動かせる娘っ子だった。しかしダン様?


「わ! どうして、そんな事よりもっとありません!? お話しをしてくださったり色々。文字も、ダン様が物語を書いてくださったからで! あ、いえ。それより……みどもの名前はお忘れなのですか?」


「……ごめんなさい。実は、人の名前すぐ忘れてしまいまして。特に貴方のようなお子さんたちは、生涯会わない。と確信してましたから、多分、一月以内に全員忘れてます……」


 本当恥ずかしい。まさか会うことがあろうとは。顔が熱持っちゃってる。


「それは……何か、ダン様らしいです。またお会いできて嬉しく思います。キリ、と申します」

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