カルマ、箱を開ける

***


 カルマが床下に人を潜ませないよう二階建てとした自室への階段を上る。

 見えたのは四方を囲む衛兵たち。そして窓が開け放たれ、外から全てを一望できる自分の私室兼寝室。

 これも『何者も部屋に潜めないように』との用心による。

 部屋へ入り衛兵により全ての戸と窓が閉められ、やっと一息。

 面倒ではあった。しかし安心して眠れる環境は何物にも代えがたく、グレースを始め側近たち皆も同じようにしているのだから愚痴も言えない。


 ランドに到着した当初の感動も薄くなり、何もかも上手く行かないように思える日々に苛立ちが募っている。

 今日は特にだ。今最も期待出来ると言っていいリディア・バルカからの文が届き、開けてみれば前回と同じ帰還するべきとの内容。

 常に感じていた通り、やはり力を尽くして働く気は無いのかと思えてくる。


 カルマは気持ちを切り替えようと大きく息を一つ吐く。そして私物入れとして自領より運んできた物入れの鍵を取った。

 リディアからの文には倉庫で働いている男から送るようお願いされた。と、鍵がついていたのだ。

 渡されたきり完全に忘れていたが、カギを見てあの男はもしもの時の準備だと言っていたのも思い出し、気になりはしていた。せめて気分転換になれば有難いと思う。


 少し苦労して箱を見つけ取り出す。

 鍵を使い開けると中にあったのは敷き詰められた虫除けの香草と、畳まれた布。

 開くと中には更に上質な布があり、文字が書かれているようだった。

 余りに仰々しく感じ、知らず苦笑を浮かばせ、文字を―――読んだ。


『トーク閣下がランドへ到着する前にザンザは死にます。

 閣下はその事件によって大いに混乱したランドから避難した帝王候補を保護なさいます。

 これにより閣下は特別な信認を得、死んだザンザの代わりに帝王を後見するため全ての諸侯を追い抜いてケイ帝国の頂点。宰相か、或いは危急の時だとしてそれ以上の地位を与えられます。

 閣下は喜ぶでしょうが、全ての諸侯はこの人事を妬み、怒り、何としてでも地位と命を奪おうと、貴方様の悪逆非道な行いを捏造しケイ全土で触れ回ります。

 そしてケイ全土の何も知らぬ民衆が捏造された悪評こそ事実だと考え始めた時、諸侯は正義の名のもとに貴方を討伐せんと兵をあげ、四方八方から襲い掛かり、必ずやトーク家を地上から消滅させ、閣下の名を愚かで残虐な領主として正史に残します。

 戦いようはありません。外部は全て敵であり、内部であるランドに住む数多の民衆、貴族、名のある人も窮地に陥った閣下の味方をして共に死ぬより、殺して己の平和を得ようとするのはご理解頂けると思います。

 例え戦いで勝とうとも、暗殺か裏切りにより閣下は死にます』


 ――――――――――――。

 カルマが、自分が息苦しく感じてるのに気づいた。

 ―――何故? 何故こんなに苦しい。とまで考え、息をしていなかったのにも気づく。

「ッッ! ゼッ はっ ……はぁああああ」


 布を、手放せない。手が震え、寒気まで感じ、自分が異常なまでに狼狽えていると認識する。

 ―――何を、動揺している? この、文章か? 不吉な予測ではあるが、ランドに来てからこの程度の脅しは日常茶飯事。後は起こった事が書かれているだけ。何もおかしな……。

 ―――違う。おかしい。……そう、忘れていたのだ。ならば。此処に書いてあるのは……起こった事では、無い!?


「ヒッ!」


 カルマが焼けた鉄を触ったように手を引き、布が床に。


「……あっ! なんという事ッ」


 不敬な真似をしてしまったと感じて湧き出る焦りをおさえ、カルマは膝をついて床から布を両手で持ち上げ、慎重に入れてあった箱へ安置した。

 体中に粘ついた汗を感じる。額のが特に問題だった。決して布を汚さないように、体を遠ざけ、もう一度読む。何か読み違いがあったのではないかと慎重に。 

 何も、無かった。


 布から何かを見つける事は諦め、他に無いかと必死になって頭を働かせ、思いついく。

 ―――箱だ。私物入れに、何かおかしい事があるはずだ。あってくれなければ、ならない。

 本来なら私室にある自分しか触らないはずの物に異常があるのは、寒気さえする問題。だが今はそれがどうしても欲しい。

 カルマが、自分の地位を忘れ虫のように這いまわって私物入れを調べ……。

 何も、無かった。

 背筋を更なる悪寒が走る。大して動いてもいないのに、汗が床に落ちる。

 これ以上一人で居る事に耐えられない。


「誰か―――。グレース。そうだ……誰かある! グレースを呼べッ! 今すぐに、何をしていようと来るように伝えよッ!!」


 悲鳴同然の声だった。


******


 衛兵が皆階下におり、姉の部屋から距離を取っているのを見てグレースは訝しんだ。

 不用心だ。だが姉の命令なのだろうと自分を納得させ、階段を上り部屋へ。


「グレース。やっと来たか……」


 姉が、様変わりしていた。目は血走り、見た記憶の無いほど怯えているのを感じた。

 困惑を感じた。外の衛兵に緊張した様子は無かったし、大きな問題が起こったとは聞いていない。


「姉さん? 何かあったの。密偵にでも襲われたりとか……」


「密偵? は……、ハハ。そうであれば有難い。机の上。箱に置いてある文だ。読んでみよ。―――慎重にな」


 言われて見ると箱と布があった。姉がこんなにも動揺するのだから、と準備をして読み……。

 拍子抜け、としか言いようがなかった。それでも何か自分が考え違いをしてるのでは、と黙考するが、少なくとも姉が怯えるような内容ではなく、精々苦々しく感じる程度だ。


「その、これに何があるか分からないわ。今日到着した早馬で届いたのよねこれ? つまりリディア殿が前に伝えてきたのと同じような理由で帰ってこいと言いたいのでしょうけど……。誰が書いたのかしら。貴族では無いわよね。

 文字と文章に品がないもの。大体起こった事をそのまま書けば、後にある自分の予想の説得力が増すとでも思ってるのかしら。品も無ければ頭も悪いんじゃないのこれを書いたや」「なんっ……?! 止めよグレース!!! それ以上その御文を貶めてはならぬ!」「つ……?」


 姉の顔は更に血の気が引いて、死人同然の色となっていた。困惑が更に大きくなる。


「いや……ワシが悪いな。グレース、その御文はな。其処にある鍵の付いた箱に入っていたのだ。鍵は、今日届けられ、先ほど開けた。そして箱は、ワシの私物入れ、あそこにある箱だ。あれの最も奥に入れてあったのだよ」


 姉らしくもない、取り留めのない話し方の所為もあってグレースは全く理解できず、

「えっと、……良く分からないわ姉さん」


「だからっ! その、箱を渡したのは……ダンだ。あの倉庫係の。渡されたのは、渡されたのがな。レスターを出る前の夜なのだ。お前と、どのように働けばザンザ閣下に評価されるか話し合った直後。あの男、いや、お方は万が一のワシの危機に備えて持っておいて欲しいと言って渡してきた。言葉よりも自信ありげに。つまり、それは。

 『起こった事が書いてある』のでは無い。『起こる事が書いてあった』としか……」


 グレースが、全く追い付いてくれない理解を何とか纏めようと黙考する。

 両手で布を持ち、二度、三度と読み直し、

「ヒッ!」


 姉と全く同じように手を引き、布が床に落ちた。

 少しでも心に余裕があれば、姉妹らしい似通い方に親しみと可笑しさをカルマは感じられただろう。

 しかし今は眉をしかめ、慌ててどうしたら良いかと混乱している様子の妹へ、

「箱の上に置くと良い。ずっと其処に入っていたのだ。大丈夫であろう。ただ顔は近づけぬようにせよ。その額の汗がついては如何にも不味い」


 グレースが言われた通りぎこちなく動いてから、震える両手で顔を覆って考え始めたので、もう良いだろうと感じるまで待ってカルマは、

「一番ありそうなのは布を入れ替える手か。護衛の長にはもう聞いた。部屋に入った者はワシに伝えた分しか居らず、私物入れには運び込んでから掃除以外で触った者は居ない。開けたのはワシだけになる。

 私物入れ自体はワシが入念に調べた。カギをこじ開けたような様子など、誰かが見知らぬ間に触った気配は無い。加えてその箱は受け取った時にワシがどうせ使わぬと最も下に仕舞いこんだのだ。当然ある場所を知っている者は他におらぬ。

 今までに何回か私物を取り出した時も、物が動いていたような違和感があった事は無かったし、そもそも誰にも見られず布を入れ替えるとなるとワシが部屋に居る時。寝ている時になろうか。だが、この警備の中誰にも見られず忍び込み、鍵を開けて更に探ってワシを起こさずとなれば……それも人間に可能とは思えんな。殺そうと思えばこの世の誰であろうと殺せる者の技となろう」


 考えた疑問点そのままを先読みされたが、グレースに違和感はない。他に考えようが無いのだ。となると後は、

「これは……本当に……」


「庶人には決して不可能な『読み』であるから、リディア・バルカの考えで書かれたのかどうかが気になると? さぁな。鍵を送って来たのはリディアだ。箱の横に置いてある布がついていた」


 言われてグレースがその布を取り、

「『先日、わたくしの所へ下級官吏のダンが参りまして、世情に不安を感じ大宰相閣下へお帰り願いたい事と、下々の心配を知って頂く為に、以前お渡しした箱をお送りしました鍵で開けてくださるようお伝え願いたいと申しました。

 閣下のお耳に小人の戯言を入れるべきか悩みましたが、意はわたくしと同じで考え藁にも縋る思いで鍵をお届けいたします』

 藁……? これが、藁ですって!?」


「幾らあの者でもこうは言うまい。それにお前も知ってる通り我らと距離を置いて見ているようだったあの者が、このような……極めて異例な手を使うであろうか。何よりどちらの意志かなぞ―――もう、どうでも良い」


 数瞬を置いて、グレースがぎこちなく頷く。カルマは体の中にあるモノを吐きだそうとするかのように、長く息を吐き、

「ワシは……恐ろしい。それを書くのに何が必要か全く想像がつかぬ。

 グレースも覚えていよう。ワシが大宰相として陛下の直下に座り、お前がその横に立った時、集められた者どもの顔を。

 あそこにはこの国で最も賢いと言われる者たち、それを配下とし更に数多の臣下を持つ古く強力な貴族も皆居た。奴らは様々な目でワシらを見ていたな。だが理解を越えた出来事が起こったという驚愕だけは共通していた。誰一人予想していなかったと、名のある者皆が声に出さず語っていたと思う。

 あそこに居た人が持ちうる全てを持った者たちが知恵を振り絞り、世を探って尚、読みを外し戸惑ったのだ。だからこそあの混乱があったのではないか。それともグレースの目には誰か予見していたような者が居たか」


「……いいえ。居ないわ。この国の誰も、姉さんを宰相にしようとしてあれほどの事件を起こす訳ないもの。今でもそう思う」


「ならば予知か。古き巫女か、預言者に連なる者ならば可能なのか? だが如何に強力な巫女であろうとこのような詳細な予言の話を聞いた事が有るか? 作り話同然の伝説でさえワシは知らぬ。他にどんな想像でも良いぞ。何か思いつくなら言って欲しい」


「―――無いわ。どんな有名な予言も精々指針を示す程度の物よ。想像も、つかない」


「ならば―――。あの時、帝王をお迎えした時。ワシはあり得ぬ幸運を与えられたと、神に選ばれたと思った。このケイ帝国を中興し、かの光武王と同じ献身と栄誉を成す為に。

 喜びと、誇らしさで我が身の全てが震えた。お前も、臣下も皆同じように喜んでくれていた。

 それを全て! 事が起こる何十日も前に知っていたと言うのか!? 混乱を、あの血を、あらゆる涙を。全て……ッ!

 この世に百と居よう神の如き知恵を持つ者程度では決してあらぬぞ。人が……人如きにそれは書けぬ! そして、その御文が示すワシの……ワシらの、最後は……」


 カルマが顔を覆う。グレースには何故そうしたか理由が良く分かる。自分の目にも同じ物がある。

 冷静でなければと必死で心を押さえる。姉は信じている。当然だ。だが姉が信じている時は、自分は疑うのが役割。だから、冷静でならなければ、と。


「―――。グレース、ワシは……御文に反する気にはなれん。かの者が帰れと言うなら帰ろうと思う。……それでも、帰るべきでは無いのかもしれんとも考えるのだ。

 確かに悪評は酷い。作られた者の兵を起こす前準備との意志も感じる。だがそれでどれだけの敵が攻めてくるのか分からん。もしくはこの捏造された評判はその内消えるかもしれん。何より今のワシは曲がりなりにも大宰相だ。多くの兵、人を動かせる。帝王陛下さえある程度は従ってくださる。帰れば、その全てを失う。領地から連れてきた兵さえ他所で暮らせる者は逃げてしまおう。

 帰っても戦いは避けられぬはず。敵の数が半分に減ろうとも、己の力が十分の一になっていたのではより悪い。お前はどちらが良いと考える?」


 グレースと同じ意だった。結局問題は帰った時、状態が良くなるかなのだ。


「……近頃は、ずっとそれを読もうとしてた。けど分からない。この文に書かれている通り国中が敵となる可能性が、言われればあるのは分かる。考え得る最悪の事態ね。でも帰っても生き残れる見込みはほぼ無い。

 オレステとウバルトがきっと攻めてくるわ。同時に敵となれば平時でも互角に近いから、弱ってる間に攻められれば勝てる気はしない。しかもトークよりもビビアナに近いあいつらは必死なはず。有利な立場で従う為か、戦う力を得る為かは知らないけどね。

 だから……言えるのは、ごめんなさい姉さん。どっちも厳しいとだけなの」


 カルマが、顔を覆っていた手で目を拭った。そしてぎこちなく、それでも笑みを作って、

「くじで決めるようなものだな。ならば帰ろう。くじを遥かに超えたモノをくれた者も、帰れと言ってる。

 何よりどうせ死ぬなら故郷で死にたい。加えてあの御文について尋ねられるかもしれぬしな。せめてどんな意志で渡したのか知らなければ死ぬ時も悩もう。そう、思わぬか」


「……うん。そうね。はぁ……。今までの努力と、寝不足が全部無駄になるのはうんざりするけど。でも、うん。帰ると決めたら少し爽快だわ。あの……方―――いえ、あの男とバルカ殿に案の一つや二つ期待しましょうか。それこそ、神の如きを越えた案を、ね」


「ふ……そうだな。ワシらにこれ程まで帰れと言うのだから、その程度はあって欲しいな。ただ……やはり『あの男』と呼ぶのは不味くないか」


「それは、恐ろしいけど。でも、不味い真似をして呪われるならあたしであるべきじゃない。それに何者であろうと今までずっと下級官吏でしか無いのよ。そんな男相手に両方がへりくだっていたら、秩序が保てないし……癪に障る」


 グレースの言葉に半ば呆れ、半ば感心して、

「実に……本当に頼りになる妹だお前は。ならばその箱をどのようにか仕舞ってくれ。この部屋に置いたままでは恐れがましゅうて眠れん。但し、敬意をもってな。態々不敬な真似をする必要はあるまい」


「当然よ。あたしだって怖いもの」


 二人が顔を見合わせ、無理はあっても笑みが浮かんだ。今日、初めて幾らかでも心から笑えた気がした。

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