カルマとザンザの出会い1

 軍に随行して四か月が経った。

 目下最大の問題は髪を触るとベタベタする事だ。

 日本に居た頃は一日でも髪を洗わないと、頭の匂いが気になる性質だっただけに辛い。

 こっちで旅をする時は仕方ないのである程度はなれてしまったが……。

 もう五年は前に聞いた話が、毛根には不潔こそが最も大きな問題であるという知識が私を苦しめている……。


 言ってしまえば悩みと言ってもその程度。

 軍は連戦連勝。

 戦地に居るというのに危険を殆ど感じていない。

 今日も軍は勝ち、私は兵糧の管理と今からする作業だけで一日が終わるだろう。


「上長殿、指示された作業は終わりました。自由時間を頂いてもよろしいでしょうか」


「ああ、何時ものやつか。良いぞ、行ってこい」


 こころよく送り出してくれる上長有り難てぇ。

 うんだば行くとしますかね。

 楽しくは無い作業だが私には必要だ。



 宿営地から馬に乗って十分、私は今日の戦場だった場所に来ている。

 皮鎧を着て片手に剣、片手に長い棒を持った姿で、だ。

 では、始めよう。出来るだけ大きな声で、と。


「今からお前たちの中で望む者にトドメを刺す! 最初に棒で押す! 拒否する時は言えば手を出さない! 又、私は襲われない限り傷つけはしない! 死んだふりをしている者を見つけたとしても、誰も呼ばないと約束しよう! なお、申し訳ないが遺言を受け取る事は出来ない! 大勢の遺言を伝えるのは不可能だからだ!」


 注意伝達終了。続けて呼吸してそうな人の所へ向かう。

 この時、怪我の軽そうな者に近づいてはいけない。隠れて矢を放てそうな場所に近づくのも不味い。

 死んだふりをして襲い掛かってきたり、何か勘違いしてこちらを殺そうとしている奴が居るかもしれないからだ。

 実際に何度かあった。

 その時は一応高耳だし心構えをしていたので簡単に逃げられたが、危険自体を無くした方が賢かろう。

 それに危なそうなのに近づかないでも、声を出してトドメを望む者が幾らでもいる。


 こうやって人殺しに慣れるのが戦場に来た最大の目的である。

 やはり最初の日はかなり躊躇したし、ゲロを吐いてしまった。頑張ったが結局十人も殺せずギブアップ。

 いやはや、戦場に来たのは実に英断でした。

 日本で暮らしていた頃は分かったような気になっていたけど、結局の所私は自分が食べる豚さえ殺した経験の無いお坊ちゃん。

 あの状態の自分が殺し合いをする羽目になっていたらまともに動けず死んでいたと思う。

 加えてダイエットに成功した。今も体重が戻りきってない感がある。はっはー。戦場は最高だな。

 ……流石に不謹慎。いや、不謹慎なんて考えるのはヌルさの証拠。私が人権なんてもんに毒されて、ケイに住む誰と比べても周回遅れだからこんな発想が出る。頑張れ私。


 この作業を続けて二か月以上、とっくに数えるのは止めたが老若男女を問わず千人は殺しただろう。数だけならばカルマ軍で最多かもしれない。

 近頃は慣れて来て苦しませずに殺すコツが身についてきた。

 その為、自軍の負傷者の所にも行ってトドメを願う者にトドメを刺す仕事を始めてもいる。


 予想外だったのは敵だった人間だけでなく、普通やりたがらない味方へのトドメをする仁のある人間として周りからの評価が上がった事だな。

 確かに味方へのトドメは問題が多い。望まれてやってもそいつの死を嘆いた知人に恨まれたりする。私も数回面倒が起こった。

 少し不味いかなーと思わんでもない。今の所身近な一部の人に褒められるくらいだが、有名人になるのは困る。

 それでも止める気はさらさらない。もっともっと殺す必要がある。

 人を殺した時、欠片も感情が動かないようになるまで。


---


 作業を終わって陣地に戻る途中、遠くに太鼓を鳴らしてゆっくりと近づいてくる軍団が見えた。

 こっちの陣地の様子は無警戒に近いし、味方なんだろう。

 旗が見えた。小さい龍の絵も。……あれは王軍の大将軍旗だっけ?

 今の大将軍はザンザと聞いている。

 旗に使われる地の色は、暗黙の了解として長の髪の色。

 あの旗は濃い緑色。以前遠くから見たザンザと同じ色だし、領主であるカルマのより遥かに金の掛かってそうな威風堂々たる旗。ザンザ本人が居そうだ。


 これは又……運が無いなカルマは。

 ザンザの上昇志向、現在の世情、この二つだけでもお近づきになりたくない。

 その上相手の方が遥かに上位の立場で、功績を査定するのもザンザなはず。

 最悪の猪鹿蝶だ。


 単なる命令なら使者で済む。態々来たのには人物を見る意志があるはず。良ければ深い関係にってね。

 トーク姉妹は欲望、いや、運命に勝てるかな?

 ここでザンザとの関係を持たない為には、今までの戦功を全て投げ捨てる覚悟が必要な気がする。


 しかし二か月戦い続けた結果を放り投げるなんて誰に出来ようか。しかも上手く行けば大きく出世できると来ては。

 うーむ、リディアの予想通りになってきた。

 カルマは本当に董卓となってしまうのかな。


 善政を敷いてるトーク姉妹に悪行三昧の未来像は全く浮かばない。董卓的に国のトップになっても、真面目に良い行政をしようと頑張るだろう。

 しかしメディアのメの字も無いこの国だと、噂話がニュースソースの全て。幾らでも捏造が可能。

 そして誰かがちょいと目立っちまえば集団攻撃されるのは、21世紀まで続く人類の性癖な訳で……。


 ま、私は見てるだけさ。

 グレースが会談の内容を教えてくれるように祈って寝ましょう。


***


「レイブン! 二歩下がって控えて! ガーレ、貴方はもう少し右! 姉さんは大将軍に対する礼儀を忘れないようにね。アイラは―――どうするべきか……いや、危ないわね。アイラ、申し訳ないのだけど自分の幕舎に戻ってて。ランドの人間は獣人相手に何を言い出すか分からないの」


 他に何を気を付けるべきか……ああ、ゆっくり考える時間が欲しい。でも、既に先ぶれが来てしまってる。


「なぁ、グレース。そんなに慌てずともよかろう? 相手は元肉屋、どれ程の物があろう」


 やっぱり全然わかってない。ガーレだからよね? レイブンとフィオは大丈夫よね?


「直ぐにそんな気持ちは捨てなさい。相手は大将軍なの。あたし達の戦功なんて一言で無くなるのよ? それと、口を開くのはあたしと姉さんだけにしたいわ。とにかく今から来る相手はケイ帝国で一、二を争う権力者だと忘れないで」


「ザンザ大将軍がおいでになりました!」


「皆、礼を!」


 それにしても本当にザンザと出会うなんて。

 あいつの言う通りじゃない。―――気持ち悪いわ……。


「楽にするがよい」


 ……これがザンザか。

 自信に満ち溢れた男。

 強欲だが、中々に有能だと聞く。

 元肉屋とはとても思えない。体はよく鍛えられていて、何らかの賢さを持ってるようにさえ見える。

 気を付けるべきね。姉さん、頼んだわよ。


「お初に御意を得ます。小官がカルマ・トークです。こちらは筆頭軍師のグレース・トーク。お尋ねの事があればグレースに答えさせましょう」


「グレースと申します」


「うむ。儂は無駄な問答が嫌いだ。簡単に言おう。コルノの軍が近くに居るのだが、多すぎて儂だけでは面倒だ。お前たちも付いて来い」


「御意。それで、相手の数は幾らほどでしょうか。軍議も必要だと思われますが……予定の時刻をお教えください」


 む、何このザンザの笑みは。

 ……凄く嫌な予感がしてきたわ。


「やつらの数は二万程だな。軍議などはせん。お前たちが真ん中に突っ込む。儂の軍が両翼から攻める。これで良かろう」


「我らの軍は五千で御座います。ザンザ閣下の軍はいかほどでしょうか」


「大体七千といった所か。合計で一万二千。コルノ党如き軽く蹴散らせよう」


「……よろしければ、偵察した後に献策する機会を頂戴できれば有り難く。私も軍師の端くれ、何らかの有利を策によって作れるかと」


「要らぬ。儂が言った通りにせよ」


 本気なの?

 ……本気みたいね。

 意味が分からないわ。多数相手に無策で突っ込ませる気? 無能とは聞いてないのに。

 何か……手は……あるわけ無いわよね。奴は将。あたしたちは兵なのだもの。


「分かりました。我が軍の全力を持って当たらせて頂きます。出発は明日で宜しいでしょうか?」


「うむ。それでよかろう。儂が先導してやる」


「はっ。お願いいたします」


 ザンザは最後にあたしと姉さんの表情を確かめてた。

 もしや……あたし達の人品を見定めている?

 姉さんは……ああ、幕舎へ入ろうとしている。うん。まず相談だわ。皆も……何も言わずとも来てるか。

 

「グレース、これは不味いぞ。弱兵で有名な王軍と組んで二万相手に正面からなんて考えたくも無い話だ」


 レイブンの言葉に皆が頷いてる。分かるわ。ただ、それよりも気になるのが、

「姉さん、ザンザは何を考えてると思う?」


「わたしは試してるのだと思った。無茶な命令にどんな態度を取り、どう動くかを」


「でしょうね……ならば、言われた通り行くしかないわ」


「本気か? 分かってるとは思うが多くの兵が死ぬやもしれぬぞ。特にガーレの部隊は不味い」


「なっ、それはどういう意味だレイブン! 今回のような正面からの戦いでお前の部隊に負けはせぬぞ!」


 ほんっとガーレって……どうしたらいいのかしら。


「ガーレ殿、そういう問題では無いっス。遥かに多い相手と戦うのですから、周りと連携して耐える戦いになるでしょう。その時、ガーレ殿が突出しないかを心配してるっスよ」


「コルノ党ごときに弱気でどうするのだ。相手がどれだけ多かろうと農民兵の集まり。勝って当然であろうが」


「ガーレ、ザンザが見たいのは難しい命令にどう対応するかだと思うの。だから簡単に勝てない相手だと考えるべきよ。第一そのコルノ党相手に王軍が負けたからあたし達がこうやってあちこちで戦ってる忘れたの? 今回は特に周りを見て孤立しないようにしなさい。良いかしら?」


「……分かった。気を付けよう」


 偵察さえ許されないとなると、これ以上何を話しても意味ないでしょうね。後は臨機応変に動くしかないか。

 そういうの苦手なのに……。

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