イルヘルミとコルノの乱

 王都ランドから南東に170キロ。アキア州はヨウキという街の近くに広がる平原で、今正にコルノ党の一軍とイルヘルミの軍がぶつからんとしている。

 総指揮をとるイルヘルミは高ぶる感情を臣下に悟らせないよう努力しながら、最後の確認を始める。


「何か問題はあるかカガエ」


「何もありませんイルヘルミ様。全て軍議の通りです」


 紫色の長髪を後ろで縛った若い男、カガエ・クイが答えた。

 彼は礼儀を確立させたと称される偉人を祖に持つケイ帝国でも有数の家柄で、容姿、頭脳、人脈。全てにおいて不足無し。或いは当代一か? とまで評されており、ビビアナ・ウェリアに強く望まれた過去がある。

 しかし誰もが感涙にむせぶ程の厚遇を蹴るとケイ帝国を再興出来る主を探して旅に出、未だ子爵ともなっていないイルヘルミを主君に選んで此処に居た。


 その二人が会話していると、ラビ・ジョリスがやってきて、

「イルヘルミ様、退路を確認してまいりました」


 カガエの胸に苛立ちが湧く。

 勝って当然、如何に損失を少なくするかが問題の戦いで退路は酷い侮辱だった。しかもこの戦いは全て自分が計画したもの。イルヘルミの配下となって以来最大の大役である。

 怒りを抑えようと静かに息を吸ってから、

「ほぉ……ラビ殿ならば我が軍が農民兵の集まりに負けるとは考えぬはず。であれば代理の指揮を任されしこのカガエに不信ありと仰りたいのかな?」


 この言葉にラビではなくイルヘルミが答えて、

「待てカガエ。おぬし、わたくしの軍で戦うのはこれが初めてだったな?」


「それは……はい。しかし臣下になりましてから今日まで軍の把握に努めてまいりました。作戦に不備は御座いません」


 カガエにはイルヘルミが不機嫌に見えた。しかし理由が分らない。

 昨日の軍議では非常に上機嫌だったのだ。


「はぁ……。そんな話をしているのではない。まずラビに退路を確保させるのはわが軍の慣例なのだ。お主に知らせていなかったのはわたくしの落ち度、謝ろう。

 しかしそなたは本当にこの戦いで退路の確保が必要ないと考えているのか? どうもわたくしの機嫌を伺って、先の如く言ったように思えてならないのだが」


「それは……」


 イルヘルミの言う通りだった。しかしそれで不興を買った事にカガエは困惑を感じる。

 意見の採用判断に加え、提案者の命も握る主君の前である。

 感情の配慮に加え、不安を抱かせないよう自信を過剰なまでに見せるのも当然の配慮。

 怒りを買う最上の策より、喜ばれる下策の方がマシなのは常識だ。

 そもそも絶対的勝利の場で負けを前提とした行動を取る将など居ては、士気を乱し無用な危険を招く事になる。


 しかしイルヘルミとしては常識通りの働きを、帝国最優秀とまで言われる人物にさせる気は無い。


「まずわたくしの怒りを買うかどうかで献策を考えるのは止めよ。そなたは忠臣だ。そなたへ怒るのは自分に対して怒るのと一緒と心得ておる」


「なん、と。……ご信頼深きお言葉、敬服致します」


「うむ。次に言うまでもなかろうが確認しておく。戦いでは如何なる時も負けに備えなければならぬ。わたくしは必勝の戦いで負け、死んだ数多の英傑の一人になりたくはない。そうなれば何のために書を読み過去を学んだのかと愚弄されよう。

 如何だカガエ。もうラビが愚弄したとは考えておらぬだろう? おぬしはわたくしのシホウなのだからな」


 カガエは言葉も無かった。言葉の一つ一つの正しさに体が震えさえした。

 ―――自分が、一族が望むのは崩れかけているケイ帝国の再興である。優れた主の下で自分が十全に力を振るおうとも、成し遂げうるか分からぬ難業。

 主君の機嫌伺いを思慮に入れるなど言語道断ではないか。だからこそビビアナ・ウェリアの下を去ったのだ。

 如何なる時も退路を確保すべきなのもその通り。そうしたからこそ高祖は我らがケイ帝国をお築きになれた。


 目の前に居るイルヘルミ・ローエンが、ケイを再興し民を安んずる為には唯一人の人材であるとの確信がカガエの中で産まれた。

 そして誓う。彼女が『わたくしのシホウ』と言った通りに。ケイ帝国建国最大の功臣であるシホウになってみせようと。


「―――はい。このカガエが間違っておりました。そして、貴方こそ身命を賭して仕えるに値する方。どうか、我が不明をお許しください」


「謝るのならわたくしだけでなくラビにも。と、思うのだが?」


「……。ラビよ、済まなかった。謝罪する」


「あ、ああ。悔しいのならば謝らずとも……」


 カガエの表情に不満は無い。しかし何をする時も涼やかに行う彼が、ラビにも分かるほどぎこちなさを見せたのにイルヘルミは苦笑して、

「やはり人に謝るのは慣れておらぬのかな?」


 言われて恥ずかし気に、

「どうもそのようで。名門と煽てられようと才に溺れた愚か者ではないつもりでしたが、情けない事です」


「名のある貴族であれば皆同じ不得意を持とうよ。ただ……それで言うとバルカ家のリディアは傑物であった。賢さという意味ならカガエほどの者を見た事は無い。しかしあの小娘は……何というべきであろう。知己の多いそなたなら彼女を存じているか?」


「はい。話を出来たのは一度、まだ幼い頃ですが既に尋常ではありませんでした。ご一族も皆非常に有能な貴族なれど、あの者は単に賢いのではなく……やがてみどもの理解を越えた者になるのではないか。そう感じまして御座います。

 成程、彼女ならば相手が誰であろうと『良い』と判ずれば地に身を投げ出して媚びへつらうでしょう。

 しかしイルヘルミ様がそれ程あの者を高く評価なされているとは存じませんでした。みどもの耳には求めるもはっきり拒絶されたとだけ。未だ彼女を配下にするお望みを?」


「当然よ。有為の者を諦めたりはせぬ。とは言えアレは表に出さぬだけで誇り高く、そして打算的と見た。拒否できぬまでにわたくしが強くならなければ、臣下とは出来まいな」


「ふむ……確かに。ならばこのカガエはリディア・バルカがご主君に膝をつくよう、道を整えましょう」


「ふはっ。そうだな、期待している。

 ついでだ。我が意を話しておこう。わたくしは世の人々から何を言われようと気にせぬ。卑怯と言われようが、厚顔無恥と言われようが、決断は変えん。

 良いか、結果が全てである。勿論世の皆に歓声を上げさせるのが最上の時もあろう。しかしそれは有効だからそうするのであって、決して世の者から良く見られたいからするのではない。

 大業たいぎょうの為ならば泥水を啜り、誰にでも媚びへつらおう。実際わたくしはビビアナ・ウェリアに『貴方こそ我が灯、万の書にも勝る導き。月より輝く銀の髪を追ってわたくしは歩んでおります』と書いて送った事があるのだぞ。

 カガエ。わたくしのシホウよ。何時でも結果が最上となる策をわたくしに提示せよ。世の道徳に惑わされてはならぬ」


「は、ははぁっ! 御意のままに!」


「うむ。さて……クテイア、ジニ、プイロも準備は出来てるな?」


「はっ。つつがなく」


「では始めよう。進軍の合図を送れ」


 イルヘルミの指示を受けて太鼓が鳴り、兵は整然と前進した。

 一方コルノ党も動き出すが、その動きはバラバラ。訓練の差が歩くだけで表れていた。

 

 しかし先手はコルノ軍が取る。

 先頭に居た男が弓を持ち、放つ。

 矢は素晴らしい速度で飛んで先頭に居た兵の喉に突き刺さり、致命傷を与えた。


 男の雄たけびに続き、コルノ軍全体が賞賛の声を上げて士気を盛り上げる。

 だが、

「ラビ隊、放て」


 イルヘルミ軍800名の弓隊が整然と矢を放つ。

 コルノ軍も負けじと矢を返すが、乱れていて数も少なかった。

 弓隊として編成されたものではなく、元猟師だった者達が個別に放っているのだから当然である。


 それでもコルノ軍の士気は未だ旺盛で、矢が降ってくる中盾を掲げて前進し続けた。

 イルヘルミ軍は整然とげきを振り上げて待ち。

 コルノ軍は猛然と剣を手に走る。


 どちらが有利かは直ぐにあらわれる。

 戦場の多くの場所で戟の長さが先手を取った。

 とはいえコルノ軍も一方的にやられたりはせず、一部の兵は事前に拾った石を投げつけて損害を与えたし、更には隊列が乱れた所に入り込むと個人の力で多くの兵を殺した者も居た。

 だが深く入り込んだ者に周りは付いて行けず孤立し、剣を抜いた二列目三列目の者に押しつぶされて死んだ。


 全体としてみればイルヘルミ軍の圧倒だった。

 更に、イルヘルミの従妹であるジニ・ローエンとプイロ・ローエンの騎馬隊が横腹をついた。

 これによって勝敗が決したのを見てイルヘルミは、

 ―――後は大将であるギイを捕殺するだけか。

 逃げたとしても既に動かしてあるクテイアの騎馬隊100が捕まえよう。

 完勝か。流石カガエ、全て考えの内であったな。

 ん……あそこから出て来たのはギイ?


「イルヘルミよ! 一騎打ちをしろ! それともこのギイが怖いのか! 後ろで怯えるだけのネズミめ! 違うというのなら勇気を見せてみろ!!」


 公平に見てギイは良い判断をした。

 既にイルヘルミを一騎打ちで討ち取る以外に生き残る道は無い。

 しかしギイにとっては不幸な事に、イルヘルミはこういった申し出を鼻で笑える人物だった。

 ただ自分が戦うのは在り得なくても、配下の武将に見せ場を与えてやれるとイルヘルミは考え、

「カガエ、クティアに伝えよ。わたくしの代わりに一騎打ちをし、あいつの首を持って来いと」


「はっ。……むっ!? イルヘルミ様あちらをご覧ください。農民らしき者が、ギイに戦いを挑もうとしておりませぬか?」


 イルヘルミが見ると、農夫風の巨漢が大きなこん棒を片手に馬上のギイへ走っていた。

 体中に土と草が付いている。恐らくは草の間に隠れていたとイルヘルミは見て取る。

 走って来る男を見てギイは驚いたが、直ぐに立ち直ると敵意がある様子の男に向かい馬を走らせ槍を突き出す。

 対して男はこん棒で槍を叩いて逸らせ、そのまま槍を片手で握り、有無を言わさずに馬から力ずくで引きずり降ろして殴り殺してしまった。

 

 それを見たイルヘルミは嬉しそうに、

「お、おお!? 何という力だ! 素晴らしい」


 だが続けて男がギイの死体を馬に乗せ、自分も馬に乗って去ろうとするのを見ると焦りも露わに早口で、 

「あ、ま、不味い! 大将首を持って行かれては困る。クティアに伝えてあの男を捕まえさせ連れてこい。ああ、違う丁重にな。傷つけてはならん。コルノ軍には降伏勧告を。取り決めた通り、あいつらには土地を与え耕させると伝えるのも忘れないように」


 命令は直ぐに伝えられ、クティアが騎馬隊を率いて後を追う。

 男は必死に逃げたが、馬術で劣っている上に人一人余分に乗せていては逃げ切れる訳も無く、投げつけられた網に絡まって落馬し捕まった。

 そのまま縄で縛られて連れて来られ、観念した様子の男を見てイルヘルミの鼓動が高鳴る。

 

 近くで見ると凄まじい巨漢だった。女としては非常に大きいクティアが、普通の町娘に見える。

 そのクティアが申し訳なさげに、

「イルヘルミ様申し訳ありません。この者は余りに力が強く大人しくさせるのに無傷では無理でした」


「ほぉ……我が軍で一番の武勇を誇るクティアがそういうのか……ああ、おぬしすまぬ。お前たち、直ぐに縄を解け」


 命の危険を予想していた男は縄を解かれて戸惑いを見せている。

 イルヘルミの期待通りの様子である。更に恩義を感じさせ、この男を配下にしたい。そうイルヘルミは思う。


「……剛力の勇者に対しての非礼を配下に代わって謝罪しよう。さて、自己紹介をせぬか? わたくしはイルヘルミ・ローエン。そなたの名前は?」


「……おら、チョキだす」


「チョキ……良い名だ。単純なだけに力を感じる。それで何故ギイを連れて行こうとした?」


「おらの村はあいつに襲われた。だから、復讐してあいつの首を皆の墓の隣に埋めたかっただ」


「なるほど……。申し訳ないが、大将首を持って行かれては困る。その代わりと言っては何であるが、そなたの村をわたくしが金で支援をするのはどうだろう。

 加えて、だな。そなたわたくしに仕えぬか? 先ほどの戦い、実に見事であった。是非配下になって欲しい」


「おら、殺されないだか?」


「まさか! 勇者を殺したりはしない。どうしてもわたくしに仕えたくないというのならギイの首を貰う代わりに金を渡す。勇者に相応しい待遇をしなければ我が先祖もお怒りになろう」


 チョキは一瞬迷うが、直ぐにはっきりとした表情で、

「……分かっただ。本当に村を援助してくれるなら、おら命を掛けてイルヘルミ様の為に働く」


「そうだ、それが良い。その言葉を待っていたぞ! 無双の豪勇の士チョキ、汝を心から歓迎する。共に大業たいぎょうを成し遂げよう」


 こうしてチョキはイルヘルミの配下となった。

 彼は誠実で重厚な人柄を持っており、直ぐにイルヘルミの信頼を得ることになる。

 イルヘルミはこの後もコルノ党の軍を相手に勝ち続け、カガエたち優秀な文官の力によって敗残兵を上手く管理し、自分の領地に土地を与えて住まわせ民としていく。

 多くの領主が苦難に耐えるだけとなったコルノの乱の中、イルヘルミは優秀な将軍としての名声だけではなく、大きく兵の数と領地から得られる富を増やす事になる。

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