リディアのお見舞い

***


 先生が倒れて三日。

 面会の許可が出たので、生徒の義務として見舞おうと思う。


 倒れた理由は『自己管理を怠った為に風邪を引いた』と謝罪の言葉と共に聞いている。

 少々違和感を覚える。

 あの人は自分の体には常におこたりが無い。気を使おうと掛かる時には掛かるのが病ではあるが。


 ……ふむ。何時もより歩みが速いか?

 呼吸も少し速いようだ。

 この程度の動きで呼吸が乱れる訳も無し。

 となると、考えられるのは、

「恋、か」


 私も十一。色を知る年頃である。

 感情によって体にここまで変化があるとは興味深い。

 確か、何かの雑談の折に先生はこういう状況を詩らしき物にしていたような……。


 思い出した。

 色に出にけりわが恋は、ものや思うと人の問うまで、か。

 迂遠だが、突然落ち着きが無くなった侍女を的確に表す良い表現である。と、感心したのであった。


 私が家族以外からここまで影響を受けるとは実に趣深い。

 他者に興味を抱こうと苦労していたというのに。

 興味深い話をしてくれる人も、直ぐに教えてくれる物が尽き疎遠になってしまう。

 数年前には手に入るだけの書物を読んでしまい、学者達に交じり慰めを得ようとしていたが、新しい見解を聞けるのは稀で満たされない日々であったな。


 一年程前に父は私の名声を広めようと大々的に教師を求めた。

 父としては分かり易い逸話作り程度の考えであり、在野の賢者が来る等とは期待する訳も無い。

 私としても少しは物珍しい出来事があれば良い程度であった。

 実際殆どの人間は門前払いであり、議論の為に議論をするような人物も多く、労多くして益少なくを体現する羽目になってしまった。


 結局一週間以上持ったのはあの人のみで、門番と私の時間を取り過ぎるのでダン先生が来てすぐに取りやめ。

 父の考えと利点を把握して尚面倒な話。で終わる筈だったと言える。

 まさか、これ程面白い結果を得られるとは。


 先生を初めて見た時には粗末な見た目と、妙に緊張した様子から記憶してる中でも有数に徒労感を感じたのを覚えている。

 だと言うのに出て来たのはこの世に二つ無いと確信できる知識であり、しかも戦の法を語るかのように論理だっていた。


 とは言え先生が自ら言われた通り最初から今まで全ての話は実証が難しいか、人々の営みには何の影響も与えない無駄知識ばかり。

 

 しかし知識その物の興味深さもさる事ながら、あの視点。

 誰もが納得し、起こった事実のみを積み重ねて推論するという無感情で多くの方向から物事を見る考え方。

 あれがどれだけ得難い知識か先生は気づいているのだろうか?


 話される内容も非常に興味深いが、あの人自身もこの世に二人居る訳も無いと確言できる不可思議なズレ方をしており、私の探求心を刺激してやまない。


 昨今は何事にも余裕を持てるようになったと感じている。

 やはり、不満が少なくなったのが多きかろう。

 不満で行動が変わってしまう当たり、私の至らなさが出ている訳でもあるが。


 それに他の人を見る際に違う視点から見られるようになった。

 一見無益に思える話でも、視点を変えれば何らかの役に立つ場合もあるのだ。

 この気づきを得られたからこそ、父からお褒めの言葉を頂けたと考えて間違いあるまい。


 うむ。

 多くの知識を与えてくれた上に、日々面白味を添えてくださる先生には好感を抱かずにはおられぬ。


 うん……? となると私は先生に恋をしているのではなく、知識に恋をしているのではあるまいか?


 なれば……。

 私はまだ色を知っていなかったか。

 残念だ。

 色も中々面白そうなのだが。


 一方で先生は色を知る歳かもしれん。

 最初の方の授業では緊張しており、余裕が無い様子だったが、昨今では私と話すのを楽しみにしてるように見受けられる。


 私と恋仲になろうと、私はまだ子供を作れないのだが。

 先生の趣向は非生産的ではなかろうか。


 ふむ。

 知識も非生産的、趣向も非生産的、か。

 一貫しておられる。

 やはり大したものだ。


 と、先生の部屋を過ぎてしまったか。

 考えに耽り過ぎるのは私の悪癖だな。


「さて、師よ。ご病気が癒えたと聞いて弟子は喜んでおります。二回程授業に空白を開けられながらも師の体を案じるいじらしい弟子に何か面白い話は頂けませんか」


「ああ、リディア様。来て下さって有難うございます。面白い話、と言っても直ぐには思いつきませんね」


 ムムム?

 何かがおかしい。狼狽えておられない。

 先生から自信を、感じる? 奇妙だ。

 それに加えて……。


「先生、何がありましたか? 我が家を去ろうと思うような出来事でも?」


 何か粗相をしたであろうか。


「えっ。どうしてそんな質問を?」


「ダン先生に大きな自信を感じます。それに私への興味が最後にお会いした時と比べて大きく薄れたように感じられました」


「そう、ですか。そんな風に感じましたか」


 おや、先生の顔色がまたもや……。


「先生、顔色が先日のように悪くなっております。まだ体の調子が整わないので?」


「どうもそのようで……。態々来て頂いたのに申し訳ないのですが、休ませて頂いてもよろしいでしょうか。下手をしたら吐きそうなのです……」


 と言いつつ寝台に戻ってしまった。

 其処まで体調がお悪いのか。


「お大事になさってください先生。又教えて頂ける日をお待ちしております」


「ああ、リディア様、本当にすみません。うぶっ……」


「いえ。どうぞ気を安らかに。これにて失礼致します」


 少々残念ではあるが、体調不良となれば致し方あるまい。

 ただ気に掛かる事もある。

 先ほども、先日と同じように私の言葉に反応して顔色を急変させたとしか思えない。


 しかし私は特に危害を加えるような発言、例えば「明日には出て行って貰う」などと言ってはいない。

 なれど先生の顔色の変化は特筆すべきものがあった。

 ……理由が全く考え付かぬ。

 ううむ。体調不良でも私の心を乱すとは。

 先生は罪作りなお方だ。




---


 吐き気が、収まらない。


 幾ら目的を見出し、興奮したからと言って夜更かしをした挙句風邪を引くとは我ながら酷い。

 しかも、リディアが直ぐに気づくほど態度を変えていたなんて。

 教えられた瞬間、血の気が引いたのをはっきりと感じた。

 

 可能性に気付いただけで、何も変わっていないのに。

 何よりも秘匿が大切な目的と計画を建てて、即表に出るとは情けない。


 俺は……いや、俺は変わるのだ。

 変わらないといけない。

『俺』だなんて油断した言葉を使うべきでは無いな。

 口に出してる言葉と同じ『私』にするべきだ。

 私は歴史を変えられる。

 但し、今みたいなアホのままでは自身が最大の不安要素だ。


 反省し、自分に必要な変化を考え直そう。

 ただ、今は……あかん、これは吐く。

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