19:怪盗イリヤ

「お馬さん、そっちじゃないです、あっちです」


 か細い手で手綱を握ってイリヤは馬に指示をするも、馬は指示に従わずに縦横無尽に駆ける。


 橋を使わずに小川を飛び、体躯擦れ擦れの裏道を走り、普段なら馬自身が苦手な場所を走り抜ける。それはイリヤのスキルが起こした奇跡。


 イリヤからしてみれば馬は紆余曲折した道を走っているのだが、遺物博物館へは最短の距離で走っていた。


 リヴェンが博物館まで着くのに要した時間よりもニ十分も早くイリヤは辿り着いた。


 辿り着いたのはいいが馬を止める術をイリヤは知らない。


 リヴェンがやっていた馬の脇腹を足で叩くという行為を見よう見真似でしてみるも、それはスピードを上げる扶助である。しかもタイミングがバッチリの扶助で馬のスピードは格段に上がる。


「きゃあああああああ」


 博物館の前には遺物協会の警備兵がいるはずだが、今は誰もおらずに、イリヤは悲鳴を上げながら正面玄関のガラスを割って当初の目的通り博物館に突撃した。


 馬が前脚でガラスを割って突入したので幸いイリヤは怪我をすることはなかった。


 突然の破壊音に動揺した馬は嘶きを上げ上方に前脚を上げて止まった。鐙をつけていない馬なのでイリヤはコロコロと背中から転げ落ちて綺麗に足で着地できた。


 不法な侵入をしたにも関わらず警報が鳴らないことに心拍数を落ち着かせながらイリヤは疑問に思った。


 ぶるると鳴き、首を揺らしてから馬が大人しくなったのを見てイリヤは馬の後脚を撫でた。


 博物館の中は展示品を照らす常夜灯のような光と天井のガラスから差し込む月明かりが、博物館を初めて目にし、憧れを抱いていたイリヤには神秘的に見えた。


 現状の状況が頭の片隅に移動して、興味が頭の中を埋め尽くす。


 一つの展示品の前へと移動する。


 博物館に入館してまず初めに目につく遺物。大聖剣グランべライザー。


 勇者グランベルが使用していた聖遺物。一振りで魔を断ち、一刺しで生を与える剣。魔力で起動するのではなく、勇者の持つ特別なスキルがないと持っていてもただの質の悪い剣である。


 勇者は万物と会話できていたとされていて、この剣と会話をしていたともされている。この剣の声が聞こえるならば貴方も勇者の素質があるのかも。


 そんな説明文が剣と共に書かれていた。


 その展示品にイリヤは目を奪われる。どうしてか、何故か、不思議だが、懐かしいと思えるのであった。初めて見たはずなのに、これは廃品回収隠者としての好奇心が自分の感情を狂わせると思っておいた方がいいと無理やり自分を納得させた。


 イリヤは展示コーナーの順路を歩いて行く。次は勇者が初めて開発した魔遺物である、魔力配分器であった。


 これを見ても懐かしさは感じられなかったが、心の奥がムズ痒くなった。今のイリヤではその感情を明確に言語化するには難しかった。


 自分の心がムズ痒くなっていることが理解できないのが気持ち悪く、イリヤは次の展示品へと歩みを進める。


 次の展示品はケースの中にはなく説明文だけだった。


 進化式魔遺物の一部。成人男性の小指程度の大きさしかないが、これは一部であり、本来は成人男性の掌と同じような大きさである。進化式魔遺物は継続的に魔力を注入することでその形を変え、進化していく。


 この魔遺物の詳細は一切不明なので、現在確認されている進化式魔遺物の詳細を憶測で記載する。進化する度に形状を変えるだけではなく、性能と性質もあがっていく。確認されているだけで三段階進化する。


 博物館の説明なのにあやふやな説明をみてイリヤは肩を落とした。


 進化型魔遺物は話や本でしか知り得なかったので実物を見て感動したかったのに、と、悔しい思いをしながら次の展示品進路へと足を踏み入れた瞬間にイリヤの目の前に影が現れた。


「きゃっ」


「うわっとと」


 前から来た影はイリヤとぶつかる手前で止まり、イリヤは驚いて尻もちをついた。


「大丈夫かい?」


 前から来たのは中世的な声をしたシルクハットを被った男子。


 右目にモノクル、右手にステッキ、裏地が赤の黒マントの下に燕尾服のような服装。指輪ベルトといった装飾がじゃらじゃらと付いている。


 創作の中で美術館や博物館に現れる怪盗のような出で立ちの男子に黒手袋をした手を差し出されるも、リヴェンよりも心を許せない相手だと判断して自分で立ち上がった。


「大丈夫です。貴方は怪盗さんですか?」


「そうだよ。巷を騒がす怪盗さ。君も怪盗かい?」


 柔和な笑顔でイリヤの質問に怪盗は答えた。


「そ、そうです」


「はは、可愛らしい嘘つきさんだ」


 正面のガラス扉を割った音は博物館内に響き渡った。怪盗もその割ったイレギュラーな人物が誰かを見つけたかったので、怪盗行為を途中で中断し、玄関ホールへと帰ってきたのだった。


 玄関ホールに馬がいるのを見つけてイリヤがその人物だと断定する。


 怪盗はまず、疑う。イリヤが軍や騎士団ではないことを。軍服や団服を着用していないあたり任務中の騎士団や軍ではない。


 遺物協会の人間ではないか。そもそも遺物協会の人間ならば馬で侵入せずに普通に侵入する。


 魔術教会の人間ではないか。これが一番あり得る。怪盗が着用している手袋型魔遺物に触れようとしなかった。魔術教会の人間に服装は関係ない貴族から庶民まで誰もが属すことが出来る。遺物を持たないことを信条として。 


 怪盗は盗んで学んだ六派大行の血を使用するも、イリヤは疑念の目で怪盗を見続けるだけだった。それが素面なのか、強者の演技なのかを判別するには怪盗は目を見て判断した。


 イリヤの瞳からは純粋かつ無垢な感情しか読み取れなかった。


 そのせいで余計イリヤが何者で何をしに博物館に来たのか理解し難くなった。考えている時間も余裕も無くなってくる頃なので隙を見せずに怪盗は行動を起こす。


「では小さき同業者さん僕は失礼するよ」


「あ、待ってください」


 イリヤの静止の声を聞かずに馬へ駆けて飛び乗る。


「え?」


 怪盗は面くらった。馬に飛び乗った矢先にイリヤが真上から落ちてきて、自分の前に乗馬したのだ。


「は、犯罪は駄目ですよ」


 涙目で道理を諭すイリヤを見て、驚異的な身体能力で自分の頭上を越えて乗馬したと考える怪盗。


 しかし真相は怪盗を止める為に怪盗のマントを握ったイリヤ。


 怪盗のマントには魔力が練られており、害意のある魔力から体を守る防御機能がある。イリヤの手には魔族であったリヴェンの魔力が残っており、防御機能が働き、イリヤは頭上へと吹き飛ばされ、奇跡的に馬の上に着地した。


「お互い怪盗なら耳が痛い言葉だね」


「わ、私は・・・お兄ちゃんを待つ怪盗少女です」


 恥ずかしそうに言うイリヤを見て、怪盗は目を丸くさせてから、破顔してしまう。


 敵か味方、恐らくは敵になりうる少女との認識だったが、こんなにも無垢で純粋だと疑念も晴れてしまった。


「君はここで兄を待つのかい?」


「い、いえ、私は貴方を止めます。博物館から遺物を盗む行為を目の当たりにして黙っていられません」


「そう。なら、こうするしかないね」


 正義感のある愛らしい少女を前に乗せて怪盗は博物館から逃走を図る。


「どうやって止めるのかな?」


 馬を走らせながら怪盗はイリヤに問う。


「お、お兄ちゃんに止めてもらいます」


「ふふふ、お兄ちゃんを信頼しているようだね」


「ば、馬鹿にしていますね」


「していないよ。僕は紳士だからね」


 怪盗のモノクル型魔遺物に前方から人が走ってくることを捕捉した。


 男、二十代?フード付きローブを着用している身長百八十程度。わかる範囲はここまでだが、男の走る速度は人間とは違った。


 遺物人間か魔術を使っている?と怪盗が頭の中でロジックを展開しようとした瞬間に全身から冷や汗が湧き出る程の魔力が辺り一帯を覆いつくした。


 目の前の男は突然消えて、轟音と共に屋敷の外壁へと埋まっていた。


 怪盗とイリヤはリヴェンを埋めた者を見て固まった。野性の本能を持つ馬は指示を待たずに、その者とは反対方向へと逃げ出す。


 怪盗の身体も逃げろと指示していたが、イリヤが逡巡せずに馬から飛び降りた。


 馬に乗りなれていないイリヤは顔面から着地するのを怪盗は理解してしまい、身体の意志よりも己の意志が勝ち、イリヤが顔面着地をする前に馬から降りてイリヤを受け止めた。


 怪盗は言葉を詰まらせたままイリヤを側に置いて様子を伺う。


 白い毛並みが手足から生え揃い、突き出た鼻に、人の頭を一噛みで噛み砕けそうな裂けた口に尖がった牙。体躯は人を遥かに超え、推定二百七十程。


 それが王国騎士団の制服を着用し、上級階級が持てる個別の魔遺物を手に持っている。


 その出力は人が至る境地を超えていると錯覚する程の大きさ。


 目の前にいるのは歴史の教科書でしか見る事のない幻の人種、狼型の獣人であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る