ははーん、さては罠だなコレ?

小宮地千々

今そこらへんにあるっぽい危機

 ――ネトゲの相方が可愛い場合、その中身はネカマ。

 それはある者にとっては純粋な経験則であり、またある者にとっては一種の自己防衛であり、また別の者にとっては信仰にも似た思いだろう。

 北条ほうじょう祥太郎しょうたろうもそう固く信じるうちの一人だ。

 期待は、いつだって裏切られる。

 大した浮き沈みのない平凡な人生を歩んで大学生となった祥太郎だが、それでも彼女いない歴=年齢のまま成人を迎えれば少々の卑屈さも出てくる。

 だからMMORPGで仲良くなったキャラクターの「中の人」が、キャラとは容姿どころか性別や年齢さえかけ離れた存在であろうと、それはむしろ当然なのだと自分に強く言い聞かせてきたのだが――。

「ショウさん、次なに頼みます?」

「おまかせで」

「えー、それ一番困るやつじゃん」

 舞島まいしまなつめ

 しょうがないなあ、と笑う「マイ相方」の中の人は美人と形容するしかない見た目をしていたのだ。

 髪はサイドが頬にかかった前下がりのボブで、華奢な体を包むのはゆったり目のパーカー、デニムのショートパンツに厚手のタイツという活動的な中にも可愛さが感じられる、童貞を殺さない優しいチョイスだ

 背は百六十センチくらいか、身長のわりには童顔で年は一つ下らしいが高校生くらいに見えなくもない。

 汚しはしないかと心配になる萌え袖の手で、空いた皿をてきぱきと片付ける姿には小動物的な雰囲気がある。

 つまりは、おかしいのだ。

 相手がネカマだと信じていたからこそ、顔も本名も知らぬ相手からの誘いにホイホイ乗って今日こうして出かけてきたのである。

 居酒屋チェーンでの二人きりのオフ会は女性であれば大変な不用心だろうが、祥太郎はインドア派といっても平均的な体格の大学生男子だ。

 たとえ相手がむくつけきおっさんだろうと歴戦のチャラ男だろうと問題にはなるまい――そも相手もそんな気を起こさないだろうが――と、そんな覚悟でのぞんだのに出てきたのがこれ美人だ。

 ――こんなことは許されない。

 憤りにも似た思いが祥太郎を浮かれさせない、何かが危険を訴えかけている、現実とはこんな優しいものではないはずだ。

 その漠然とした不安をなんとか言語化しようと祥太郎は頭を必死に働かせる。

 アルコールに強いわけでもないのに「とりあえず生で」で、小さな笑いを取りに行った浮かれっぷりが少々恨めしく思えた。

「あ、唐揚げきた、レモンかけていいです?」

「ノーサンキュー」

 もしや十八歳未満なのだろうか?

 それは地味だが大変に危険な可能性のひとつだ。

 だが入店時に身分証の提示は求められていた。仮にそれを知人のもので誤魔化していたとしても、この後でコト・・に及ばなければ祥太郎が罪に問われる事態にはならないだろう。

「焼き鳥串から外しておきますねー」

「これは職人激おこ案件」

 では美人局?

 しかし祥太郎が学生であることはだいぶ前に伝えている。

 金銭が目的なら社会人を狙うだろうし、マルチや特殊詐欺のスカウトなんかにしては手口が迂遠すぎる。

 割のいい儲け話がある、なんて一言で釣れる金に困った頭の弱い学生ならはいて捨てるほどいるはずだ。

 そもそもそこまでいくと被害妄想じみた考えだろう。

「あれ、このたこ焼きマヨネーズかかってない」

「もうそれわざとでしょ、舞島さん」

 ならドッキリの類だろうか?

 例えば実は動画配信者か何かで、オフパコ狙いでやってきた馬鹿なオタクを笑う企画とか。

 それはなるほどありえない話ではないが、同意なしの撮影とかは訴えれば勝てそうな気がしないでもない、そんなリスクを冒す価値があるのだろうか?

 まぁ世の中には炎上上等で信じられない愚行をする者もいるが、問題は「マイ」がそういうことをするかという点だ。

「もう、棗で良いって言ったのに。ショウさん、なんか上の空じゃない?」

 こてんと首を傾げた拍子に明るい茶色の髪がこぼれる。

 そこはかとなく計算を感じる角度だった。

「あざとい」

「怒るよー?」

「サーセンした」

 わざとらしくとがらせた口にあざとさ重点で着道楽の相方の姿がダブって見えた。

 気安く、軽口を叩きながらも礼を失する線は越えない――そんなマイに抱いていたイメージを実際の舞島棗もまた覆す人物ではない。

 祥太郎はモテざる人生を送ってきたが、それでも矜持はある。

 ネトゲの相方が思うてたんと違う外見だったからと言ってなにか企んでいるのではと邪推するなど言語道断だろう。

「ごめん、ちょっとトイレいってくるわ」

「あ、うん……いってらっしゃい」

 己を恥じた祥太郎は頭を冷やすべく一時席を立つことにした。

 ――どこか沈んだ棗の声音に気づくこともなく。


「ふぃぃ~~……」

 間を取るための中座だったが、少々飲み過ぎていたらしく長い用足しを終えた祥太郎が個室を出ると手洗いスペースには次の利用者が待っていた。

「あ、サーセ……」

 反射的に頭を下げた拍子にタイツに包まれた脚が見え、おやと視線をあげるとそこに立っていたのは棗だった。

「舞島さ」

「棗」

 なんで? と問おうとした出鼻をくじかれる。

「ショウさん、今日誘ったの、迷惑だった?」

「――いや、そんなことないけど。じゃなかったら来ないし」

 続けられた問いに洗っていない手をどうしたものかと祥太郎は手を上下させた。

 トイレの直後に美人に声をかけられるという状況はどうに落ち着かない。

「じゃあ……やっぱり、マイじゃないと可愛いって言ってもらえないのかな」

「へ?」

 そうして目を伏せながらの言葉に「まつげ長いなこの人」と思いつつ完全に場の流れを持って行かれた。

「だっていつもは衣装弄るたびに可愛いって言ってくれるじゃん」

「あぁ、そういう――」

 ゲーム内の話かと納得しつつそれは単なる事実だしな、と思った祥太郎はあらためて棗の表情を見てヒエっと息を飲んだ。

「ほとんど挨拶代わりみたいに言ってくれるでしょ? だからそれが聞きたくて装備のコーデ考えるようになったのに、今日は褒めてくれないの?」

 漫画なら目のハイライトが消えてそうな力ない瞳に、泣き笑いのような爆発寸前の感情が透けて見える表情、そうして低く硬い声。

 ――ヤンデレだコレ!

 これはいけないと本能が危険を訴えるも、しかし非モテ男子にはチャットでならいざ知らず現実で他人の容姿を褒める言葉はすぐには出てこない。

 それがたとえ単なる事実であっても、いやそうであればこそ美人を褒めるのはさらにハードルが高かった。

「ショウさんに可愛いって言われるのがすごく嬉しくて、リアルでも服装とか体型とか、姿勢にも気をつけるようになったんだ」

「う、うん」

 そうなんだ、すごくうれしいよところで今日のショートパンツはタイツとあわせて絶妙なギリギリズムでso sexyだねと気軽に言えたらどれほど良かっただろう。

「だから今日会えるって決まったときは本当に嬉しくて、でもあんまり浮かれた格好だと迷惑かもしれないし、服どうしようってすっごく悩んで」

 だが実際には祥太郎がまごついてる間に棗は自身の言葉でヒートアップしていく。

「分かってる、ちゃんと分かってるよ。ゲームとリアルは別だし、やり取り考えればショウさんが別にオフパコ目当てとかで会ってくれたんじゃないのくらい」

 いえ実はワンチャン期待してたし、御尊顔拝見したときには思わず心の中でガッツポ決めてましたが。

 あとオフパコとか言うのは恥ずかしながら興奮するので止めていただきたい。

 そんな心中の混乱は次の瞬間に吹っ飛んで行った。

「でもさあ……っ、一言くらい『棗』だって褒めてもらいたかっ」

「マイは可愛いなぁ! あ、いや、棗さんも可愛い!」

 泣き笑いの表情から「笑い」が消え、瞳が潤み、声が震えているとなれば非モテの童貞である祥太郎にも勇気は湧いてくる。

「今日の服装なんかも、気の置けない女友達感醸し出しつつもばっちり可愛いし、萌え袖なんかのあざとさもあってネタ的にもアリだよね!」

 そうして一度走りはじめればあとは立て板に水だった。

 常日頃着道楽の相方を評論家よろしく妄想交じりの寸評でほめたたえているのは伊達ではないのだ。

「ショーパンなんて割ときわどい丈だけどタイツで上手いこと中和してるし? アクティブさとキュートさとセクシーさの欲張りセットだよね」

「――ふふ、ショウさん、それ自分で何言ってるか分かってる……?」

 目尻を拭いながら棗が笑ったのに「ヨシ!」と祥太郎は内心で汗をぬぐう。

 外見を褒めるのも一苦労だが、泣いてるのを慰めるのは至難の業だ。その事態を避けられて――いや、そうではない。

「分かってる分かってる、ちゃんと棗さんの可愛さ伝わってるから」

 ――泣かせたくはないもんなあ。

 棗が可愛いと言われるのが嬉しかったというのなら、祥太郎だって自分の言葉で喜んでくれることが嬉しかったのだ。

 ネトゲの相方というのは、それくらい大事に思う存在なのだから。

「そっか、私も可愛いと思ってくれるんだね」

「そりゃまぁ、当然でしょ」

 そうして一度口にしてしまえばあとは楽なものだった。

 大事な相手に思っている通りのことを伝えればいいのだから。

「当然なんだ、嬉しいなあ」

「じゃあ棗さんそろそろさ」

「棗」

「――棗、あのほら、ここ男性用トイレだしさ。そろそろ出ないと」

「うん、分かってる。何か、問題ある?」

「へ?」

 ぞわり、と今日一番のイヤな気配に硬直した祥太郎の、まだ洗っていない手に棗の指が絡む。

 大きくて硬い掌に導かれて触れた喉には硬い感触、そうしてパーカーの下の細いけれどもがっしりとした肩。

「…………」

「何か、問題、ある?」

 ――なるほど、なるほどね。

 驚きで言葉を失いながらも祥太郎は妙な納得と安心を覚えていた。

 顔の輪郭を隠す髪型に体型の分からないゆったり目の服、手の甲を隠すための萌え袖、地肌を見せない厚手のタイツ――思い返せばヒントは無数にあったのだ。

 ――こんなに可愛い子が女の子なはずないもんなあ。


 その日、北条祥太郎は新しい扉を開いた。

 果たしてそれが幸せなのか不幸なのかは、当人にさえ分からない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

ははーん、さては罠だなコレ? 小宮地千々 @chiji-Komiyaji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ