第7話 最悪な先輩③
巴戸場に恐喝された3万円は、元手の少ない霞にとって大きな出費であった。
のちの高校生活をおもったらわざわざ上級生に刃向かう理由も道理もないので、霞はあの時大人しくその場で渡した。
もちろん、黙って生活資金を渡す霞ではなかった。
巴戸場が自室へ戻っていくところを見計らって、霞は外にでる支度を済ませ巴戸場の部屋の前でポケットに手を突っ込んだ。
さりげなく、そして挑発を込めて。
そのまま木目調の階段を降り、寮を出る頃、部屋の方で大きな声が聞こえたが霞は気にも留めなかった。
今頃気づいたのだろう、3万円が手元にないことに。
ポケットの中に確かな感触として存在する3枚の一万円札を大事に握って、霞は寮を出ていった。
春になったとはいえ、夜風はまだそれなりに冷たく肌を通り抜けていく。有咲霞はスカジャンを着直しながら夜道を進んでいく。それでも首筋から入ってくる寒風を完全に遮ることはできなかった。
電灯に照らされたアスファルトは広く等間隔で設置されている。夜道としてはおよそ安全とは言い難い闇の空間のなかを縫うように歩いていく。
その闇夜に紛れて数匹の鳩が電灯に止まっては移動し、止まっては移動してを繰り返していた。
有咲霞の歩みに合わせて。
コンビニを出て、先ほど買った赤と青の特徴的なエナドリを取り出す。微炭酸によって半覚醒状態だった目もはっきりとしてきた。
それによってクリアになってきた思考とともに、霞は闇の中から刺してくるようないくつかの視線を感じていた。
コンビニの明かりに反射されて紅く光る瞳、先ほどから付き纏っていた鳩たち。こちらの出方を伺うかのような近づき方だった。数はそれほど多くはないがこうしてつかず離れずを貫き通して見られていて気分の良いものではない。
おそらくあの鳩は、さっきの巴戸場先輩の魔なのだろう。
確信はないがこれまでのことから推察できた。
寮を出たときに真っ先に目に映ったのは正面の電灯に2匹。
先程の言動からして普段からああして強請りをしてこちらの動揺を誘うのは慣れているのだろう。今頃はいつの間にか無くなった3万円に気づいているはずなのに、あの何もかもがチグハグななりをした先輩は今なお追いかけてくる様子はない。代わりに付いてくるのは2匹の鳩のみ。
あの先輩はこちらが魔に刺されていることを知っていた。初めて会うのにどうやって知ったのか。
追いかけてこないことを考えれば、考えられる可能性は1つ。あの鳩たちが見ていたから。あの鳩たちを通して私の魔であるリスを認識したのだろう。魔を認識できるのは魔に刺された者だけだから。そうとしか考えられない。
攻撃してくる様子はない。ただひたすらこちらを見つめているだけ。霞には何もしてこないことに不快感を覚えた。
荒れに荒れていた中学時代を過ごしていた霞にとって、闘争とは相手の逆上をいかに誘うかでありそれを打ち負かすことによって自分という存在を意識する快感を覚えていた。ゆえに霞は自分が襲われるのをただ待つことよりもこちらから仕掛ける電撃戦を得意としていた。そのほうが対処が楽だからだ。
だからこそ、こうしてもう一方の視線のことを無視していたのだが。
「こんな夜中に買い物なんてよく来るな、最近はこの辺りも物騒だってのに」
後ろのコンビニの方から声をかけられる。声のした方へ振り返ると、絵に描いたような腰パン姿の不良たち10人ほどがぞろぞろこちらに無遠慮に歩み寄ってくる。鳩たちとは違ってこちらは幾分かわかりやすい視線をしていたので無視をしていたが、そうも言ってられる状況ではなくなってしまった。
集団のリーダーらしき男がこちらを心配する声色をしているが、いつの間にか周りを囲んでおり、逃げ場など用意する気は全くないという意思表示までしてきている。
弱者である、そう告げられているようだった。
──ああ、よかった。これなら思い切りやっても心が痛まない。
周りの不良どもの手持ちを確認する。
酒、チュウーハイ、ポテチ、スルメいか、ティッシュ、ライター、タバコ。
霞は目を閉じる。無防備になったのを見計らって、不良のリーダーが霞の身体に触れようと手を伸ばす。
瞬間、ライターの点火音が夜のコンビニ前で鳴り響く。
女の口にはタバコが咥えられている。悠然と、吸い慣れているかのように紫煙を上らせる女を見て男どもは狼狽えた。さっきまではそんなものを持っている様子はなかった。そう目が訴えている。
霞はその瞬間を逃すことなく、前にいる不良Aの頭を左手で引き寄せ、額に目掛けてシガーキスをお見舞いする。
熱さに耐えかねた不良Aはその場でのたうち回る。仲間を傷つけられたことを認識したのは不良のリーダーのみでその頃には他の仲間はすでに女のシガーキスの餌食と成り果てていた。
仲間を連れて逃げるリーダー、それを横目で見送る霞。闇夜に紛れる巴戸場の寄越した『魔』はただじっと霞を見つめているだけ。
夜のコンビニはまた静寂を取り戻したのだった。
──全然だめ、楽しくない。
本当はこんなことをしている場合ではない、わかっていても中学時代からの習慣は抜けるものではなかった。
返り討ちにされた保健室でのことを思い出しては、自己嫌悪に陥る。そんな有咲霞の苦悩を嘲笑う視線が不良が逃げてきた方角からしてきた。
「お前が有咲花の妹か」
姉の花の名を口にしてきた少女は霞にとって1番遠くて近い存在になることは、この時の霞はまだ知らない。
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