第5話 最悪な先輩①
廊下の灯りに照らされ徐々に目の前にいる相手の顔を把握してきた。
垂れ目気味な瞳で柔和な印象を受けるも、黒髪に白のメッシュを入れており、耳たぶには銀で埋め尽くされた様な数のピアスが目を惹いた。それでいて先程その少女から発せられたバリトンボイス。低身長な見た目は女性でありながら男性と聞き間違う声、そのチグハグな印象は掴み所のなさを感じられた。
上級生だと、有咲霞はすぐさま感じ取った。
黒のパーカーから覗いている赤と緑のチェック柄スカート。黒パーカーの右胸にその校章のピンバッジがつけられている。それに加えて学校側が手配しているこの寮に出入りしているからである。
突然の来訪者に声が詰まっていると、その来訪者はこちらの戸惑いを気にしない様子で語りかけてくる。
「あたし
軽薄さを感じる言動に加えおよそ女子の出す声とは思えない低い声音、やはり先程のバリトンボイスは目の前の人物で間違いなかった。
「こ、こんばんは」聞きたいことはいろいろあったが、巴戸場という上級生の勢いにのまれて思わずそっけない反応になってしまった。それでも巴戸場はお構いなしに言葉を紡ぐ。
「こんばんは〜あれ?これからお出かけ?こんな時間から出かけるなんてさ、夜は危ないよ」
「ちょっと買い足しにコンビニまで」嘘である。霞はコンビニに用はない。
「ふ〜ん、でもコンビニまでって結構遠くない?ここから近いコンビニでも30分はかかるよね」
「走ればすぐなので」
「いやでも心配だな〜最近はここら辺も物騒になってるらしいし夜の散歩はおすすめしないよ」
──だから何ですか。
「心配してくれてありがとうございます、夜の散歩は慣れているので」
霞が巴戸場の脇を通ろうとした時、突然目の前を遮られた。そのか細い腕は巴戸場が玄関の外枠に寄りかかったものだった。
ご丁寧に足まで玄関の外枠に寄りかけている。
「それでも心配だなあたしは、だって有咲ちゃん手に物騒なもの持ってるしさ」
言われて数秒、有咲は巴戸場の言っていることがありえないものであることに思い至る。
──私は、まだ名前を言っていない。
初対面の人間に紹介していない名前を言われる感覚は冷え冷えとしたものである。得体の知れない獣に狙われている恐怖。相手は自分より背が低い、その差を感じさせないほど言葉が心臓まで迫ってきていて、いつでもその心臓を握りつぶせるという余裕が、その目尻の下がった瞳から発しているように感じられた。自分が食われるという心配を微塵も感じていないかのようだった。
「手に持ってるの、それメリケンサックでしょ」
霞は確信した。目の前の巴戸場は魔人間、こちら側の人間だ。
どういう風にこちらの行動を把握したのか、その方法が気になるが
「だとしたら、どうなんです」と、精一杯の威勢を保つ。今はそうするだけで精一杯だった。
巴戸場は霞を一瞥したのち「どうもしないけど」と言い放つ。
それまで遮っていた腕と脚をどけて仰々しく道を譲った。掴みどころのなさに再び惑わされそうになるもそれはこの巴戸場の思惑通りになるのではと思い至り、すぐさまその場を後にする霞。
「ああ〜そうだそうだ、たしかこの寮って門限があるんだったっけ〜、確か〜夜の10時半だったかな〜」
嘘である。寮には決まった門限はない。今巴戸場が思いついた偽りである。しかし寮に入ったばかりの霞はそのことを知らない。
「うちってそこ破ったら後がきびしいからな〜でもどうしても夜風に当たりたいんなら止める道理はないんだよな〜どうしたものか」
「何が言いたいんです?」
振り向くや否や、巴戸場は今日1番の笑顔を見せて
「口止め料をいただきたいな〜できれば3万円」
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