第4話 止まらぬ思い
有咲霞が目覚めた時には、辺りはすっかり陽が落ちていた。
目覚めた場所は学生寮の一室。入学前に霞に割り当てられた部屋であった。
木目調のフローリングに同じ木目調で揃えた勉強机とベッドに囲まれた部屋で、プライベートは確保されているが、1人の生活範囲としてはやや手狭な四畳間の空間で構成されている。家から持ってきた荷物も段ボール詰めのまま部屋の隅っこにまとめられている。ここに越してきたままの状態にしているので非常に簡素な印象を与える。その段ボールの中身が必要最低限の着替えと日用品だけなので、出したところで劇的な変化は無いだろう。
──どうして。
有咲の心の中に困惑が拡がる。この日のために鍛えてきた技が全く意味をなしていなかったこと。今まで気を失っていて夜がふけたこの真夜中まで呑気に横になっていたこと。
何より、今こうして自分が生きていることに、有咲霞は酷く困惑していた。
それまでの抵抗から打って変わってあの速さ。視界から消えたと思った時にはすでにこちらの意識は飛んでいた。
手加減。自分は姉を殺した人間に情けをかけられた。
それがたまらなく悔しく、やるせなかった。降りしきる雨のなかに横たわる姉、花の死顔を見て以来ずっと望んでいた。自分が断罪される日を。
霞は、かなりの占有率を誇るウッドラックのベッドから起き上がる。カーテンを閉めていなかったので月明かりがかろうじて部屋に広がっていたがそれでも暗順応するまでにそれなりの時間を要した。暗がりから部屋のスイッチを探してドアの近くを探る。
LEDの均一な光が部屋一面を照らされる。無機質な一室が一気に広がり、眩しさに一瞬目が眩んだ。すると机の上に1枚のが置かれていることに気がつく。
近づくとラップに包まれたお粥が1膳と、書き置きが1枚、達磨の形をしたピンクの小物置きとともに添えられていた。
「調子が悪いとのことでしたので喉に通りやすいお粥を用意しておきました。終わったら広間の方へ片付けをしておいてくださいね」
流麗な文筆で綴られた書き置きは寮母さんのものだと見てとれた。書き置きからは一切の打算のない優しさが溢れ出していた。本当にこちらの体を心配してくれたことが分かるからだ。
本当は勝手に突っ込んで返り討ちにあっただけであるのに。
ラップを剥がし、いただきますと小声で手を合わせる。プラスチック製のスプーンでお粥を掬いながら今日のことを振り返る。
保健室に入る直前、「空いてる」と答えてきた。あの人はわたしが来ることをわかっていた。
どうしてわかっていた?
考えられるのは、わたしの魔に気づいたから。
中高の学校には《青少年教育指導委員会》なる組織が在籍している。通称『青教会』の人間は青少年の模範たるべし。そうした信念、教えに基づいている組織ゆえに魔の存在を認識できない、そう聞いていた。けど、あの人は違った。間違いなくこちらの魔を認識しているようだった。
『青教会』は魔人間となった子を取り締まる組織。わたしが魔人間であることはあの人にとって明白。それなのに執行しないあの人はなんなんだろう。
霞の中でまとわりつく不快な疑問。喉につっかえた小骨のような居心地の悪さ。そして自分の全力が全くの無力であることの絶望感に、お粥を運ぶスプーンの手が止まる。
今の自分には、桐ヶ谷透華という女性に殺される資格は無い、そう告げられているようで残りのお粥を食べる気も失せてしまった。
──それなら。
霞は段ボールの中を一心不乱に漁る。もともと少ない荷物だったのでそこまで手間取る時間は掛からなかったが、1着のスカジャンを取り出すまで霞の中では少しの探す手間ですら無駄な時間に思えた。
──センセーはわたしを殺してくれる存在である。それに疑いはない。それならわたしがセンセーにとって殺すに値する人間になれば……。
心の中で、桐ヶ谷透華に無惨に殺される自分を思い描く有咲霞。その横に自分の存在を責めるように見つめる有咲花の死体。
あの日を境に、有咲霞は自分を赦すことは罪だと思い込んでいる。自分が引き起こした惨劇から目を逸らすことができずにいた。
黒地に東洋の龍の意匠が施されたスカジャンを羽織り、扉を開けた。
人が立っていた。
逆光で顔が暗くて見えなかったこともあり、思わずヒッと声が出る霞。
素早くドアを閉めると、向こうも負けじと素早くドアに足を挟んできた。
「驚かせてごめんねーちょっとお話しさせてもらえるかな?」
霞とほぼ同じ、しかし若干霞より背の低い女性が夜がふける時間帯には少しうるさめのバリトンボイスで気さくな様子で語りかけてきた。
のちに霞は、これがはた迷惑な先輩たちとの出会いだったと語る。
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