第3話 邂逅③
『わたしを殺して』
一目でわかる新品のブレザーを着ながら殺してくれと懇願する少女は、しかし刃物を向けて襲い掛かろうとする。二つの矛盾する行為の真意を、桐ヶ谷は計りかねていた。
向けられた殺意の先、桐ヶ谷透華はカッターナイフを突きつけてこちらに向かってくる少女を冷静に見据えている。
迷いなくこちらに向かってくるが激情に駆られている気配を感じない。少女の瞳はまっすぐこちらに向かっている。手にしているナイフもしっかりと狙いが定まっている。
だからこそ、その狙いがどこに向かっているかを予測することができた。それが胸を突き刺そうとしていると。
ナイフを持った右手を首尾よくはたき落としにかかる桐ヶ谷。しかしはたき落とすことは叶わなかった。
有咲ははたき落とされる寸前、身を引いてフェイントを仕掛けてきたからだ。そのまま軽くカッターナイフを投げ、すぐさまフォアハンドだった持ち手を逆手持ちへと変えた。
──慣れてるな。
桐ヶ谷の行動をあらかじめ予測していたのか。いや、相手はこちらが仕掛けるタイミングに合わせて徒手格闘に最適な持ち方に変えてきた。こちらの目の動きでそれをやってのけたのだとしたら、
「たいした反射神経だな」
言葉を投げかけるが、反応はない。ただこちらに向かって微笑みかけてくるだけだった。その微笑みが桐ヶ谷の心をさらにざわつかせた。
──その人を小馬鹿にしたような顔、ますます花のやつに似てんなぁ。
目のまえの少女が10年前この手で殺めた親友の姿に重なって見えること、それが漠然とした怒りとなって桐ヶ谷のうちに充満していくのを感じているのだった。
再び切りかかってくる少女。
しかし今度はエモノごと両手をポケットに突っ込んで向かってくる。さっきはポケットからカッターナイフを抜き出してきた。相手は魔憑き。このタイミングで再びしまう事といったら目的は絞られてくる。
攪乱。すなわちどちらからナイフが飛び出すかだ。
桐ヶ谷は至って冷静だった。怒りこそ溢れかえっているが、ことこうした荒事には仕事柄として慣れている身である。どちらできても利き手の方できても対処できる術は心得ている。
金属の擦れる音がポケット越しに聞こえてきた。
──左!
少女がポケットから手を出す。
拳にナイフではない別の物体が夕陽に照らされる。その反射光で一瞬目が眩み判断が遅れるが、すぐにその正体を見極めた。
メリケンサックだ。
五指にはめられた金属の塊。それが少女の拳を武装されていた。
ゴスッと鈍い音が保健室内に響く。メリケンサックを纏った少女の華奢な拳は桐ヶ谷にヒットした。しかしそれは桐ヶ谷の怒りを大いに買う結果となってしまった。
「舐めてんのか」
その声は小さかったが、有咲の耳には大型肉食獣の唸り声に聞こえた。それほどどすの利いた声をしていた。
「まずおまえは目上に対する礼儀を知らなさすぎる。部屋に入ってくるときはノックしろ。失礼しますと言え。名前を言え。要件を言え。
いやそんなことはもはやどうでもいい。
いまの攻撃はなんだ。途中までは良かった。どっちのポケットからはナイフを取り出すかで思考誘導してメリケンサック、あれはいいひっかけだった。素直に感心した。そのあとはなんなんだ。急所を狙うでもない、よりにもよってこっちの拳を潰すことの理由が理解できない。何がしたいんだお前」
捲し立てるように唸りながら骨が砕かれて痙攣している最中の右手を振りかざす。咄嗟に防御にとったてに当ててきたことをきっかけに怒りはダム決壊を起こしたように溢れ出してきた。
「最初から言ってますよ、わたしは」か細い声で返事を返す少女。
「わたしを殺して欲しいっていう要件はすでに伝えています」他にも言いたげな顔をしていたが、少女はキッパリと答えた。
「あっそ。でお前はどこの誰なんだ」
「今日この高校に入学した、有咲霞。あなたの殺した、有咲花の、妹です」
最後の言葉を聞いて、桐ヶ谷透華は「そうか」と一言呟くと
「じゃあお前はあたしと初対面ってわけだな」
「え」
有咲が面食らった顔をしていると、次の瞬間目の前にいた桐ヶ谷は姿を消していた。
そして、有咲は意識が遠のいていくのを感じた。背後に回っていた桐ヶ谷は倒れそうになった有咲を抱える。
──花、お前の妹、相当参ってたぞ。
もういない親友に向かってそう心に語りかける桐ヶ谷。
親友を手にかけて以来、ずっと残っていたシコリのようなものが桐ヶ谷の中に侵食し、広がっていった。
その罪の重さに耐えかねて自決をしようとした時もあった。しかし周りがをそれを許さなかった。
死にたいと思ってもそれを許されない環境にいた最中、ようやくあった有咲の妹。彼女は桐ヶ谷を見ている。桐ヶ谷もそれを知っている。
姉妹の片割れである花の復讐のためにやってきた。これで救われる。そう思っていた。
──もう死にたいなんて思わない。思ってたまるか。お前の約束、今度は守ってみせる。
保健室を出ていく白衣の金髪教師は、決意を胸に有咲霞を抱えたまま学校を後にした。
陽は沈み、夜が近づく黄昏時の事であった。
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