第18話 王国『最強』の剣士

 ガッ ガガッ

「っく――!」

 何度も切り結び、訓練用の木剣が耳障りな音を立てる。

「ふ――――――」

 目の前の薄青が一瞬影を落とす。咄嗟に、勘だけで下段に剣を差し出すと、ガィン!と耳障りな音を立てた。その音で、何とか相手の猛攻を防いだことを知る。

 完全な死角から、何の前触れもなく襲って来た強烈な一撃。防げたのは奇跡だ。たまたま、勘が当たった。剣を握る手がしびれ、焦って距離を置こうと飛びのくが、赤銅色の髪はしつこく間合いを詰めて来る。

(ふっ…ざ、けんなよっ…!)

「くそっ…!」

 心の中と同時に毒づき、感覚がないながらに必死に剣を握りなおす。一瞬たりとも息を吐く暇がなく、どんどんと上がっていく息とは裏腹に、背中にはぞっとするほど冷たい汗が伝っていく。

 いつも、穏やかな笑みを浮かべている薄青の瞳は、氷のように凍てついて、獲物の隙を狙っている。そのくせ、張り付けたように口元には笑顔が浮かんでいるから恐怖が倍増するのだ。――きっと、彼は無自覚なのだろう。剣を振るうときだけ見せる、爛々とした笑み。人間らしさのすべてを払拭させて生きる彼が、一番『生き物らしく』なる唯一の瞬間。

 年に一度の、兵団内で行われるお祭り騒ぎ。全兵士が参加しての勝ち抜き戦だ。武器は訓練用の木剣のみだが、それ以外は基本的に何をしてもいい。相手を気絶させるか、「参った」と言わせれば勝ちだ。

(師匠も見てるんだ…!今日こそ絶対、勝つ!)

「っらぁ!!!」

 体格差がある分、力押しはこちらに分がある。上背があることを利用し、上段から体重を乗せて切りかかると、予想通りリツィードはしっかりと両手で剣を支えてきちんと切り結ぶ。

(っとに…お手本みたいな剣術だなっ…)

 リツィードの剣に、奇抜な技などないことは、長い付き合いのカルヴァンにはわかりきっていた。どこまでも正攻法で、どこまでも基本に忠実。――ただ、その練度が、常人の域からかけ離れているだけだ。

 じりっ…

 受け流されそうになるのを巧みに重心移動して均衡状態を保つ。じりじりと、力比べが続き――

 ガッ

「――!?」

 思い切りブーツで相手のつま先を踏み抜くと、リツィードの薄青の瞳が驚きに揺れた。

(隙あり――!)

 ルールは「何でもあり」だ。勝利を確信し、隙が生まれた脇腹に向けて、全力で剣を振り抜く。

「――――――――――――」

 ざわっ――

 絶対によけられない、タイミング。勝利を確信したはずのその瞬間に、妙な胸騒ぎが奔る。

 それはきっと――一瞬揺れたはずの薄青の瞳が、再び凍えるような炎を宿したからだろう。

 ガンッ

「な――」

「はっ!!」

 体勢が崩れたところから、無理矢理間合いをさらに詰めたかと思うと、リツィードはカルヴァンが持つ剣の刃ではなく、柄の部分を全力で己の剣でぶっ叩いた。

 両手で握る柄の、あるかないかわからないほどの、わずかな隙間。命のやり取りをしている最中に、針の穴を通すよりも難しいそんな個所を、狙って叩けるものではない。

 しかし、それをやってのけるのが――芸術と呼ばれる域まで剣を極めた、天才の所業だった。

 一瞬で握力がすべて持っていかれた――と思った時には、目の前に木剣が迫っていた――――


 目覚めると、見覚えのある天井。――兵舎の中にある、自室だ。

「――…あ。気づいたか?」

「―――――――――――――――……」

 いつも通りの穏やかな声に、思い切り顔をしかめる。返事をしなかったのは、せめてもの意地に近い何かだった。

「今、何時だ」

「もう夜だよ。夕飯、取っといてやったぞ」

「ふん――…」

 起き上がると、こめかみのあたりがずきずきと痛みを発する。手をやると、包帯が巻かれていることが分かった。

「くそ…思いっきりぶっ叩きやがって…」

「柄の話?こめかみの話?」

「両方に決まってるだろう、馬鹿」

「柄に関しては、指をつぶしたわけでもないし、文句言われる筋合いないだろ」

 やれやれ、と肩をすくめる親友に、苦虫を嚙み潰したような表情を返してやる。本人は何とも思っていないのだろうが、あの神業を、狙ってやったのだとさらりと言ってのけたのと同じだ。これで、いったいどんな顔を返すのが正解だというのか。

「師匠は、何て言ってた?」

「親父?――あぁ…負けはしたけど、よくやった、って言ってたぞ。成長してるなって」

「負けてるのにそういわれてもな…」

 深く嘆息する。苦い気持ちを一緒に吐き出したいのに、全く逃げていかない。

「お前には?」

「俺?…あー…馬鹿の一つ覚えか、って怒られた」

「は?」

「火の魔法使い相手に距離を詰めるのは正解だけど、それ以外の戦法ないのかって。戦場で初対面の魔法使い相手だと、属性わからないんだから痛い目見ることもあるぞって」

「はぁ…さすが、師匠だな。ぶれない」

「ホント、凡人に優しくない親父だよ。全員がアンタみたいになれるわけじゃないってのに」

 嘆息しながらぼやく横顔は、苦みのほかに、ほんの少しの惑いが揺れていた。

(いや――違うだろ)

 友人が取っておいてくれた夕飯に手を付けながら、心の中で反論しておく。

 何故だかは知らないが、この親子は昔から意思疎通が全くうまくいっていない。誰が見ても、リツィードの剣術はもはやこれ以上の伸びしろはない、というくらいの域にある。それなのに、本人が「凡人だ」といって鍛錬を怠らないせいで、もはや限界と思っているところからさらに伸び続け、もはや化け物の域に達しているのだ。

 おそらく――今、彼の師たる父親と戦っても、彼は父親に勝利するだろう。

 師を尊敬しながらも、友人の剣を幼いころから兄弟弟子として受け続けてきた身として、カルヴァンは冷静に分析する。リツィードの剣は、そんな域にあるのだ。

 だが、師は息子を決して褒めることがない。どれほど鍛錬し、どれほど優れた剣士になろうとも――カルヴァンは、師がリツィードをひとことでも褒めているところを見たことがなかった。

 今日の一戦に関してもそうだ。カルヴァンのことは褒める癖に、息子のことは頑なに褒めない。ただの師弟ではなく、親子の関係でもあるが故に、この親子の関係は、ひどく複雑に面倒くさい様相を呈していた。

「っていうか、お前、あそこで足踏むって、どういう思考回路してたらそんな戦術思いつくんだ?あれはマジで一瞬やられたかと思ったぞ」

「嘘つけ、冷静に対処してただろうが」

「いやいやいや、必死だっただけだって。もう、何も考えずに体が勝手に動いてた」

 それであんな神業が繰り出せるなら、何の心配もいらないはずだ。カルヴァンは呆れたため息を漏らす。

 いつもそうだ。リツィードは魔法の一つすら使うことが出来ない。性格的にも、だまし討ちや卑怯な手は使わない。――はずなのに、「なんでもあり」の戦いで、いつもカルヴァンは完膚なきまでに叩きのめされる。

「魔法の一つも打たせてもらえないのはつらいな」

「まぁ、親父が言うように、お前が火の魔法使いって知ってるからな。距離さえ詰めれば、火の魔法は自分もまきこむから使えないし」

「いっそ、相打ち覚悟で至近距離からぶっ放せばいいのか?」

「やめてくれ。それはさすがに、どうやって戦っていいかわからん」

 呆れて呻く親友を見やる。表面上は呆れて馬鹿にしたような言葉を返しているが――長い付き合いでわかる。

(本当にされたらどうするか、を真剣に考えてるんだろうな。お前は)

 その証拠に、薄青の瞳が笑っていない。戦闘中のように、凍えた炎を宿して、爛々と輝いている。

 戦うために生まれてきた男――という、兵団長の評価は、正しいのかもしれない。

「…あれ、もう寝るのか?」

「こんな頭じゃ、女をひっかけに行くこともできないだろ。さっさと寝るに限る」

「うわ、最低」

 はは、と乾いた笑いを返した後、リツィードはふっと明かりを消した。

「おやすみ、ヴィー」

「あぁ。おやすみ、ツィー」



 ふっ…と意識が覚醒する気配。ゆっくりと目を見開くと――そこは、吐き気がするような現実だった。

(――――――最近、やたらと昔の夢をよく見るな)

 いっそ本当に胃の中のものをすべて吐き出したくなるようなそんな心地のまま、心の中でつぶやく。理由はすぐに思い至るが、対処法などないこともわかっていた。

 ゆっくりと長身を起こし、ため息をつく。左手で耳を軽く掻いた後、隣で丸まっている金髪を、ゴツン、とかるく小突いて声をかけた。

「おい、リアム。起きろ。朝だ」

「はっっ!?はははははいぃいい!!!」

 化け物にでも起こされたかのように慌てて覚醒する部下を前にしても眉ひとつ動かさず、淡々と自分の支度を整える。リアムの大声に、他の団員も次々と覚醒しているようだった。

 野営用の火を始末し、寝袋代わりのマントをくるりと雑にまとめて馬に括り付けていると、早朝に偵察に行かせた部下のうちの一人が馬で駆けてくるのが目に入る。

 一週間前の大雨の影響で、当初通る予定だった個所の橋が落ちており、急きょ予定にない野営する羽目になったのだ。すぐに迂回路を探そうと、日が昇ると同時に偵察に走らせる根回しの周到さは、さすがリアムというところだろう。

「団長!この先に――」

「わわわわ、まっ、待ってください、俺が聞きます!」

 びゅんっと音が出そうなほどの速さで金髪が割り込んできたかと思うと、年若い騎士を引っ張って視界から消える。

「おまえっ…バカッ…気づかないのかよ」

「は…?な、何がですか?」

「団長、なんか今日、すっごい不機嫌だろっ…こんな状態の団長に声かけるとか、皆してビクつくから、まずは俺に報告しろ」

 阿吽の呼吸で上官の仕事を補佐する優秀な部下は、どうやら複雑な感情の機微にも聡いようだ。隅の方でこそこそとやり合っている声を聴きながら、カルヴァンは嘆息する。

「リアム。――いい、俺が報告を聞く」

「えっ!?い、いやでも――」

「夢見が悪かっただけだ。そこまで不機嫌でもない。余計な気を回すな」

 眉間を抑えて頭を振り、夢の残滓を振り払うと、灰褐色の瞳にはいつも通りの光が戻っていた。

「は、はいっ…えっと、ここから東に馬で数刻いったところに、簡易的な橋が架けられていました。おそらく、このあたりの住人が物流を止めないように急ごしらえで作ったものと見られますが、優秀な土魔法使いの力でも借りたのか、それなりの強度がありそうでした。騎馬で渡っても十分耐えると思います」

「馬で数刻…彼が出立してから戻ってきた時間を考えると、この辺ですかね?」

 地図を広げてリアムが場所を確認し、あたりをつけて指をさす。

「このあたりから渡れるなら――うん、当初の予定からさほど大きな遅れにはなりそうにないですね。聖人祭の三~四日前には到着できそうです」

「そうか」

 一緒に地図を見下ろしていたカルヴァンは静かに返事をすると、さっと踵を返して愛馬の下へと向かう。すぐに出立をする、という意思表示を受け取り、リアムは慌てて隊員たちに指示を飛ばした。

 もたもたする新人騎士を追い立てながら、リアムは蜂蜜色の寝癖がついた頭の隅で考える。

(そうか――いつも、特に気に留めていなかったけれど…毎年、冬が近づくこの時期の団長は、いつも以上に近寄りがたい空気をまとっている)

 補佐官に着任した最初の冬は、それはそれはビクついたものだった。王女の生誕パーティーや聖人祭で賑やかになる世の中に逆行するように増えていく不機嫌な眉間のしわは、自分の前に丸三年間誰もこの人の補佐官をやりたがらなかった理由を雄弁に物語っていた。彼とともに二回目の冬を迎えた去年は、同じ時期に急に不機嫌な日が続くようになったので、その規則性から、寒いのが苦手なのだろうか、などとのんきなことを考えていたが――

 少しずつ、誰も寄せ付けない英雄の心に触れたリアムは、その規則性のある不機嫌に思い至る。

(国中が沸く聖人祭は――この人にとっては、唯一無二の親友を喪った、命日なのか――)

 ただでさえ、眠りが浅い体質だといつも言っているカルヴァンは、この時期、夜によく眠れないのか、特に日中も仕事の合間に浅い眠りを繰り返すようになる。つい先日、王都で見せていたように。そして、目が覚めるともれなく夏の三割増しで不機嫌な様子なのだ。それは一見すると、いつも通りの渋面でしかないのだが、長く付き合っているとわかってくる。――いつもより、少しだけ、眉間のしわが増える。こういう顔をしているときのカルヴァンは、あまり表に出さないが、本当はひどく虫の居所が悪い時だ。三年間振り回され続けたリアムは、上官の機嫌だけは、ほとんど動かない表情の中からでもこの世の誰よりも正確に読み取る術に長けていた。

 だが、この十五年、その瞳と同じく心にも雪国を宿した上官は、基本的にはどんなことにも感情を揺らされない。

 彼の感情が揺らされるのは、ただ一つ――彼が親友と認めた、稀代の聖人にまつわることだけだった。

「だ、団長」

「何だ」

「あの――このペースで進められれば、聖人祭が始まる前には、ナイードを発てそうです」

「?……あぁ。それが、何だ」

「あ、いえ――その、聖人祭当日は、ほとんどの時間を、ナイードとブリアの中間地点で過ごすことになりそうですね」

「――――――…あぁ。そうだな」

 へらっと笑ってそんなことを言ってくる補佐官の顔に、妙な気を回している気配を感じ、カルヴァンは相手にわからないように嘆息した。どうやら、何か気づいているらしい。

 毎年――この時期は、とにかく気が滅入る。

 自分たちの手でリツィードを殺したくせに、勝手に神格化して、命日に祭りだなんだと騒ぎ立てる国民を、片っ端から怒りに任せて虐殺して回りたくなるくらいには心が荒れる。

 ひらり、と初雪が舞えば、思い出したくもない光景がよみがえり、いっそ誰も自分を知らない土地へ雲隠れしたい気持ちになる。

 だから、毎年必ずこの時期には仕事を詰め込んだ。

 騒ぎ立てる国民の声をなるべく聴かないように。一人の男の犠牲の上に成り立つ平和を、甘んじて享受する愚民の姿を見ないように。

(絶対に、認めない)

 初めて会った時から、人間離れした男だったことは誰よりもよく知っている。

 そして、それが――ともに過ごすうちに、少しずつ、『人間らしい』男になっていったのだ。

 カルヴァンとともにいるときのリツィードは――確かに、『人』だった。

 断じて、聖人――神の化身などではない。

 ――国民の平和のために、あんな凄惨な死を与えられて当然の存在だったなんて、絶対に、認めない。

 誰が、何と言おうとも。

 ――無実の友は、この国の民によって殺されたのだ。

 神の化身という称号を冠して、その死を正当化されて――彼を、『人』として、死なせてやることさえしなかった。

「――――――…雪が降りそうだな」

「え?……あぁ、本当だ。今年は早いかもしれませんね」

 ふぃ、と空を見上げてつぶやく。

 押しつぶされそうな、鈍色の空。急激に下がっていく外気温。

「急ぐぞ。さっさと面倒事は終わらせるに限る」

「は、はいっ!」

 馬の腹を蹴って速度を上げた上官に、焦った声で返事をし、追いすがるリアムの気配を感じながら、冷たい外気を小さく肺に取り込んだ。

 友が、命を賭してまで叶えようとした願いは、自分が引き継いで、かなえてやる。そのために必要なら、鬼でも何でもなってやろう。

 だから――だからどうか、誰でもいいから。

 ――――早く、自分を、殺してくれないか。

「――――――」

 凍てつく外気に耳が痛みを発する。キン――と小さく耳鳴りがした。

 耳鳴りにまぎれて――懐かしい声が、もう二度と呼ばれるはずのない愛称を呼ぶ幻聴を、聞いた気がした。

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