第17話 親友の『剣』

 それは、いつもならば平和な街道。

 そこに一陣、ひゅ――と赤い風が奔った思った瞬間には、陽光を跳ね返し、白刃がきらめいていた。

 瞬き一つの後には、ドシャッ…と重たい何かが地面に頽れる音。 

「――――――――無事か」

 息ひとつ乱すことなく、魔物を一つ切り伏せて――剣を音もなく鞘に納めながら、カルヴァンは視線だけで後ろを振り返った。視線の先には、つい先ほどまで、平和なはずの街道で魔物に襲われ、今にも食われそうになっていた旅人の夫婦が感激の涙を流して頭を垂れている。

「あっ…あ、ありがとうございますっ…ありがとうございます!!!!」

「国家の英雄にお助けいただくとは…っ…な、なんとお礼を言ってよいか――!」

「いい。――これは俺たちの責務だ」

 いつものように眉ひとつ動かすことなく、冷たく言い放ち、騎士団長の証である赤い装束のマントを翻して一瞥をくれることもなく背を向けた。しかし、感動に涙を流す夫婦には、そんなそっけない態度も気にかからないようだ。

「もう――団長!なんであなたが真っ先に飛び出していくんですか!総大将の自覚はおありですか!?」

 後ろから、リアムが慌ててその背に追いすがり、必死な声をかける。カルヴァンは、全く意に介さない様子で淡々と答えた。

「うるさいな。誰が斬り伏せても一緒だろう。この中では、俺が一番速く動ける」

「それはっ……確かに、そうかも、知れませんが…っ…」

 ぐ、と言葉に詰まる。

 急遽決まったナイード経由のブリアへの遠征。道筋を公表せず、目的地だけが事前に公表された遠征だった。通常の行程であれば、こんな道を通るはずがない。ゆえに、旅人夫婦はなぜここに騎士団がいるのかわからないながらも、必死に感謝の意を述べ続けていた。

 行程を公表しないよう指示したのは、カルヴァンだった。詳細を説明してくれなかった上官を前に、リアムは、その背景を想像するしかなかったが、正直よくわからない。

 ただ、おそらく――まったく魔物の噂を聞かないナイードを警戒しているのだろう、ということだけは思い至っていた。

 ゆえに、彼は『視察』という言い方をした。

 ナイードに、何か国にとって良くない出来事が起きている――あるいは、隠している。だから、抜き打ちで、いきなり乗り込んで、実態を調べたいのだろう。

 何事もなければ、そのままブリアに旅立てばいい。

 『最低限の人数で、騎士団だけで討伐隊を組め』という指示は彼自身、懸念に自信が持てていない証だろう。

 最低限の人数で――ほとんど、懸念は思い過ごしの可能性が高いから、大掛かりな人数ではなく、主力は王都に残したままで。

 騎士団だけで――万が一のことが起きた時、どんなことにも対応できるように、国家の精鋭を。

 ――そんな、彼の揺れる心が見えるような指示だな、とリアムは思っていた。

(そんなに警戒しなくても…団長が一人いれば、きっとどんなことも解決できるのに)

「貴方が速すぎるのが悪いんです…今回の人選は、確かに新人も含まれていますけど、でも、騎士団入団試験に受かってるんだから、間違いなく国内では精鋭といって差し支えない人員ですよ!?もう少し、総大将として任せて遠慮してくれてもいいんじゃないですか?」

「知らん。手柄は与えられるものじゃない。自分で上げろといつも伝えているだろう」

「そ、それはその通りですけどぉ…」

 魔物が視界の先に映った瞬間、一団の誰よりも早く馬を駆けて一瞬で距離を詰め、一刀に伏してみせた総大将は、今日も人間とはかけ離れた技を見せつけていた。

「王国最強の男に、勝てるわけないじゃないですか…」

「――――…最強…」

 リアムの恨みがましい声に、小さく口の中でカルヴァンは反芻する。その声音には、かすかに苦味が含まれていた。いつもと少し違う様子の上司に、リアムはきょとんと鼈甲の瞳を向けた。

「どうかしましたか?」

「いや――お前は、本当の"最強"を知らないだけだ、と思っただけだ」

「……へ…?」

「世の中には、俺が逆立ちしても勝てない――そんなやつもいる」

「う、うううう嘘でしょ!?団長よりも!?人間ですか、それ!?」

「嘘だと思うなら、帰った後にファムに聞いてみろ。――俺が、何度挑んでも、人生でたったの一勝もできなかった男の話を。あいつの剣技はもはや芸術の域だ。こっちが、どんな手を使っても――魔法も、多少卑怯な手も、あらゆる手段を尽くしても――いつだって、一振りの剣だけを冗談みたいに美しく操って、圧倒的な実力差を見せつけるように、正々堂々勝ちをもぎ取っていきやがる」

「えぇええええ!?そ、そんな化け物みたいな男がいるんですか!?怖っっ!もはや、憧れ通り越して怖いです!」

「…まぁ…もし、戦場でまみえたら、怖いどころの騒ぎじゃないな。――剣を握ったあいつの前で、立っていられるやつなんていない。――戦うために生まれてきた男だ、と当時の兵団長は言っていたな」

「う、うへぇ…ってことは、当時の兵団の同僚ですか?でも、そんなすごい人なのに噂を聞かないってことは――もしかして、もう退役しちゃってるとか?」

「いや――…」

 カルヴァンは、一瞬言葉を切り――嘆息してから手綱を取った。

「つまらない話をしたな。先を急ぐぞ」

「えぇええ!?自分で話振っておいて、ひどすぎますよ、団長!すごい気になります!」

 うるさい補佐官を置いて、さっさと馬を進める。

 いつも、戦いの度に思い出す。――王国最強の騎士と持て囃されるたびに、苦い気持ちとともに、思い出す。

 記憶の中の親友の剣に――今日も、自分は、遠く及ばない。

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