第15話 『初代王』の伝説②

 その昔、今の王国領内は、暴君が支配するひどい有様だった。民は常に餓え、貧しく、自由を奪われたまま命の危機と隣り合わせで、恐怖におびえて暮らしていた。国の周りには凶悪な魔物がはびこっており、とてもではないが国外逃亡などできない。争い、裏切り、傷つけあって人々が暮らす国――それが、当時の国の状態だった。

「そんな時に、現れたのが、初代王・クルサールです。当時は、ただの青年と変わりないと言われていましたが――彼には、特別な力が宿っていました。それは、神に選ばれたと言っても差し支えない、数々の奇跡を起こす力でした」

「当時、誰も使えなかった、光魔法を使えたんだよね」

 グレンが引き継ぐように口をはさむ。先ほどヤーシュが言っていたように、すでに学校で習っていたらしい。控えめではあるものの、まさに「僕知ってる!」と人の話に割り込んでくる幼い子供らしいその様子に、聡いと言っても歳相応な一面があるのだな、とイリッツァはほほ笑む。

「はい。さすが、よく知っていますね。グレンの言う通り、初代王クルサールが、世界で初めて光魔法を使えた人間だとされています。神の代行者として人々を救うために、神から与えられた特別な力だ、とクルサール王は民に告げたと言います。…魔法は完全に遺伝で属性が決まりますから、当時から血を絶やしていない今の王家は、全員光属性の魔法使いだけというのは有名な話です」

 へー、とヤーシュが感心したようにうなずく。それに、グレンが知識をひけらかすように言い募る。

「ただ光魔法がつかえただけじゃないんだよ。初代王は、エルム様の声を本当に聴けたんだ。暴君の圧政に苦しむ国民を救え、魔物の脅威を晴らせって言われたんだよ。そして、魔法を使うと額に不思議な光の模様が浮かんだんだ。――その模様が、今の聖印になっているんだよ」

「グレンは本当によく知っていますね。素晴らしいです」

 少し早口でまくし立てた少年を、よしよし、と頭を撫でで覆いに誉めてあげる。グレンは、ほんのりと頬を桜色に染めてから、堪え切れないように口の端に嬉しそうな笑みを浮かべた。

「あ、だから、聖女様や聖人様には、聖印が浮かぶのか!」

「ヤーシュも、よく気が付きました。その通り。初代王は額でしたが…初代王の死後、初めて現れた聖女は、胸に光る聖印が現れたと言います。だから、私たちも聖印を切るときは胸の前で、祈るときは手を額の前に持って行くでしょう?それは、初代王と、初めての聖女の聖印の場所に由来するのですよ」

 初めて聖女が生まれた時、その光の聖印を見た人々は、初代王の再来だとして聖女を祭り上げた。聖女は、確かに一般的な光魔法使いとは一線を画した圧倒的な魔力を持って光魔法を使役した。

 国の中でも選ばれし優秀な光魔法使いしか就くことができない司祭ですら、せいぜいが自分の領地に結界を張るくらいしかできない。最も広大な王都の結界を任される王立協会の司祭ともなれば、王都すべてを覆う結界を張れるものでないと就任できない。

 だが、聖女は規格外の魔力を持って――国土全体を覆う結界を、瞬時に展開することが出来た。それは、国民を魔物の脅威から守るために、初代王が施した結界と遜色がないものだった。

「そうして、初代王は人々を導き、暴君を打ち倒して、国を興します。そして、周囲の魔物の侵攻を防ぐために国土全体に結界を張って、人々の生活に安心と安全をもたらしました。さらに、まだ見ぬこの世のすべての人々の安寧を願って、国のためではなく、神の教えに従って魔物を討伐する部隊を結成します。それが、今の騎士団――カルヴァン騎士団長が所属している組織ですね。そして、エルム様の教えを聖典にしたため、国民すべてがエルム様の教えを学ぶことができるようにしたのです」

「神の教えに従って――…」

 ヤーシュが、胸の中に興奮を抑え込みながら口の中で反芻している。騎士にあこがれる少年としては、熱い思いを堪え切れないのだろう。

 こんな、神話なのか歴史なのかわからない建国物語をまことしやかに語る者だけがこの王国に住み着くことを許される。それは、王都の中心地だろうがナイードのような一番端の領地だろうが関係ない。王国に住まう大人は当たり前のように子供に、英雄クルサールの物語を寝物語として聞かせ、休日には子供の手を引いて教会に礼拝に向かう。

 初代王の精神を引き継ぐ王家は、常に神エルムの御心に従って、神の代わりに苦しむ人々を救う存在とされており、基本的にはエルム教の聖典の教えがそのまま王国の政治の基本方針となっていた。

「さて、グレン。優秀な貴方に質問です。神の教えに従い、敵を滅ぼす「神の戦力」は、騎士団です。では、国のために、国の敵を滅ぼす「国の戦力」は何でしょうか」

「わかるよ!「兵団」だ!」

「はい、正解です。よく勉強していますね」

 笑顔でほめてあげると、グレンはぱっと顔を輝かせた。彼が子供らしい表情をするのは、こうして知識欲を満たしているときなんだな、と頭の片隅で感心する。

「ヤーシュは騎士になりたいと言っていましたが、まずは兵団試験に合格して兵士になり、兵団長に推薦してもらえないと、騎士団入団試験は受けられません。兵団は戦闘に関する入団試験しかないので、腕に覚えがあれば比較的誰でも入れますが、騎士団は先ほども言った通り、神の戦力ですので、当然座学も必要です。学校で学ぶような内容のほかにも、聖典にかかれている内容からも出題されるらしいですから、ちゃんと神学の授業も学校でしっかり聞いておくんですよ」

「は、はぁ~い…」

 ヤーシュは、座学には苦手意識があるのか、苦虫をすりつぶしたような顔で呻いた。

「皆が知っている今の騎士団長は、戦場で鬼神のごとき活躍をするという逸話ばかりが先歩きするので、あまり知られていないかもしれませんが――実は、彼は、歴代の騎士団長と比べても、比較にならないほど、とても頭がいいのですよ。学校の成績は常に一番でしたし、兵士だった時代から、彼の目の覚めるような戦略は常に兵団を勝利へと導きました。このまま奨学金をもらって高等学校に進んで、宰相を目指せばいいのに、というのは、兵団入団前の初等学校時代の同級生皆が言っていたことです。彼に憧れるなら、まずは勉学をしっかりしましょうね」

 懐かしい記憶を思い出して、ふふ、と笑いながら話をもとに戻す。

「さて、暴君からも魔物からも人々を救った初代王は、英雄として今も語り継がれています。神の声を聴いて、奇跡の御業を行使する力を持ちながら、それをすべて己のために使うことは一切なく、民の――信徒のために惜しみなく使いました。…そして、光魔法がつかえる者は、初代王の血筋をどこかで引いたもの。ゆえに、聖職者となり、初代王の思想を受け継いで、人々を導く義務があるのです。聖女・聖人ともなればもっと、ですね。まるで初代王のように己を殺し、信徒に尽くす。神の教えを誰よりも理解し、行いを正せるのが聖女であり、聖人なのです。だからこそ、民は彼女たちに敬意を払い、神の化身と崇めるのです」

 だが、不思議なことに、遺伝で引き継がれるはずの魔法適性なのに、聖女・聖人という不思議な存在は遺伝とは関係なく現れた。最初の聖女が現れたのも、初代王の血を色濃く継いでいた王家ではなく、傍流中の傍流の一族の娘だったという。それも、初代王の死後六十年が経ったころというから、規則性があるとも思えなかった。

「最初の聖女が現れて以来、聖女・聖人という存在が長い歴史の中で何度も生まれることとなります。あまり例はありませんが、同じ時代に複数人の聖女・聖人が存在していたときもあったんですよ」

「えー!?すげぇー!」

「まぁ、初代王と遜色ない力を宿した人間ですからね。やはり人々は特別視しました。歴代の聖女・聖人はすべて、初代王の生まれ変わりだと言われていますね」

「え、それじゃぁ――」

 グレンが、子供らしく瞳を輝かせてイリッツァを見上げる。

「本物の聖女様や聖人様は、エルム様の声が聞こえるの?」

「――――――――…んー…それは、どうでしょうか。私は本物の聖女ではないので、そればっかりは、なんとも…」

 とたんに曖昧に言葉を濁すイリッツァに、グレンは少しがっかりしたような顔をする。左手で頭を掻きながら、イリッツァは心の中で罪悪感をかみ殺した。

(――残念ながら、聞けないんだよ。神様の声なんて)

 一般的には公開されていない、聖女・聖人になったものだけが知ることができる真実――それが、「神の声が聴けるなんていうのは嘘っぱち」ということだ。

 前世でも今生でも――イリッツァは、神の声が聞けたことなどなかった。前世の母親だったフィリアからも、そんな話は一度も聞いたことがない。

 もちろん、自分や母親が聞けなかったからと言って、すべての聖女・聖人がその能力を持っていなかったと断言することはできないし、初代王だけが聞けたのかもしれない。だが、「聞けたかもしれない」という可能性があると言うことはつまり、同じくらいの確率で「聞けなかったのかもしれない」が存在すると言うことだ。

 つまり――大陸最大の国土を誇り、最多の国民が住むこの地で、全国民が疑うことなく信じている初代王の行いが、「神の声を聴ける」と偽ったペテン師の物語である可能性がありうるのだ。

 そこに思い至った聖女も聖人は、当然口を閉ざすしかなかった。積極的に神の声を聴けると吹聴することはしないが、「聞けない」とも明言はしない。どちらかというと、聞いているのではないか、と思わせる振る舞いを心がける。

 だが、聞けないものは聞けないのだ。つまり、人知を超える光魔法の力の使い道は、神ではなく、使役する人間が決めざるを得ない。それは、一つ間違ったらとんでもない重責となる。

 その重責に耐えるために――聖女も聖人も、誰よりも聖典を読み込み、誰よりも神の意志を理解し、誰よりも神の代理人のように、人知を超えた振る舞いを心がける。己を殺し、民に尽くす。民の幸福よりも己の感情を優先することなどがあっては、聖女・聖人にとっては許されざる重罪であり、万死に値する。それこそが、人知を超える魔法を使役するものの責務である。

 ――それが、前世で、リツィードが光魔法以外に母から教わった唯一のことだった。

 それは一種の洗脳のように――ある種の、呪いのように。

 歴代の"神の化身"に背負わされてきたそれは、転生という特殊な状況に直面して第二の人生を「『聖女』としてではなく『人』らしく生きる」とイリッツァが心に描くその日まで――そう、ほんのつい十年前まで、何百年も脈々と受け継がれてきた、この世界の揺るがぬ"真理"だったのだ。

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