第14話 『初代王』の伝説①

 目が回るほどの忙しさとは、こういう日々のことを言うのだろう――イリッツァは、たった二人で聖人祭の準備を行う毎日に疲れ果て、つい仕事の合間に裏庭から空を仰いだ。

(っていうか、もうやめようよ、祭りとか…そうだ、それがいい、本人がいいって言ってるんだから、問題ない。そんな面倒な行事、今年からもう即刻なくそう)

 疲れすぎて、考えても仕方ないことを考えてしまう。見上げた空は、もうすぐ近づいてくる冬の空。

「そういえば――雪が、降り出しそうだったような――…」

 もう、夢の中でしか思い出さなくなった光景。その視界の端に、白い雪がひとひら、舞っていたようないなかったような。実際に降ったかどうかは、正直あまり定かではないが――あの日の記憶の半分は炎に包まれていたから、仮に降っていても自分の周りでは溶けていただろうし――処刑台に上らされた時に仰ぎ見た空は、今にも雪が降り出しそうな空だった。

 それだけは、やけにはっきりと、記憶に焼き付いている。

 ――親友の、瞳の色と同じだったから。

「まだ雪なんて降らないさ。ずいぶんと気が早いな、リッツァは」

「――――――――――」

 後ろからかかった馴れ馴れしい声に、思わず空を見上げたまま半眼になるのを自覚する。

 イリッツァは相手にわからないように嘆息し――悠然と、完璧な聖女の微笑みを顔に張り付けて、声の方を振り返った。

「聖人祭も近いというのに、お散歩ですか?領主様に怒られてしまいますよ――フランドル」

 教会の裏庭に面している通りから聖女に声をかけた青年――ナイード領主の息子・フランドルは、紺色の髪をサラリとかき上げてニッと笑った。

「固いこと言うなよ。婚約者の顔を見に来ただけだ」

 ひくっ…

 ぞわぞわっと背中のあたりを這い上がる何とも言えない不快感を、頬を若干ひきつらせるだけで抑え込んだ自分をほめてやりたい。イリッツァは、生理的な嫌悪感が表に出ないように細心の注意を払いながら、笑顔のまま言葉を重ねる。

「何度も伝えていますが、私は還俗しません。このまま、十七になったら、修道女になる予定ですので、残念ながら貴方とは結婚できませんよ」

「つれないことを言うなよ。ダニエルは婚約を許してくれたぞ」

「いや…どこをどう拡大解釈したらそうなるんですか…」

 あきれ果てて、ついうっかり本音が漏れる。

 ダニエルは、求婚したいと直談判に来たフランドルに向かって、「イリッツァが結婚をしたいというなら、止めはしません。教会で育ったからと言って修道女にならなければならないわけではないですから」と言っただけだ。だが、それはフランドルだから言ったわけではなく、きっとどの男がやって来ても同じことを言っただろう。

 修道女になると言うことは、神に操をささげるのと同義だ。結婚などありえない。

「フランドルは人気者なんですから、私なんかに構っている場合じゃないですよ。貴方のお嫁さんにしてほしいという女の子はたくさんいますから」

「だから、その俺が求婚してやると言っているんだ。光栄だろう」

(いや、迷惑以外の何物でもねぇよ)

 話が通じない男に、素が出ないようにことさらに聖女の仮面を分厚くする。

 フランドルとは二つしか違わないから、幼いころから同世代の子供たちにまぎれてよく遊んでいた。小さいころは、絵にかいたような悪ガキで、記憶が戻るまでは、一通りの嫌がらせをされた。記憶が戻ってからは、さすがに上手に躱すすべも、実力行使で返り討ちにする体術も心得ていたから、一方的にやられると言うことはなかったが。

 今から考えると、あれは、気になる女の子に意地悪をしてしまう、という男児あるあるだったのかもしれないが、被害者としては笑って流せるようなものではない。幼少期から、イリッツァはとにかくフランドルが苦手だった。

 ある程度成長して、「好きな子をいじめてしまう」フェーズを過ぎたかと思ったら、今度は自信満々に「俺様が口説いてやっているんだ」と言わんばかりに言い寄られ始め、とにかく困惑した。さらに、未だに思春期をこじらせているのか、どうにも格好をつけた言動も、本当に痛々しくて見ていられない。

(悪いな…見た目は十五歳の女の子かもしれないが、中身は半分男なんだよ…記憶だけは三十年分あるから、経験値だけならいい歳したおっさんなんだ)

 ひくひくと引きつる頬をなだめながら、何とかフランドルを追い返す方法を探る。こんな男でも、一応領主の息子だ。あまり露骨に追い返して不興を買うのは、今後の教会の運営にとってよろしくない。

「私は自分の意思で、修道女になりたいのです。好意はありがたいのですが、どうかあきらめて早く他の女の子をお嫁さんにしてください」

「好意はありがたい――そうか、そうか」

(そこだけ切り取るんじゃねぇえええええ!)

 顔が引きつる、というレベルを通り越して青筋を浮かべそうになったその時――

「あー、フランだ!」

「また聖女様困らせてる…」

「ぬぉっ!?なんだ、お前たち!」

「ヤーシュ!グレン!」

 ひょっこりと通りの向こうから現れた小さな援軍に、心から歓喜の声を上げる。

「聖女様、困ってるよ。今の時期、教会関係者が目が回るくらい忙しいの、知ってるでしょ?フランに構ってる暇なんてないと思う」

「そーだそーだ!"男は引き際が肝心"って母ちゃんも言ってたぞ!」

「ぐぬっ…」

 予想以上に辛辣な子供たちの攻撃を受けて、フランドルが呻く。大人げなく反論するわけにもいかず、言葉に詰まっているのだろう。

(いいぞ、もっとやれ!)

 心の中で応援しながら、イリッツァは聖女の笑みを顔面に張り付けた。

「すみませんが、フランドル。私はまだ仕事があるので、これで」

「く…仕方あるまい、今日のところはこれで退散しよう」

 相変わらずの芝居がかった痛々しい口調でふん、と鼻を鳴らした後、ちらりとイリッツァを振り返る。

「ところでリッツァ。――君は、いつになったら、僕のことを『フラン』と呼んでくれるのかな?」

「―――――未来永劫、天地がひっくり返っても、絶対に呼びません。私のことも、ぜひイリッツァと呼んでくださいね、フランドル」

 名前を強調して、聖女の仮面で拒否を示す。

 前世の母の表情で学習した。聖女の微笑みは、慈愛に満ちているように見えながら――その実、誰にも心を開いていないことを感じさせるほど、冷たく市井の人々との間に明確な一線を引く。

「ぐ……ぼ、僕は諦めないからな!」

(……さっさと帰れ) 

 心の中でつぶやいて、捨て台詞を吐いて踵を返すフランドルを見送る。こらえきれず、嘆息が漏れた。左手で、頭の後ろを掻く。

「聖女様、大丈夫?」

「フラン、本当に懲りないよな!"聖女様は独り占めしちゃダメ!みんなのものだから!"って父ちゃん言ってたぞ!」

「はは…ありがとうございます、グレン、ヤーシュ」

 少年たちの心遣いに、今度は心からの優しい笑顔で笑いかける。

「ところで二人は、お祈りに来たのですか?今日は、イリアは一緒ではないのですね?」

「うん。聖女様、お祭りの準備で大変そうだから、何か手伝えることがあったらなって思って。イリアには、まだ難しいだろうからおいてきた!」

「なんと…ありがとうございます。とっても助かりますよ」

 ふわりとほほ笑むと、ヤーシュとグレンの頬がほんのりと桜色に染まった。

「あっ、そ、それと、この間聞けなかったお話、聞きたい!ちゃんとお手伝いもするから!」

「なるほど。よい心掛けですね。…それでは、まずはエルム様にお祈りを済ませてしまいましょう。礼拝堂に向かってください」

「「はい!」」

 二人の元気な返事を聞いて、イリッツァは小さな助っ人の暖かな心に、ふんわりと優しい聖女の微笑みを返した。


 ドサッ…

 芝生の上に二人の子供が倒れるように寝転がるのを見て、イリッツァは困った顔で謝った。

「さすがに疲れてしまいましたね。申し訳ないです。つい、頼りになる二人なので、色々お願いしてしまいました」

「いや…ぜ、全然…これ、くらい…俺、騎士になるんだから…これ、くらいっ…」

「これ…本当に聖女様と司祭様だけでやろうとしてたの?無謀だよ…」

「っていうか、聖女様、意外と――びっくりするくらい力持ちだな…!そこらの男なんかよりすごいよ…!」

「はは…それは毎日、鍛えてますから」

 ぜーはーと疲れ切った荒い息で横たわる二人のそばに腰を下ろして、よしよしと二人の頭を撫でてやる。

 今日は、祭で使うための祭壇づくりを進めた。重たい木材を運んだり抑えたりと、思った以上の重労働になってしまったようだ。

「二人とも、目を閉じて」

「え?こう?」

「はい」

 素直な子供たちは、言われたとおりに目を閉じる。イリッツァは、その額に手をかざすと、己の瞳を静かに閉じて集中した。

 ぱぁ――と柔らかくあたたかな光が二人を包み込むと、その小さな体にたまっていた疲労が抜けていくのを感じる。

「わぁ――!魔法だ!奇跡の技だ!」

「すごい…!僕、初めて癒しの魔法をかけてもらった…!」

 急に元気になってはしゃぐ二人の声を聴いてから、ゆっくりと瞳を開ける。――万が一にも、聖印を見られないように、たっぷりと時間をかけてゆっくりと。

「奇跡の技…なんていわれますが、ただの魔法ですよ。ヤーシュの土魔法や、グレンの水魔法と同じです」

「でも、神様の魔法なんでしょ!?初代王が神様からもらった、特別な魔法って、学校で習ったよ!?」

「あぁ――…そうですね。では、二人とも一生懸命頑張ってくれたので、前回お話しできなかったことをお話ししましょうか」

 ぱぁっと二人の顔が輝く。前回、初代王クルサールの話をする、と前振りだけして、すぐに聖人祭の準備であわただしくなってしまったから、あれから二人との約束を果たせていなかったのだ。イリッツァもずっと気にはなっていたが、どうやらこの様子を見るに、イリッツァの想像以上に話を聞くのを楽しみにしてくれていたらしい。

 子供たちが体を起こしてしっかりと聞く体勢になるのを待って、イリッツァは桜色の唇をゆっくりと開いた。

「昔々、ある所に――クルサールという神の声が聴ける男がおりました」

 これは、この王国領内に生まれ育ったものであれば、誰もが寝物語で繰り返し聞かされる物語。

 歴史なのか神話なのか曖昧な――稀代のペテン師の、お話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る