第11話 『英雄』カルヴァン・タイター③

 カルヴァン・タイターは、酷く自由な男だった。いつだって誰にだって憎まれ口をたたいて、興味ない、人は人、と言いながら、エルムの教えを鼻で嗤う。束縛を嫌い、独りを愛し、人にも国にも宗教にも、何にも縛られない男だった。

 だが、そんな気まぐれに生きているように見える彼が、唯一友と認めた一人――リツィードのためなら、文句を言いながらではあるが、ある程度の不自由にも耐える理性的な男だったと知る当時の知り合いは少ない。素直じゃない性格は本当にすぐに直せといつも思っていたけれど、それでも、世界中が自分の敵に回ったとしても、カルヴァンだけは決して裏切らないだろうという、根拠のない自信が、リツィードにはあった。処刑台に上がったあの時でさえ、もしあの場にカルヴァンがいたら、きっと、何かが変わっていたのではないかと期待するくらいには、無条件の信頼を寄せていた。

 彼は、出会った時からまるで自分の写し鏡だった。彼の考えることは、口に出さなくてもなんとなくわかる。

 母にも父にも愛情を十分に注いでもらえず、聖人としての振る舞いを染みつかせ、己を殺すことを息をするようにしていたリツィードに、カルヴァンは真逆の性格で、真逆の立場から、いつも「自由に生きろ」「人らしく生きろ」と説き続けた。きっと、彼は、そんなリツィードを独りにして国を出ることなど、出来なかったのだ。

 だからこそ、自分という枷がなくなったならば、さっさとこの国を出て、軍国主義で実力主義の隣国のイグラエナム帝国にでも移住するのではないかと思っていた。それが、『正義の諫言』などと言われる事件を起こして国家の危機を救った英雄として称えられているなど、もはや同姓同名の別人の話としか思えない。

 そして今や、国民全てが憧れる存在となって、今度は王女が嫁候補という。

「彼が、両親を幼いころに失った孤児だったことは有名ですが…それが今や、王国騎士団長の肩書を持ち、今度は王女様との婚姻――これは、国民が憧れるのもわかりますね」

 確かに、孤児だった身の上から剣と魔法で成り上がっていった様は、もはや伝説級の出世物語だ。

(王女、って、あの子だよな…昔、母さんに会いに何度か来てたから見たことある)

 聖女と王家は、権力としては対等――どころか、下手をすると聖女の方が上だ。神の化身であり、初代王の生まれ変わりとされるその言葉は、そのまま神の言葉と同義であり、王は執政に迷うと聖女や聖人に意見を請うのが習わしだった。イリッツァは常々、そんな責任重大な立場にならなくてよかったと心から安堵のため息を漏らしている。

 ゆえに、聖女フィリアの下に王族が挨拶に来ることなど珍しいことでも何でもない。新年の儀が始まる前に王族の直系は聖女に傅き言葉を賜るのも、毎年の恒例行事だった。

(あのころは、まだ小さな女の子だった――名前は確か――)

「シルヴィア王女と婚姻、などということになったら、国中が沸いてお祭り騒ぎですね。聖人祭の時期と重なると、準備が大変そうです」

「そうですね。…十も年上のおじさんに嫁ぐなんて、シルヴィア姫が可愛そうですが」

「ははは、まさか。シルヴィア姫が騎士団長にひそかに思いを寄せているのは、大人たちの間では有名な話です。もうすぐ二十歳になるというのに縁談をえり好みしているのは、騎士団長以上の男でないと嫌だと陛下を困らせているせいだとか」

「はぁ…」

 相変わらず、女には苦労しない人生を送っているようだ。今年三十になるというカルヴァンの姿を見たことはないが、恐らく昔のように無駄に女を惑わす謎の色気を振りまいているんだろう、とイリッツァは呆れたように少しだけ笑った。

「さて、今月の終わりには聖人祭があります。今年は、イリッツァと私以外人手がありませんからね。早めに準備を始めましょう。忙しくなりますが、協力してくれますか?」

「はい。もちろんです、司祭様」

 教会には、なんだかんだと修道女・修道士が入れ替わりで在籍していることが多いが、ナイードはいかんせん人が少ないため、もともと人は多くない。それでも昨年までは、もう一人修道女見習いがいたが、修道女の道に進むことなく、還俗し家庭を持つとのことで、昨年末に教会を去っていった。

 イリッツァは生まれたころからずっと教会暮らしだが、物心ついてから、聖人祭の時期にダニエルと二人きりになったのは初めてだった。基本的に、宗教色が強いお祭りでもあるため、準備の主体は必然的に各領地の教会になる。

 ふと、窓の外に目をやると――もうすぐそこまで、冬の気配が近づいてきていた。


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