第10話 『英雄』カルヴァン・タイター②
「でも、驚きました。あなたは、今の騎士団長に会ってみたいのかと思っていました」
「え――」
ふわりと、換気のために薄く開けておいた窓から入り込んだ風に紛れるように言われて、思わず顔を上げる。
「昔から、いつも、熱心に聞いていたでしょう。彼の逸話について、何度も」
「――――あぁ――…」
こちらを見て微笑む養父に、苦笑して認める。
記憶が戻って、一番知りたかったのは、何を置いても彼の近況だった。
生きているのか。平和に暮らしているのか。
――今、幸せなのか。
無事に生きていて、彼の師でもあった英雄の再来として名をはせ、称えられていると知った時の喜びは計り知れない。
「正義のためなら王に弓引くこともいとわず、魔物をこの世から殲滅せんと騎士団長自ら足しげく討伐に赴く方のようですからね。憧れるのも無理はありません」
「…はい。ひと目、見てみたいと思います。死ぬまでに、一度でいいから――叶うので、あれば、ですが」
王都には行けない。聖女と同じ外見をしている自分は、必要以上に目立つし、万が一にも聖女であることが露呈してしまったら、その瞬間から王城の奥で幽閉される灰色の未来が待っている。
そして何より――あまり、あの地に戻りたくはない。
未だに、昨日のことのように思い出す。
訳も分からず取り押さえられ、牢につながれて何日も何日も筆舌に尽くしがたい拷問を受けたこと。処刑台に連れていかれ、拘束されて石を投げられたこと。自分の足が炭になる感触も、槍で胸を突かれる感触も、すべて鮮明に思い出せる。それらが脳裏をよぎるたび、ひゅっと呼吸が浅くなって、さぁっと血の気が引く気配があるのだ。
聖人として生きたことを、後悔はしていない。ひどい仕打ちをした国民を恨んでいないのも、本当だ。
だが、どうしても――刻み込まれた痛みと恐怖と絶望の記憶は、簡単には消えてくれそうになかった。
自ら進んで、そんな記憶のある土地に来訪したいとは思わなかった。…パニックになるか、盛大に体調を崩すか。どちらにせよ、愉快な結果にはならないだろう。
謎の声に告げた未練は、『カルヴァンにもう一度会いたい』だったはずだが――なかなかどうして、一筋縄ではいかない環境を与えてくれたものだと苦笑する。
あの謎の声は、てっきり神か、神の使いの声だと思ったが――もしかすると、悪魔の声だったのかもしれない。
聖人でありながら、責務を全うせず、国を混乱に巻き込んだ、その罰を償えと、再度の生を得たのではないか――こうして、文字情報からしか、かつての親友の今を知る術がない現実を目の当たりにするたび、そんな考えすら頭によぎる。
「ですが…あぁ、こちらの文も読みますか?まさに、騎士団長のことが書いてありますよ」
「えっ!?よ、読みます!!」
渡された残りの書簡を受け取って、すぐに目を落としていく。ダニエルはその様子を見て笑いながら、言葉をつづけた。
「王都の最近の話題は、騎士団長の結婚話らしいですね」
「えっ!?け、けけけ結婚するんですか!?」
(あの女たらしが、ついに!?)
おそらく、ここ三年で一番驚いた――そんな表情で、イリッツァは目をこれ以上なく大きく見開いていた。
思春期真っ盛り、最も性欲が強かったであろう青年期を共に過ごした身として、彼が昔から女ったらしで、全く人に褒められたものではない奔放な生活をしていたことを知っている。一夫一婦制を推奨するエルム教の教義を考えればとんでもない行いだが、本人は昔から「神なんていない。何物も、俺を縛れはしない」と豪語しては自由をこよなく愛していたため、何度注意してもどこ吹く風だった。
来るもの拒まず去るもの追わず。下半身が反応するなら、とりあえず一回抱いてみる。二人三人同時進行は当たり前。知っているかぎり、最高で六人くらい同時進行していた。知らないだけでもっといたかもしれない。そして、自由でいたいから、決して本気の付き合いはせず、一晩限りのお付き合いが主流。相手が本気になりそうになると、一方的に別れを告げてあっさりと関係を打ち切る、女性の敵だ。
そんな彼が、ついに結婚とは――!
「いや、逆ですよ。もうすぐ三十路になるというのに、未だに結婚の兆しが全くなくて、周囲があれこれ気を揉んでいるらしいです」
「へ…?」
「有名貴族や有力領主の娘、王都で最も美人と名高い歌姫まで、さまざまな女性との縁談が持ち上がっていたらしいですが、すべてすげなく断られてしまっていたようですね。そんな中、ついに最近、王女様との縁談を持ち掛けられたらしいです。それでも断るのかどうか、王都中が事の行方を固唾を飲んで見守っているとか」
「は、はぁ…」
「鬼神が女嫌いというのは、本当だったのかもしれませんね」
「いやいやいや…それだけはないでしょう。王国一の女ったらしですよ。きっと、一人に絞るのが嫌なだけです。女関係だけは最低な奴ですよ」
記憶の中にある親友のイメージと違いすぎて全く信じられず、思わず呻く。
「おや。まるで知り合いかのように話すのですね」
「っ…い、いや、素晴らしい逸話に加えて、外見も、女性なら誰もが惚れるほど格好いいと評判ですし、きっとそうに違いないと思っただけです…」
慌てて言葉を重ねてごまかす。
「だ、だいたい、三十路まで独身って…もう、結婚する気、なさそうじゃないですか?」
「うーん…まぁ、確かに、聖職者でもないのに三十路で独身は…珍しいですねぇ」
この国で聖職者は、還俗しないと結婚出来ないため、聖職者が生涯独身なのは何の違和感もない。ダニエルもまた、今年五十の齢だが、例にもれず独り身だ。
この国で成人とされるのは、十七歳から。二十歳で結婚していないと、「少しのんびり」と言われ、二十五で結婚していないと「贅沢言わず誰でもいいから結婚しろ」と無理矢理周囲が縁を結ばせる社会だ。
そんな中で、三十路になろうというのに、独身。――これは、異例中の異例だろう。
「とはいえ、王家も、彼には強く出られないでしょうしね…今回のことも、どうなることやら」
「はぁ…例の『正義の諫言』のせいですか」
「はい。…王家としては、彼を身内に引き入れるメリットは十二分にありますが、かつて自分たちの愚かな行いを正してもらった手前、彼が望まないことを強要するのは心苦しいのでは」
――正義の諫言、とは、十五年前に起きた、一種のクーデター未遂事件だ。
聖人がその身を賭して国を救った後、国政は乱れに乱れた。王家も国民も、全員がただただ罪の重さに耐えかねて毎日を悲嘆に暮れて過ごし、聖人が張った結界で魔物の侵攻はなかったものの、今にも隣国のイグラエナム帝国が軍を率いて攻め立てようと計画していたという。
そんな時、一人の青年――のちの英雄、カルヴァン・タイターが立ち上がる。剣一振りを携えて、王城に乗り込み、数々の護衛を打ち倒して王の間にたどり着き、そこに座する王の首元に剣を突きつけて、国の未来と王家の在り方について、強く諫言したという。
その言葉に立ち直った王は、本来その場で極刑に処されても文句は言えない行いをしたカルヴァンを許し、今後も王家が惑うときは諫言してほしいと頼んだという――
彼が最初に打ち立てた英雄譚であり、ここから彼の騎士としての人生が始まった。
正義のためならば、とその身を賭してまで諫言したその姿勢はもちろん、身命を賭したその行いに彼が帯同した一振りの剣というのが、聖人が使っていた愛剣だったという話題性、そしてその聖人の唯一無二の親友だったというめぐりあわせなどが相まって、瞬く間に彼は王国中のヒーローになった。
その後、王はカルヴァンを国家の危機に諫言を呈す数少ない忠臣と認め、カルヴァンは王が正しくある限り、王国を脅かす魔物をすべて根絶やしにすることを誓ったという――これ以上ない美談だ。
(…あいつ、そんな熱い漢だったんだなぁ…意外だ…)
その話を聞いたとき、イリッツァは何度か「え、それは本当にカルヴァン・タイターの話ですか?同姓同名のそっくりさんなどではなく?」と聞き直した。それくらい、生前自分が知っていた彼のイメージとはかけ離れていたからだ。
何事にも冷めたような目をしていて、笑うときは基本的に人を食ったような意地の悪い笑みを浮かべる。神など信じない、と豪語して、何物にも縛られない自由を愛す男だった。人は人、自分は自分といつだって飄々としていて、こちらが熱く神の教えや愛国心を説いても、面倒くさそうな顔で右から左へ聞き流す。当然、国家の危機のために、身命を賭して一肌脱ぐ、などという男気なんか絶対持ち合わせていないと思っていた。
それどころか――リツィードが死んでも王国にとどまっていたことの方が、驚きだった。
うぬぼれでなければ――何物にも縛られず、神も信じないと豪語するカルヴァンにとって、生き辛さしかないであろうこの国にとどまり続ける理由の一つが、リツィードの存在だったと思っていたからだ。
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