第6話 再び始まる『聖女』の人生①
イリッツァ・オームは非常に優秀な生徒だった。神童と言ってもいい。
五歳になる冬のある日を境に、人が変わったように書物を読み漁り、大人に話しかけては歴史や世の中の情勢について質問し、スポンジが水を吸うようにたくさんの知識を得ていった。まだ教えていないはずの知識を知っていることも多く、時折大人をひどく驚かせたものだった。
六歳になると、王国の慣習にのっとり、彼女も例にもれずすぐに魔法属性を調べるため、『見極めの儀式』を受けた。
教会の聖具の一つ、大きな水鏡の前で、検査は行われる。非常に単純だ。司祭の手により、強制的に水鏡に向けて魔法を発動させる。――それだけだ。
もちろん誰でも出来ることではない。強制魔法発動は光魔法の中でもかなり高度な魔法で、使いこなす難易度も高い。失敗し、万が一暴発でもさせれば、周囲を巻き込んだとんでもない事故を引き起こす。ゆえに、見極めの儀式を滞りなく行えることが、そのまま司祭就任試験の科目となるくらいだった。
前世の記憶を取り戻したイリッツァがまず最初に行ったのは――見極めの儀式の前に、己の魔法適性を知ることだった。
「よっ…と」
夜、ダニエルが寝静まったのを確認してからそっと起き出し、自室の窓を乗り越える。そこは二階だったが、五歳の少女は当たり前のように窓枠に足をかけてひょいっと漆黒の闇へと身を躍らせる。そして、地面に触れると同時に流れるように華麗な受け身を取り、あっさりと落下の衝撃を逃がすと、何でもなかったかのように体を起こした。
前世では、彼女曰く"筋肉ゴリゴリの男"だったというだけあり、毎日毎日暇があれば剣を振って体を鍛えていた。当時の英雄バルド・ガエル騎士団長の息子として、誰よりも優秀な戦士になるために積んだ鍛錬は、幼少期から彼の非凡な才能を開花させた。おかげで、十歳からしか受けられない兵団試験を、友人のカルヴァンと一緒に十歳の時に受け、そのままあっさりと二人とも合格してしまった。歴史上の記録が更新された瞬間である。
聖人であることを世間に隠して生きていた彼は、兵団試験に最年少で合格し、その非凡さが明らかになるまで、公には「聖女と英雄の息子なのに魔法適性がない残念な子供」と認識されていた。当時の大人たちは、皆哀れみか侮りを含んだ瞳で眺めていたものだったが、リツィードが剣を振るう様を見た瞬間から顔色を変え、すぐさま態度を改めたものだった。
『戦うために生まれてきた男』と評したのは、当時の兵団長だったか――懐かしい記憶をなんとなく思い出しながら、何の因果か戦闘とは無縁の女に生まれついてしまった新たな生を恨む。
高所から飛び降りて受け身を取ることも、空を見て現在位置と時間を正確に割り出すことも、すべてリツィード――『戦うために生まれてきた男』にとっては造作もないことだった。
「さて…と」
今はいたいけな少女の外見になってしまったものの、知識と記憶は前世の分を合わせて既に二十年分ある。イリッツァは教会に裏庭に向かう途中でダニエルの部屋の窓の場所を確認し、完全に死角になる場所を探した。万が一に備えて、気配と足音を完全に殺すことも忘れない。
「ここなら大丈夫、かな」
目立たない場所かつ、一定の広さが担保されてる場所を見つけ出して、イリッツァは足を止める。そして、足を開いて重心を安定させ、ゆっくりと右手をかざす。
「ん――…」
少し、集中する。――聖人と露見しないように気をつけていたので、前世で魔法を実際に使用したのは、実は数える程度しかない。魔法を発動させる感覚は、ずいぶんと繊細で、懐かしさとともに石畳の苦い記憶の影を伴った。
深呼吸を繰り返し、手のひらに魔力を集中させ――――
こぉっ――
「――ぅおっ!!!?」
一瞬、昼間かと思うほどの強烈な光球が手の先に現れ、驚愕のあまり慌てて光をかき消す。夜の闇に魔力とともに光の粒が消えてなくなる。
「…び…びっくりした…はは…」
正直、さすがにそれはないと思っていた。――それだけはないと、信じたかった。
地水火風、どれでもいいが――贅沢を言うなら、父親や親友のように、火を扱う魔法であることを願った。前世では幼いころから、ずっと憧れていた魔法。どうせやり直しさせてもらえるなら、それくらいのサービスがあっても良いのではと思っていたのだが――
「よりによって――また、かよ…」
思わず脱力して頭を抱えて呻く。――洒落にならない。
先代聖女とそっくりの外見で、属性は光。――これが周囲にバレたら、それはそれは生きづらい日々が待っていることだろう。
「…って、待てよ…?まさかとは思うが――」
恐る恐る、もう一度、今度は力を加減して爪の先ほどの光球を生み出す。そのまま、視認できるかぎりの身体の隅々を調べる。
「聖印は――…ない、な。目立つところには」
服をまくって腹まで見たが、それらしきものはない。ただ、自分では見つけられない個所に浮き出ている可能性もある。――リツィードのときは、頬だった。歴代では、背中に浮き出た聖人もいたらしい。
「帰ったら鏡で確認するか…」
頼むから、さすがにもう一度聖女になることは避けてくれ――という、ささやかだが切実な願いは、つい半刻後に自室の部屋の鏡の前で、無情にもあっさりと打ち砕かれるのだった。
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