第30話

「海賊共和国だと……?」

 タラーテが、船底の汚水ビルジの悪臭を嗅いだかのように、鼻に皺を寄せてつぶやいた。

「あいつらは、そう言っていました……海賊が支配する港を再興するために、戦艦を奪うんだって」

 サンベアと名乗った少女は、椅子の上で居心地悪そうに己の腕を抱いて縮こまっている。隣に座って優しく肩を抱いているルゼが顔を上げた。

「海賊の港があったのは、かなり大昔の話ではなかった?」

「昔……百年は前のことだな。当時の戦争が終わって、食い扶持にあぶれた私掠船が海賊に転身したのさ。そいつらが根城にした港がウァサン。あたり一帯は海賊共和国と呼ばれていた」

 タラーテの補足した内容は、リリンカも王国の歴史の一部として知っている。

「結局、海賊は掃討されて王国の植民地になったのでしたね。ウァサンが海賊共和国と呼ばれたのはほんの十年ほどの間だった」

 リリンカにしてみれば、ほとんど伝説の域と言える話だ。

「昔のことはわかりません。少なくとも、あいつらの目的はウァサンを海賊たちの手に取り戻すことだと、私は聞いています」

「それであなたに、あの烏賊いかさんを操って戦艦を襲うよう命令したのね」

 ルゼがサンベアの手を取り、励ますように撫でた。

「貴様は魔女だろう、サンベア。一体何があって、海賊どもに囚われたのだ。そもそも巨大頭足類クラーケンを従えるほどの力がある魔女を、王立魔法連隊が見逃していたとでも言うのか?」

 現在は停戦中とはいえ、サンベアの年齢ならばとっくに連隊に見出されているはずだ。

「……従軍の声はかかりました。でも父が、私が軍に入るのを嫌って、家族で植民地に移住すると決めたんです」

 詳細を聞けば、一家はほとんど従軍逃れの夜逃げと言っていい経緯で王国を発ったようだ。

 しかし南方に向かう船が海賊に襲われて、両親は他の大勢の旅客と共に命を落とした。サンベアは付近を泳いでいた巨大頭足類クラーケンを補足して抵抗したが、弟を人質に取られて、以来、一年近くもの間、海賊の頭目の命じるまま、船を拿捕する役目を負わされていたのだという。

「『テルカリス』も貴様の仕業だな。奪った船はどうしている」

「今は、ここから一日ほどの場所にある小さな島が、あいつらの根城です。でもそこは水源も船を接舷できる場所もない……だから港を奪う算段をしているの。捕まえた船は近くに停泊していて、軍人さんたちは島で捕虜になっています」

『テルカリス』失踪の状況はこれで明らかになった。つまり『ポーピア』に与えられた任務は一応完了といえるのだが……。

「捕虜の存在がわかった以上、このまま帰る選択肢はあるまい。我々はこれより『テルカリス』奪還作戦へ移行するぞ!」

 タラーテが力強く宣言した。


◼️◼️◼️


報告書2


(1)ルブリック伯爵家の周辺を嗅ぎ回る者について

 屋敷の家令からの情報を書き留めておく。

 この数日、出入りする使用人の幾人かが、付近でこれまで見かけたことのない労働者風の男を目撃している。そしてついに本日朝、用事を任され外出した従僕の一人が声をかけられたとのこと。

 なんでも、屋敷に新しい住人が増えたのではないか、それなら侍女や小間使いの採用の口があるのではないか、自分の妻か娘を使ってはくれないか。そんなことを持ちかけたそうだ。

 当然、従僕はそのような手合いの相手をしてはならないと教育されているので断っている。

 しかしながら、立ち去ろうとしたところ賄賂を握らせるそぶりを見せたというので、家令は再度、使用人たちへ注意を促す必要があると判断した。

 アグレシン子爵からは、採用した使用人が暴漢を手引きした過去の事例をお聞きしている。今回の件はユランナ様がルブリックハウスに滞在しているとの情報が浸透した結果とも言えるが、以後、お屋敷に出入りする者の選別はよくよく吟味せねばならないだろう。

 伯爵家においてユランナ様の居所の偽装をご存知なのは、ご当主たる伯爵と屋敷の家令、実際の滞在者であるオルリーンの三者のみである。今後もリリンカ様のご帰還まで、秘密を保持せねばならない。


(2)先代ヴァンスイール伯爵の遺族について

 別荘への転居が無事お済みになられた。また、先代伯爵の存命時代から継続して仕えている使用人と連絡を取り合う算段も整えたところである。

 その報告によれば、奥方とお嬢さまは置かれた状況をよくご理解なさっておられ、今後の慎ましいお暮らしにも納得されているとのこと。

 どうも、以前のお住まいである奥方の親族の地所においては、前伯爵が反逆の罪で処刑されたことが周囲に知れ渡っていたために、お辛い生活だったようだ。

 新しいお住まいは、ヴァンスイール伯爵家の所有する別荘であることは公になっていない。新たに雇い入れた使用人もそれらの事情を知らぬ者たちであるので、以前よりは楽にお暮らしになれることと思う。


(3)カルシール・テリガン氏について

 まことに遺憾ながら、今のところ氏について何の情報も得られていない。

 まずもって、未だに出身地すら掴めていない。お嬢さまのご帰還までの調査をお約束しておいてこの為体ていたらく、慚愧に耐えない思いである。

 少なくとも、貴族や郷紳ジェントリの家系でテリガン姓を名乗る家は見つからなかった。また、医師や弁護士、商人など子どもに教育を受けさせられる層には幾人か見つかったが、氏の年齢の子息がいる男性はいなかった。

 かといって、あのテリガン氏が労働者階級の出身であるかというと、身についた振る舞いや言葉遣いからそうではないと推測せざるをえない。たとえ生まれがそうであったとしても、幼いうちから教育を受けられる環境に置かれていたはずである。

 さて私は近頃、ユランナ様に護身の術をお教えする一環として、普段お嬢さまにご報告申し上げるのと同じように、調査の進展をお知らせすることにしている。

 このテリガン氏についても情報を共有させていただいたところ、ユランナ様は次のような推察をお聞かせくださった。

 一つは、テリガンという名は偽名である可能性。

 次に、外国の出身である可能性。

 そして、母親の姓を名乗っている可能性。

 はじめの二つは私も想定していた。しかし最後の説については、ユランナ様ならではの視点と言える。

 ユランナ様は子爵に引き取られるまで、御母堂とともに各地を転々とする生活を送っておられた。そこでは似た境遇の母子と遭遇することはままあり、中には父親の特定できない子どもや、父親に認知されない子どもが多くいたのだという。彼らは当然ながら母親の姓を名乗っていた。

 ちなみにユランナ様ご自身は、お母上が特定の姓を名乗らなかったとご記憶なさっている。それが子爵によるロッテ様の捜索を困難にしているのは余談であるが、テリガン氏の身元の不確かさは、生死はともかく父親が誰かを調べる、という私の従来のやり方に原因があったかもしれない。

 そういったわけで、調査は全く別の切り口を探さねばならない段階にとどまっている……


トラン・アコーレ


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リリンカさま


 息災におすごしでおられますでしょうか。私は何事もなく、無事で暮らしております。

 ひとえにリリンカさまや、アコーレさん、伯爵家の皆さま、隠れ家で世話をしてくださる使用人たちのお陰です。皆さまがたには、いくら感謝してもしきれない思いでおります。

 さて、私の近況などもお伝えすべきかと思いますので、些細なことばかりで恐縮なのですが、日々のことなど少し書かせていただきます。

 アコーレさんの教えを受けて色々な取り組みをしていますが、その傍ら、王立魔法連隊に関するどんな小さな情報も見逃さぬよう、毎日隅々まで新聞を読んでいます。

 もちろんご無事であることは確信していますが、何か少しでもリリンカさまのご活躍に関する話が載っていないかと思って……。

 でも今のところ、そういった記事は見つけられていません。機密に関わることもおありでしょうから、仕方ないことと心得ておりますが、お会いできない寂しさを紛らわすよすがとなるものがないのは残念に思います。

 早くお会いして、こうした時の支えになる思い出を作ってゆきたいなどと、詮無いことばかり考えてしまいます。

 この手紙がリリンカさまのお手元に届くのがいつなのかはわかりませんが、こちらは万事うまくはこんでおりますので、御身をお大事に、どうか無事でお帰りくださいますよう、切にお祈り申し上げております。


ユランナ


◼️◼️◼️



 ユランナが伴侶の身を案じて気を揉んでいる頃、実際のところ当のリリンカは巨大頭足類クラーケンを相手に楽しげな大立ち回りをしていたのだが、こういった二人の間の認識のずれを一致させるのはまだまだ先のこととなる。



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