第24話

 結婚許可証を握りしめ、深刻な様子でやって来たリリンカを一目見て、ユランナと子爵もまた大体の事情を察したようだった。

「戦に……行かれるのですか」

 応接室に通されたところで、椅子にかける間も惜しまんばかりの仕草で、ユランナに手を取られる。

「いいえ、厳密には違います。我が国と帝国はいまも停戦中です。しかし詳細はお話しできませんが、戦役魔女の力を必要とする別の任務に向かわねばなりません」

「長くかかるのですね?」

 尋ねたのは子爵だ。

「おそらく。少なくとも一ヶ月以上は……ことによると社交期シーズンの間には戻れないでしょう」

 今はもう六月の後半だ。船での往復だけで一ヶ月、海上で戦艦『テルカリス』を捜索する日数を勘定に入れれば、爵位を賜るために定められた期間内に帰れないことはじゅうぶんあり得る。

「つまり、任地に向かう船に乗り込む明日の正午までに、式を挙げねばなりません」

 それを聞いた子爵は、すぐさま応接室の扉に手をかけた。

「おれはルブリック伯爵のところへ。明日の朝一番に結婚式を挙げられる教会を手配します」

「バゼル?!」

 悲鳴のようなユランナの声に、子爵は引き返して来て、養女むすめの肩に両手を置いた。

「引っ掛かりがあるなら、二人で話し合うんだ、今ここで。おまえが後悔しない道を選ぶと信じている。いいか、、覚悟を決めろ」

 絶句しているユランナにそう言い置いて、今度こそ出て行ってしまった。


 残された二人は、手を取り合ったまま、ひとまず長椅子に並んで腰を下ろした。

「子爵は本当に頼りになる方だ。ユランナ、もし結婚に関して不安があるのなら、彼の作ってくれた時間で解消しましょう」

 突然訪ねてきたにもかかわらず、ユランナは柔らかそうな布地の小さな帽子を頭に乗せ、レースで顔を覆っている。もしかすると、オルリーン以外の使用人にすら、素顔を見せたことがないのかもしれない。

「……あなたのお気持ちを確かめないまま、話をどんどん進めてしまったこと、怒っていらっしゃいますか?」

 子爵の残した言葉が気になった。それでつい、子どものような尋ね方をしてしまう。

 ユランナはまさか、というように首を振った。

「本当は、私などと結婚するのはお嫌だった、とか……」

「ち、ちがいます!」

「では、あなたは何に引っ掛かっているのですか?」

 視線を上げれば、手の込んだ厚いレースの隙間から、冷たい氷の色をした優しい瞳が見えた。

 ユランナの髪と目の色は、母親譲り。もしこの色の瞳をした黒髪の女性を見つければ、それがロッテだという可能性があるのだ。

 そういえば、リリンカは以前に、薄氷の瞳の若者に出会った。アンシェマの初恋の相手、謎の紳士。彼はもしかすると、ロッテの縁者なのだろうか。

「私は、リリンカさまに隠していることがあります」

 長い沈黙の後、小さく言ったユランナの手袋越しの手は、ひどく震えている。

「秘密のひとつやふたつ、誰にでもあります。それを許さないほど狭量な伴侶にはならないつもりだ。ましてや私がお願いして結婚してもらうんですから」

「……あなたに嫌われるのが、こわい」

 なんて可愛いことを言うのだろう!

 リリンカは胸が締め付けられたようなたまらない気持ちになった。それをどうしたらいいかわからず、持って行きどころにも困って、ついにはやけのような心持ちになり……。

「……!」

 いささか乱暴な仕草で手を解き、自分よりも高い位置にあるユランナの背を抱き寄せた。

 二人はこれまで、礼儀正しい距離を保って交流してきた。だが今リリンカはユランナの顔を覆うレースの頬のあたりに額を埋めた。こんなに近く触れ合うのははじめてだった。

「まったくもう。嫌いになど、なれる気がしないというのに。どうしたら、あなたの不安は取り除けるのでしょうね?」

 しっかりした厚みのある背中を優しく撫でてやると、やがておずおずと、相手の腕もリリンカの背にまわされた。

「知れば、リリンカさまだとて……看過できない裏切りとお思いになるはずです」

 からかう口調のリリンカに対し、ユランナはあくまで悲壮だった。

「看過できない裏切り。何だろうな……例えば既に他の誰かと結婚しているとか?」

「ありえません」

「まさか、帝国に通じている?」

 問いは笑いまじりで本気でないのが明らかだったが、ユランナはすぐさま首を振って否定する。

「これだったら辛いな……本当は、私のことがお嫌い、だとか?」

「一番ありえない」

 これにもきっぱりとした否定が返ってきて安堵した。

「なんだ、なら全く問題ない。今あげた三つが、私が心から恐れていることです。それ以外なら、あなたなら、なんでも大丈夫だ」

 ユランナの長い腕が、リリンカの背をさらにぐっと引き寄せた。細く長い吐息がレース越しに耳をくすぐる、あたたかい。きっと自分の息も、相手にこうして聞こえているに違いない。

「今はまだ、お話しする勇気がない……リリンカさま、あなたに恥ずかしくない自分に、私はなりたい。お留守の間に、きっと努力します」

 だから、とユランナは低く続けた。

「私と結婚してください」

 リリンカの耳元に、はらりと何か柔らかなものが降りかかった。首をひねって見上げると、ユランナの顔を覆っていたレースだとわかった。さっきまで帽子にきっちりとピンでとめられていたそれは、リリンカの肩から背を、するりと滑って落ちていった。

「ユランナ」

 わずかに身をひいたおかげで、かえって相手の顔が見えるようになった。

 色素の薄い、青い瞳。

 真っ直ぐに通った鼻筋、噛み締められた唇。

 顔を見るのは、まだたった二回目のはずだった。

 黒くて濃い睫毛が、ゆっくりと瞳を覆う。隠してしまうのがもったいない――以前にもそう思ったことがある、あれはいつのことだったろう?

 考えているうちに、今度は正面から顔が近づき、リリンカはごく自然に目を閉じた。


◇◇◇


 翌日、ゼアドゥ家とメリエッド家の同居の家族のみが参列する、ごく内輪な結婚式が執り行われるはこびとなった。

 ルブリック伯爵とアグレシン子爵がほうぼう手を尽くしたが、家の格に釣り合う式を挙げるための大主教は、リリンカが港へ向かうたった一時間前の予定しか押さえられなかった。

 伯爵夫人の希望した結婚披露の宴を開く余裕は全くなかったし、もちろん新婚旅行など望むべくもない。

 しかも式のはじまるぎりぎり直前まで、リリンカと子爵の間で、留守の間のユランナの安全についての打ち合わせが持たれていた。

「ロッテの消息を追うのは、あなたが帰還してからにせざるを得ないでしょうね」

 盛装のアグレシン子爵は、ユランナの支度をしている控室の扉を見ながら言った。

「ユランナの安全を考えれば、そうしていただきたいところですが……」

 うなずくリリンカは暗い赤の魔女の軍服だ。着飾る必要がない以上、支度はとっくに終わっている。

「それでも、私の私邸にひとりは危険ではないかと思っていて」

「結婚後も実家にずっといる、というのはやはり外聞が悪いものでしょうか?」

「伴侶たる私が王都にいないので、問題はないかと。しかし、ケンデル君に家庭教師チューターを付けるのが遅れてしまうのでは」

 問われた子爵は顎に手をやって、少し考え込む様子だ。

「そうであっても仕方ない、やはりうちで――」

 その時、控室の扉が開いた。

「私は、身を隠そうと思っています」

 そこにいたのは、ほとんど白に近い氷の青の地に銀色のビーズが全体に縫いとめられた、素晴らしいドレスを纏ったユランナだった。

「リリンカさま、アコーレどのは任務にお連れにならないとか」

「あ、ええ、はい。今度の任務は、陸戦ではないものですから」

 戦艦の内部は空間が限られているが、魔女が乗船する場合、当然他の乗員と船室を分けねばならない。船の中の指揮系統に属さない者を多く乗せるのは難しいため、今回のような場合、従僕を連れてはゆけないのだ。

「私にアコーレどのを付けてくださいませんか。きっと完璧に身を隠してみせます、そのための計画もある。代わりにリリンカさまのご実家にオルリーンを置いてくださいませ」

「オルリーンを?なぜ」

「そうか、ユランナの居所を偽装するのだな」

 リリンカは理解が及ばないが、子爵はすぐに思い当たったようだ。

 ユランナの後ろに控えるオルリーンが膝を曲げてお辞儀をすると、肩で切り揃えた白髪がさらりと流れた。

「私のこの髪は、ある私的な理由でこうしております。ですけれど、侍女にこのような断髪でいることを、なぜ子爵がお許しくださるのか……」

 一般に、階級を問わず成人した女性は長くした髪を結うものだ。使用人であれば尚更、外出の際には必ず帽子で髪を隠す。

「まさにこういう時のためですわ。私のこの目立つ髪、断髪の侍女のいるところに、ユランナ・メリエッド嬢がいる」

 

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